2025.10.1 名探偵の無駄づかい(前編)
でっでっ、ででっ、でっでっ、ででっ、
ちゃらら、ららら、らららら~
え~、みなさん。
今回のお話は、神奈川県に在住のとある中年男性宅で起こった……
史上、最もどうでもいい怪事件です。
まず申し上げておきます。
この事件には、れっきとした犯人が存在します。
しかし、登場人物は誰ひとり、嘘をついていない……
そして、こんなの、ミステリでもなんでもありません。
ただの茶番です。
ですから、くれぐれも「真面目に謎解きしよう」だなんて思わないでください。
【BGM:古畑任三郎 主題(Opening Theme)】
§ § §
日時:10月1日 午前中
場所:神奈川県某市のアパートの一室
「すいません、文字数が厳しいんで巻いていきますねッ! 昨日の夕方、晩飯を作っている時に気が付いたんですよ。洗濯機と冷蔵庫の隙間に設置したブ●ックキャップ(※)がですね、洗濯機に斜めに立てかけられているような状態になっていたんです。つまり、寝かせて設置しておいたはずの無生物が、勝手に動いて立ち上がっていたってことですッ!」
吉田と名乗った中年男性は、えらい早口でまくし立てた。
おまけに滑舌が悪いので、どうにも聴き取りづらい。
「んっん~、妙ですねぇ。ええ、とても妙です」
田村正和にしか見えない警部補は、眉をひそめてその隙間をのぞきこんだ。
当のゴキブリ駆除剤に “自力で立ち上がる仕掛け” など存在しないのは、鑑識が確認済みである。
「では吉田さん。あなたは、この駆除剤に指一本触れていないと?」
「はい、絶対に触れていません」
「だったら、あなた以外の誰かが動かした。そうなりませんか」
「その可能性があるのは……体格的に言えばゆかりちゃんくらいですかね」
「ええと、ご家族ですか?」
「いえ、アシダカグモです。アシダカグモの足高ゆかりちゃん」
吉田氏が指さす方を見れば、なるほど、手のひらほどの大きさの蜘蛛が壁にへばりついていた。
「ただ彼女ね、動いているものにしか興味がありませんから。今回の犯人とはちょっと考えにくいですッ!」
警部補は肩を一つすくめて見せると、蜘蛛に向かって、
「あ~、お邪魔しています、足高さん」
そう律儀に挨拶してから、中年男に向きなおった。
「彼女の仕業でないとするならば、第三者がこの家に侵入した可能性が高くなりますが、心当たりは……?」
「うーん、ちょっと思いつきませんね」
警部補は、部屋の入口のドアを見た。
生意気にも、暗証番号式の電子錠であった。
「このドアの暗証番号を知っている人は、あなたの他にいますか?」
「いいえ、誰にも教えていません」
もちろん、プロがその気になれば、侵入手段はいくらでもあるだろう。
しかし、どんなに背後関係を洗ってみても、この貧乏中年男性にそれだけの価値は見いだせなかったのである。
警部補は、己の眉間に寄った深い皺を指でなぞってから、尋ねた。
「ん~、この駆除剤が正常な状態――つまり、寝かされた状態であったのを最後に見たのはいつですか?」
「ええと、9月30日の朝、冷蔵庫を開けた時には異常に気が付きませんでした。
お恥ずかしい話、この夏ゴキブリが出まして、ついつい隙間にヤツらがいないか、
確かめちゃうんですよねえ」
「ははぁ、そのお気持ち、お察しいたしますぅ。では、その次に冷蔵庫を開けたのはいつですか」
「お昼ご飯を作った時、正午くらいでしょうか」
「そのとき、駆除剤はどういう状況でしたか」
「……憶えていません」
その言葉を耳にした警部補は、芝居がかった調子で畳みかける。
「憶えていない! 憶えていませんか! 冷蔵庫を開けるたびに隙間を見ていたあなたが、その時だけ憶えていない。んっん~、おかしい。おかしいですよ」
「そんなこと言われても……料理に集中していたんです。集中すると、他の物事に注意が行かなくなる。子供の頃からそうなんです」
「……なるほど。ちなみに、その日のお昼は何を召し上がりましたか」
「そうめんと、それだけじゃさびしいから、シャ●エッセンをレンジでチンして食べました」
電子レンジは、冷蔵庫の上に設置されていた。
そして、電子レンジの上には、猫の額ほどの面積しかないにもかかわらず、物が所せましと置かれていた。
ゴミ袋のパック、輪ゴム入れ、サランラップ――
そのことを指摘すれば、吉田氏はこう答えただろう。
「キッチンが狭いから、しょうがないんですよ!」
果たしてそうだろうか? 単に整理整頓が苦手なだけではないのか?
この男、ずいぶんとガサツで、不器用な質のようである。
(続く)
※……ブ●ックキャップ
「置いたその日から1年間効く」らしいゴキブリ用駆除エサ剤。
縦 45 mm × 横 45 mm × 高さ 27 mmの円盤型。
いくら吉田サンでも、わざわざ斜めに立てかけて設置したりはしない。




