第11話 マンティコア戦
ボクはミア・ムーア、ドリード王国の研究員。南東樹海調査に五人で来たけど、黒い霧が出てきて洞窟に避難したけど、この数日間、ずっとこの洞窟の中に閉じこもったままだ。
理由はボクたちはもう、人の姿じゃない。ボクは柔らかくて丸っこい体になってしまった。そう、スライム。――ファンタジーの世界じゃ雑魚扱いのあれだ。
「この洞窟に隠れて数日経つけど、一向に居なくならないな~あのマンティコア……」
思わずぼやきが口をついて出る。いや、正確には口すらないんだけど、不思議と会話はできるようだ。
洞窟の入口には、ずっとあのマンティコアがいる。ライオンの体に翼を持ち、魔物の中でも特に危険とされる存在。あの巨体が出入口を塞ぎ、私たちは出るに出られず、ひたすらここで苔や埃を吸収して生きながらえていた。
「黒い霧に覆われたと思ったら、スライムになるし……ボク、もう挫けちゃいそう……」
「まぁまぁ、お嬢。泣いたって仕方ないさ」
スライムの姿をしたトーリンが、柔らかい体でボクの隣に寄ってくる。彼はドリード王国開発部の研究長。落ち着いてて、頼れる人。部下のドーリとオーリもそれぞれ小さなスライムとなって、「うんうん」と頷いている(どうやって頷いてるのかは謎だけど)。
「ニーイ……寝てるし……」
静かにぷるぷる揺れる塊。たぶん寝てる。いや、スライムって寝るのか……?
「はぁ……ミラー領の領主がいきなり食糧の輸出を止めるなんて言わなければ、こんな所に来ることもなかったのに!」
「まあまあ、お嬢。領主の奥さんが病気で、情緒不安定らしいぞ?」
「トーリンは心が広すぎるよ……」
――正直、もう限界だった。ずっと洞窟の奥にいて、マンティコアの気配を感じながら身を潜める生活。食べるものも味のない苔やホコリばかり。姿も声も奪われたかと思えば、唯一残ったのは心だけ。……それでもボクたちは、生きていた。
ふと、洞窟の入口付近から声が聞こえた。
「……誰か来た……?」
ボクは壁際に体を寄せて、音に耳を澄ませた。マンティコアの唸り声のようなものに混じって、今まで聞いたことのない――でも人間の声がする。
「大きい魔物だな。キメラ……?」
「……あれはマンティコアですね」
男女の声だった。女の人の声は澄んでいて、でもどこか緊張を含んでいる。そして男の人の声は、落ち着いていて――どこか懐かしいような響きだった。
「空……って言った?あの人……誰?」
ボクはそっと洞窟の天井付近に張りつき、入口の方をこっそり覗いた。――そこには、黒髪の青年と、金の光を纏った女性がいた。
その瞬間――ボクは、目を奪われた。
彼女の頭上に浮かぶ《光の輪》。背中には、六枚のまばゆい翼。誰が見たってわかる。――天使だ。
「トーリン……ねえ、あの女の人……背中になにか見えない?」
「背中?いや、弓と弓矢しかないが?」
「そっか……見えないんだ……よかった……」
ボクは息をのんだ。じゃあ、ボクにしか見えていないってこと?きっと彼女は《高位存在》。……転生者であるボクだから見えるのかもしれない。
でも、その隣の男の人――空って名前の――彼にもなにかある気がした。天使の輪はないし、翼も小さい。でも、あの堂々とした態度、そしてどこか温かい気配。
(あの人……なんだろう?)
ふと、マンティコアが動いた。視界に入ったウサギに反応し――次の瞬間、炎のブレスを吐きかけた。
「きゃっ!?」
炎が洞窟の前を照らす。――だが、その炎は届かなかった。
「……え?」
男の人が手を伸ばすと、何かが空間をねじ曲げるように現れ、炎をすべて吸い込んだのだ。
「グラビティビット……!?」
その技名が頭に浮かぶ。まさか、重力を操る使い手……?
ボクは、確信した。
――ただの冒険者じゃない。きっと、世界を変える者たちだ。
「どうやら、男とタイマンするみたいだぞ」
トーリンの言葉にボクは思わず洞窟の天井から飛び降りそうになった。
「ちょ、ちょっと!あの洞窟の前で戦ったら、出入口が崩れちゃうんじゃないの!?」
「確かにな……地鳴りみたいな振動も感じるし、下手すれば俺たち埋まるぞ」
「やばい!やばいってば!ボク、ここでぺしゃんこになるのなんてイヤだよぉ!」
私は焦って洞窟の前に出ようとした。せめて、あの男の人――空さんにここに人がいることを伝えなきゃ、と思って。でも、ボクが洞窟の外に出る前に、トーリンさんが前に回り込んできた。
「もう間に合わねえ!お嬢!」
トーリン……!
その瞬間だった。
「受けてみよ!我が最大の奥義――」
マンティコアの咆哮とともに、口からは赤熱のブレス、尻尾からは雷撃。ふたつの力が混ざり合い、灼熱と閃光の奔流となって空さんを襲った。
「サンダーストリーム!」
ボクの心臓が凍りついた。魔力の衝撃波が洞窟内にも入り込み、体が小刻みに震える。これは、本気の一撃――ひとつ間違えれば、山の一角ごと吹き飛ばしかねない。
「ひぃ……ボク、まだ死にたくないよぉ……!」
祈るように目を閉じたその時だった。
「――グラビティシールド!」
ズン、という重い音が空気を揺らした。開いた目に映ったのは、空さんの前に展開された巨大な盾――いや、重力の塊。まるで空間そのものがねじれたような、奇妙な存在。
信じられない。マンティコアの最大奥義を、真正面から吸収した……!
「こ、これは……」
ボクは言葉を失った。あの空さん……一体、何者なの?
――いや、もうわかってる。あの人、普通の人間じゃない。
それに、美加さんの反応も気になる。あの天使のような女性が、そっと手を胸にあててつぶやいたのが聞こえた。
(ルシフィス様素敵です)
ルシフィス? それが空さんの本当の名前……?
どんどん、頭の中の謎が増えていく。けれど、それでもはっきりとわかることがある。
――この人たちは、きっと私たちを助けに来てくれた。
マンティコアが沈黙を破った。
「我の負けだ……約束通り、好きに調べるがよい。ただ、願いがある」
「願い?」
「実は、我も洞窟になにがあるのか知らないのだ。ある者から、ここを守れと命じられてな……」
ある者? それって……
「フードと仮面をしていてな。素顔は見たことがない。ただ、出会ってすぐねじ伏せられて、命じられた」
……なんてこと。そんな奴がこの地にいるの? それに、マンティコアすら従える力って一体……
空さんは頷いた。
「そうか……契約が無いなら、分かった。じゃあ一緒に見に行こう」
マンティコアが驚いた顔をして、それから――ゆっくりと、ありがとう、とつぶやいた。
……優しい人だな、空さんって。
「トーリン……どうやら、希望の光が来てくれたみたい」
「お嬢。お前の勘が初めて役に立ったな」
「も、もう……ひどい……」
ボクたちは――救われるかもしれない。
その瞬間、どうしようもなく涙がこみ上げてきた。体はスライムのままだっていい。心がこうして震えるなら、ボクは……まだ生きてる。