第44話 ドリード王国
空たちは、広大なネム半島の西端、ドリード王国の玄関口――西門を越えて、王都へと足を踏み入れた。
白石で舗装された通りには、すでに日差しが降り注ぎ、行き交う人々が活気に満ちた声を響かせている。市場からは香ばしいパンの匂いが漂い、街角の噴水では子どもたちが水しぶきを上げて遊んでいた。整然とした街並みは、まるで長い年月をかけて磨かれてきた宝石のようだった。
「街も綺麗に区画整理されてるね。ドワーフたちが作る中立都市も楽しみだ」
空がつぶやくと、隣を歩くミアが笑顔を浮かべた。
「めいっぱいこだわってるからね〜。ふふっ、もうすぐお城だよ〜」
彼女の声には、懐かしい場所へ帰ってきたような柔らかさがにじんでいた。
歩くこと二十数分。城下町の先、低く横に広がる威風堂々たる城が現れた。ドリード城――重厚な城壁と石造りのアーチ門が、訪れる者を静かに見下ろしている。
「おお、ミア! 戻ったのか!」
門番の男が笑顔で駆け寄ってきた。長年ここに仕える老兵だろう。その顔は、再会の喜びに皺を深めていた。
「アレク様に顔見せに来たよ〜」
ミアが手を振ると、門番はホッとしたように頷いた。
「アレク様、心配しておられたぞ。それに……そちらが噂の天使様ですね。どうぞ、こちらへ」
案内された来客室。そこにはすでに、一人の男が待っていた。銀の髪に刻まれた年輪の中にもなお鋭さを残すその眼差し――かつて第二魔王カーマインを打ち倒した伝説の勇者にして、現国王アレク・ドリードの姿だった。
「おお、ミア! 元気だったか?」
「うん! 一時はどうなるかと思ったけど、今はみんな元気だよ!」
ミアの声には、娘が父親に報告するような素直さがあった。その姿に、アレクも頬を緩める。
かつて、熾天使ガブリールに導かれ、赤子として転生したミアを託された日。、彼女を抱き上げたときの小さな温もり。ミアは、彼にとって確かに娘だった。
「南東樹海で行方不明になった時は、本当に慌てたぞ!」
「まさかスライムになるなんて、ボクも思ってなかったよ〜」
そのやりとりを静かに見守っていた空と美加に、アレク王は深く頭を下げた。
「天使様……いえ、ルシフィス様、そしてミカイル様。ミアたちを助けて頂き、感謝の言葉もございません」
王のその言葉は、国を背負う者としての礼儀であると同時に、父としての感謝でもあった。空は軽く頷きながら椅子に腰を下ろす。
やがて、話題は中立都市建設へと移った。空は、真剣な眼差しでその構想を語りはじめる。
「亜人も魔族も人間も、区別なく共に暮らす都市です。地下には魔物も出現しておらず、安全も確保できています。その分、戦闘以外の教育や芸術、文化を育てていくつもりです」
アレクは腕を組み、黙して耳を傾けていた。
「なるほど……私には難しい話かもしれんが、ミアは理解しておるのだろう?」
「もちろん。ただ読み書きが浸透しないと、皆が楽しめる世界にはならないと思うよ」
ミアがまっすぐに言い切る。幼き頃から育てたこの娘の成長に、アレクは深く胸を打たれていた。
「共通語の学校を建てる予定です。ただし、戦いも無くすつもりはありません。ダンジョンや迷宮も整備して、戦いが得意な者にはそちらで活躍してもらいます」
空の言葉に、アレクはようやく破顔した。
「それはありがたい話ですな。我ら武人は、どうにも勉学は苦手でしてな……」
「人々が輝ける場所をつくる。それが中立都市の意義です」
その言葉には、空自身の過去――死を超え、天へと至り、再び地上へ戻ってきた者としての決意が込められていた。
アレクは、静かに大きく頷いた。
「分かりました。出来る限り、我が国も手を貸しましょう。良き都市を作ってください」
謁見の場が解かれると、アレクは再びミアに問いかけた。
「それで、ミアはこれからどうする?」
「天空門の研究室に戻って、トーリンにトンネルのことを話すよ!」
「トンネル? ミラー領のとは別か?」
「あ、言ってなかった! ドリード王国とシールド領の間に、私たちの知らない地下トンネルがあって……どうやらこの城の地下に繋げようとしてるみたいなんだよ」
アレクの表情が一瞬、硬くなった。
「なに……またトンネルか。まったく……。ミラー領の時も驚いたが、今度はシールド領とはな。ならば、出てきた敵に罠を仕掛け、国を挙げて迎え撃つとしよう。トーリンには、私の元へ来るよう伝えてくれ」
「分かった〜! じゃあ、空にぃ、美加姉ぇ、行こ〜」
「うん、分かったよ」
「私は少しアレク様と話してから向かいますね」
美加の言葉に、空が一礼して部屋を後にした。ミアの明るい足取りが、静まり返った室内に遠ざかっていく。
残されたアレクと美加――かつて勇者と天使として戦場を共にした者たちの間に、静かな沈黙が流れた。
「お久しぶりでございます、ミカイル様」
「お久しぶりですね、勇者アレク。……もう、何百年ぶりでしょうか」
「初めてお会いしてから……そうですね、かれこれ六百年は経ちましたな。勇者に任命され、天使様に助言を頂き、導いていただいた事……今も感謝しております」
「すべては女神の御心のままです」
アレクは一息ついて、わずかに声を落とした。
「……ミカイル様。あのルシフィス様、記憶を失っておられるように見えましたが……?」
美加は小さく頷いた。静かな声で、雅閻魔大王から聞いた真実を語り始める。
ルシフィスのコアと肉体が分離してしまったこと。コアは天界により無事に保護されたが、記憶はほとんど失われていること。そして――肉体はかつて地上で消滅したかに見えたが、いま再び、闇国の側で何らかの方法でコアを得て動き出しているということ。
そして近いうちに、世界を大きく揺るがす出来事が起こる可能性があると。
アレクは黙して聞き続けた。かつて第三魔王と三代目勇者を黄金像にして、ダイセツマウンテンに運び出したあの日、彼は確かに見た――堕ちてゆくルシフィスの、あの瞳の奥にあった哀しみを。
「……ならば、こちらも備えねばなりませんな」
彼の言葉には、王としての決意があった。




