第17話 樹海調査5日目
南東樹海に入って五日目の昼過ぎ。
木々のざわめきが静かに基地を包むなか、一台の馬車が荷を揺らしながら基地の門をくぐった。
補給物資を届けに来たのは、ミラー領冒険者ギルドのサブマス・エレノア。
馬車から軽やかに降り立つと、出迎えに来ていたメイソンの姿に目を見開いた。
「ギルマス……! 元に戻られたんですね!」
「おう、空さんのおかげでな!」
メイソンはにっこり笑い、自慢の筋肉をさりげなく誇示する。
「道中、大変じゃなかったか?」
「いえ、大した魔物もおらず、すんなり来られました。それより……本当に治って良かったです」
「ああ。まあ、ミア達には“元のままだ”なんて言われたがな」
「ミアって、あの……ドリード王国の?」
「ああ、そのミアだ。ドワーフの職人たちと一緒に魔物化に巻き込まれてな。空さんが救ってくれた」
「……そうだったんですか」
二人は並んで基地本部へと歩き出す。会話は次第に核心へと入っていった。
「で、南東樹海で起きてる件について、何かわかったか?」
エレノアの顔が真剣になる。
「はい。調査して分かったのですが――約一年前の記録の一部が消失していました。いくら探しても見つからず、調査記録を管理していた者に確認したところ……領主様の指示で資料を持って行ったままだそうです」
「……そうか。ルークが、か」
「また、調査成功の報告をした者は、その後すぐに再指名依頼を受け、ミラー領には戻ってきていません」
「なるほどな」
「そして……その成功者の記録によれば、“南東樹海では魔物の出現数が通常よりも多く、全身が黒く、赤い目をしたゴブリンを目撃した”とあります」
「黒いゴブリン……?」
メイソンの表情が曇る。
「俺が知ってるゴブリンってのは、背が低くて緑色、目は黄色。人を見ると逃げるような臆病な魔物だ。これは変異種か……?」
「可能性はありますが、領主様は“見間違い”として調査を打ち切ったそうです」
「……そうか」
メイソンは一呼吸置いて、南東樹海に来てからの出来事――魔物化の解呪、そして食糧の謎――をエレノアに丁寧に語った。
やがて話題は、ドリード王国への食糧輸出停止と領主の不審な行動、そして参謀ムドーの正体に移っていく。
「……ムドーがエレバン帝国から派遣されたのは、二年前です」
エレノアは驚きの声を押し殺した。
「まとめると、領主かムドー……あるいは両方に何かあると見るべきだろう」
「調査を進めますか?」
「いや、リアムがすでに動いている。俺たちは深入りしすぎないほうがいい。知らぬことも時には大切だ」
メイソンは空を仰ぎ見た。
「それに、俺たちには“天使様”がついてるからな」
「天使様……? まさか、お告げか夢でも……?」
メイソンは笑った。
「いやいや。現実にいらっしゃるんだよ。俺の姿を戻してくれて、南東樹海に基地を一日で築いた。あの二人だよ――空さんと美加さんだ」
「……まさか……」
エレノアの目に驚きが広がり、やがて納得に変わった。
(あの時の模擬戦……圧倒的すぎる実力。突然の登場、ギルマスの救出。なるほど……そういうことでしたか)
「そこでだ、エレノア」
メイソンが真剣な面持ちになる。
「お前、もうギルドの事務仕事はしなくていい。天使様に同行して、中立都市の開発を見届けてこい。二人には俺が話しておく」
「ですが……魔物化している者たちの捜索は?」
「それは俺と兵士たちでやる」
「でも――」
「“でも”も“しかし”もない!」
メイソンが語気を強めた。
「天使様が来ているんだぞ。お前のように若くて力ある者には、この機会が何よりの学びになる。俺は心配なんだ……お前が自分の力を埋もれさせてるのがな」
メイソンは知っていた。
エレノアにはランクAやSになるだけの実力がある。だが事務仕事に忙殺され、実戦の経験が疎かになっている。それが惜しかった。
「力ある者は、自然と力を発揮できる場所に導かれる……ってな。今がその時なんだよ」
「……わかりました」
「今生の別れってわけじゃない。南東樹海の仕事が終われば、俺はまたギルド館にいる。いろんなことを見て、学んで、それを報告しに来い」
「……わかりました! その時まで、絶対に死なないでくださいね?」
「当然だ。お前が新しい時代をどう見たか、それを聞くまでは死ねん!」
「じゃあ……約束ですよ?」
「おう!」
その後、メイソンはエレノアを連れて基地の施設――魔物化を治せる風呂場など――を案内し、太陽はゆっくりと西へと傾いていった。
その頃、補給物資の整理をしていたミアが、荷の中から奇妙な人形を見つけた。
「ん? なにこれ……ぶっさいくな人形だけど……」
首をかしげながら、ミアは人形を持って空のもとへ向かう。
「空にぃ〜、これなんだと思う?」
空が人形を一目見るなり、目を細めた。
「……不死鳥神殿で見た、魔物化を引き起こす、こけしに似てる。危険かもしれない。グラビティビットで回収しておこう」
「うん、わかった〜」
こうして、参謀の諜報員が紛れ込ませた魔物化人形は、あっさりと回収されたのであった――。