第29話 ミラー領事変 終結
ミア・ムーアの手により届けられた天使の雫が、昏睡状態にあったイザベラの瞳を再び開かせた。ルークは、空と美加が「天使様」と呼ばれていることを耳にし、神官として挨拶せずにはいられず、リアム達と共に晩餐会場へと向かう。
晩餐会場手前の廊下。
リアムは人差し指を唇に当て「しっ」と静かに合図を送り、皆を沈黙へと誘導する。
正気を取り戻した衛兵や使用人たちは避難していて辺りには人影は無かった。
リアムはそっと扉に耳を当て、中の様子を探る。すると、聞き慣れない声が呪文を唱えるように響く。
「……鬼呪印!」
(聞いたことのない声……? 中にいるのは空さん、美加さん、ムドーだけのはずだが……)
リアムはメイソンたちに合図を送り、全員が壁に耳を当てて会話を聞き始めた。
やがてムドーの低い声が、重々しく晩餐会場内から聞こえてくる。
「私の主は、極悪魔・色欲のアスモタン様。アスモタン様はシールド領でエレバン帝国第一師団を掌握しており、皇太子ハリア・エレバンを籠絡しました。実質的に軍事権は掌中に……」
「そして次の標的としてミラー領が選ばれ、私が派遣されたのです」
「ルークにはハリアの推薦状を見せ、強引に参謀として入り込みました。妻・イザベラの部屋には魔物化を促す人形を置き、黒い霧で少しずつ体調を崩させました」
「心を弱らせたルークには下級悪魔を憑依させ、ある程度支配することに成功。そして冒険者や兵士たちをマンドラゴラの霧で魔物化させ、樹海調査クエストと偽って減らしていきました」
「最終的には“魔王軍が南東樹海に潜伏している”という嘘を流布し、討伐隊を結成させ、霧で壊滅させることに成功しました」
扉の外では、言葉を飲み込む面々が顔を見合わせていた。
「なんと……シールド領が、既に極悪魔の手に落ちていたとは……」ルークが苦悶の表情を浮かべる。
リアムは押し黙り、メイソンが肩を落としながら呟く。
「道理で南東樹海に魔族が見当たらなかったわけだ……」
ルークの拳は震えていた。悪魔に操られ、大切な者たちを危険に晒した己への怒りと後悔が胸に渦巻く。
「ルーク……気持ちはわかるが、これは我々だけでどうにかできる問題ではない」
リアムが冷静に諭すと、ルークは小さく頷いた。
だが、その時だった。中から女の声が響く。
「ふむ。では、わらわのことは雅と呼ぶが良い。そして、会場の外におる者たち、入ってくるがよい!」
突然の女の言葉に、リアムは観念したように扉を押し開ける。
「バレてましたか……」
リアム、ルーク、メイソン、エレノア、カーター、レアの一行が晩餐会場へと姿を現す。
ルークは怒りに任せてムドーへ詰め寄ろうとするが、メイソンがその巨体で押しとどめる。
「待て、ルーク!」
「離せメイソン!あの槍で倒してやる!」
「触れるでない!それはデーモンスピアじゃ!」雅閻魔が声を上げる。
「ならば直接殴ってやる!」
「メイソン!ルークを執務室に連れて行ってくれ!」
リアムは、メイソンにルークを執務室に連れて行くよう願い、メイソンは暴れルークを後ろから抱きしめて持ち上げ晩餐会場から出ていった。
混乱の余韻が残る会場で、カーターがぽつりと呟いた。
「……あんな取り乱した領主様、初めて見たよ」
その言葉に、レアが肩をすくめながら応じた。
「仕方ないでしょ? 二年間もムドーに利用されてたんだから」
リアムが咳払いをひとつ。
「ごほん!」
その声に、カーターとレアは反射的に黙り込んだ。
ムドーの自白を聞いた皆の間には、ルークにまつわる話を持ち出すには重すぎる空気が漂っていた。
「……大変お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
リアムは頭を下げた。
「空さん、美加さん、ご無事でなによりです」
「ルーク様、気が付かれたのですね?」
空が静かに問うと、リアムはわずかに頷く。
「はい……」
だがその目は、どこか落ち着かない様子で空の背後に視線を彷徨わせていた。謎めいた長い黒髪の少女、メイド服の女性、そして見慣れぬ着物の女性……。
「えーと、空さん? そちらの方々はどちら様で?」
「ああ、リアムさん?」
「はい?」
「私と美加は天使で、天界から来ました。天界はあります。分かりますよね?」
「ええ、私もぜひとも天界へ行ってみたいと思います」
「では、地獄はどう思いますか?」
「……率先して行きたいとは思えませんが、子供の躾に使う程度の、迷信や概念的な場所と理解していますが……それが……」
「そちらにいらっしゃるのは、地獄の閻魔大王様と、それを守護する鬼神と呼ばれる方々です」
「……閻魔……閻魔……」
次の瞬間、リアム・エレノア・カーター・レアの四人が同時に白目をむいてその場で硬直した。
「まあ、普通の反応じゃの」
