2025.9.4 鉄拳伝
【絶対にマネをしないでください】
【絶対にマネをしないでください】
【絶対にマネをしないでください】
大事なことだから、3回繰り返しました。
§ § §
江戸時代、平山子龍という豪傑がおりました。
彼は学者としても一流で、猛烈な量の読書をしたことで知られています。
当時の読書は、書見台(本を置く台)に本を設置して、それを音読するというスタイルが主流でした。
そのため、読書をする間は両手が空くわけですね。
すると子龍は、それがもったいないといって、床に敷いたケヤキの板を、ガツンガツンと拳で打ち付けながら本を読み進めるのです。
ある時、弟子がその理由を尋ねました。すると子龍は――
「こうして拳を固めれば、人間の胸板も打ち砕ける」
(ふぉぉぉ! カァッコイイー!!)
当時中学生だった私は、その言葉にえらく感動し、拳を鍛えることにしました。
なぜ? どうして? 今になって振り返ると理解しがたいのですが、中学生のメンタルなんて、だいたいそんなものです。
さて……。
暇を見ては自分の両の拳を打ち合わせたり、信号待ちのとき電柱を拳でコツコツ叩いたり。そうやって鍛錬を重ねるうち、だんだんと、固いものを殴っても痛みを感じなくなってきたのです。
(おお、鍛錬の効果が出てきたぞ!)
すぐ調子にのる吉田サン。どれくらい拳が強くなったのか確かめるため、分厚いコンクリートの壁に強めに一撃を加えたのです。
ずくぇゅし!
そんな、嫌な感触がしました。
激烈な痛みとともに、みるみる拳がはれ上がっていきます。
慌てて近所のタナカ整形外科に駆け込みました。
すると、私の手を診てくれたタナカ先生が言うわけですよ。
「おや? 吉田君、空手かボクシングやってたっけ?」
「や、やっていないですぅ」
「君の症状ね、いわゆるボクシング骨折ってやつなんだけど……喧嘩かい?」
当時はツッパリが跋扈するバイオレンスな時代でしたから、そう疑われるのも無理はありません。
しかし、事情を正直に話す気にはなれませんでした。
だって、絶対に叱られるじゃないですか。いやですよ。
だから、咄嗟に嘘をついたのですね。
「転んだとき、たまたまグーで手をついちゃったんですぅ、あはは」
「……ふーん、まあいいけど。たいがいにしときなよ」
あのときのタナカ先生の目は、鋭かった……さすがプロです。
そうしてギプス生活を余儀なくされたワタクシ。
普通の人間なら懲りるところですが――
「このままでは諦めんぞーッ!
コンクリ塀ごとき、いつか我が手で撃ち抜いてくれるわーッ!!」
そう決意しちゃったんです。
そうして、骨がつながった後も、鍛錬を続けました。
拳を苛めるのが、なかば癖となって幾星霜……
今では拳で釘が打てるんじゃないですかね。たぶん。
けれど、別にパンチ力があるわけじゃなくて、ただ固いだけですから、
「人間の胸板」とか「コンクリ塀」を撃ち抜くなんて真似はとてもできません。
さらには、日常生活ではまったく役に立たないんですよ。
唯一役に立ったのは、バイトで大量の段ボール箱を潰したときくらいなのです。
なんだかなあ……
この鉄拳に対する情熱を、何か別のものに費やしていれば、
もうちょっと生活も楽になっていたんじゃないかな……
そんなことを思わずにはいられない、秋の夕暮れなのでした。
どんどはれ。