雅閻魔はくつくつと笑った。
「忌み嫌われねば、地獄の存在意義がなくなるからの」
「あはは……」
空が気まずそうに笑ったところで、メイソンが晩餐会場に戻ってきた。
「お? なんだなんだ? みんな白目向いて固まって……ムドーがなにかしたのか?」
「いや、そちらにいる方たちが、地獄の閻魔大王様とその守護者の鬼神様だと説明したら、こうなりまして……」
「閻魔? 地獄? ああ、なるほど。真ん中の可愛らしい少女が閻魔大王様で、両隣が鬼神様か。俺はメイソン! よろしくお願いします!」
「ほう。なかなか度胸のある奴もいたものだ。わらわは雅閻魔じゃ」
雅閻魔、十代前半くらいの少女の姿にストレートの長い黒髪に赤い目、扇子を持ち黒基調の着物を来ている。
「儂は左鬼、よろしくな」
左鬼。 雷神 二十代後半くらいの女性の姿で、ウェーブがかかった緑の長い髪を一部後ろにまとめていて。武士の着物を来て右手に薙刀、左腰に刀を帯刀している。
「私は右鬼、よろしくお願いします」
右鬼。 風水神 十代後半くらいの女性の姿で、セミロングの青髪をして、ミニスカタイプのメイド服を着ている。
「左鬼様に右鬼様ですか。よろしくお願いします!」
空がメイソンを見つめる。
「……メイソン、大丈夫なのか?」
「ん? ああ、世間じゃ地獄っていうと怖がられるけど、悪人に罰を与えて更生させる場所を、俺は悪だとは思わない。彼らのおかげで『地獄に行きたくない!』って思って、現世で良い行いをしようとするだろ? 感謝しかないさ」
「……メイソン……」
「下界も、まだまだ捨てたものじゃないのう」
雅閻魔は微笑みを浮かべた。
そんな中、レアとカーターが意識を取り戻し、雅閻魔の方へ一目散に向き直った。
「ごめんなさい! この間、カーターのプリンを黙っていただきました! でも悪いのは、すぐに食べなかったカーターだと思います!」
「おい!」
「お許しください、閻魔大王様〜!」
「ふむ、許そう!」
「やったー! ありがとうございます!」
「いやいやいや、許しを乞うのはまず本人にだろ!」
「もう閻魔大王様がお許しになったんだから、この話はおしまい!」
「ええー!? じゃあ今度お前のシュークリーム食べるからな!」
「カーターは許さぬ!」
「ひぃっ……まだ言っただけなのに〜!」
続いてエレノアとリアムも目を覚まし、慌てて弁明を始める。
「閻魔大王様! 私はなにもしておりません!」
「私も同じく……悪いことは……なにも……」
徐々に場の空気が“自白大会”の様相を呈してきた。
「お主たち、ここは取り調べ室でも自白を聞く場所でもないぞ? 地獄に行くかどうか決めるのは、まずそこにいるミカイルじゃ!」
雅閻魔の言葉に、全員の視線が美加へと向いた。
「ええーっ! 美加さんミカイル様だったの〜!?」
「わらわは、ミカイルが地獄送りにした者共を、どの刑に処するのが相応しいか裁きを下す者じゃ。下界からの地獄送りは……まあ、たまにはあるが滅多にないと思ってよい」
メイソン以外の面々は、己の過去の自分の行ないに思いを巡らせていた。
「ちょっと、雅。そういうことは言わないの」
美加がたしなめると、雅閻魔は軽く肩を竦めた。
「よいではないか。少なくとも、ここにいる者たちは媚びを売ったり機嫌を伺ったりはせんじゃろ。のう? カーターとやら?」
「も、もちろんですよ〜。ミカイル様様、閻魔様様様。清く正しく親切丁寧がモットーですから……」
「ほんとかな〜? ミカイル様! カーターがちょっとでも無礼を働いたら、地獄へ落としてくださいね!」
「もし地獄へやって来たら、た〜っぷりこき使ってやるからな〜」
「ヒィッ……!」
「さて、カーターをいじるのはこのくらいにして……空よ」
「はい」
「後で話があるぞ」
「分かりました」
「では、わらわ達は一旦、地獄へ戻るかの」
「かしこまりました。ベルベロス!」
左鬼と右鬼が同時に名を呼ぶと、闇の奥から二つの頭を持つ漆黒の獣が現れた。
ベルベロス──鳥居門と地獄の扉の番犬であり、下界と黄泉の国と地獄を繋ぐ存在だった。また黄泉の国の裁判所では雅閻魔の代弁を務め、高音と低音の声で同時に語るその姿は、罪人すら恐怖で素直にさせると言われる。
ベルベロス:高音「ワオーン」 低音「ワオーン」
雄叫びに応じ、床から鳥居門が現れる。
「今よ、カーター!」
「へ?」
「カーターの地獄行き!」
「ちょっ、押さないでっ!」
「ふふふ……そなたらがこの門をくぐらぬことを願うぞ」
「では! また後ほど!」
「行くぞ、カエル野郎〜!」
右鬼の乱暴な声に押され、ムドーが「はひ!」と情けなく答える。
こうして、雅閻魔たちはムドーを連れて地獄へと戻って行き。晩餐会場には静寂が戻り、空、美加、そしてメイソンを除く者たちは、地獄の主が帰った安堵感で肩の力を抜き、深く息を吐いた。




