朽ちた木にも花が咲いていた
自分の能力で手に入れたものにのみ価値が生まれる
どうかしたのかい?
横を見るとおじいさんが外階段の踊り場の手すりにもたれかかって立っていた。多分私が気づかなかっただけで、ずっとそこにいたのだろう。おじいさんは短くなったタバコを踊り場の鉄板にすりつぶし新しいタバコに火をつけようとしていた。
私は偶然この人を知っていた.この人はビルの清掃員のひとりだ。
1週間前だっただろうか、いつものように残業をしていると「まだいらっしゃるとは思ってませんでした」と図太い声がして、「お構いなく。清掃よろしくお願いします」というと「いやー、うちの会社は信頼を大事にしているので、パソコンが使われている間は情報を見にしないようオフィスに入ったらいけないことになっているんですよ」と丁寧に答えられたことがある。体がずんぐりとしていてピチピチになった作業服が印象的だった。
私とおじいさんの目があい目、私は反射で目をそらし、何もなかったかのように階段を降りようとした。しかしそうはいかなかった。
おじいさんは再び「どうかしたのかい?」私は瞬時にいいえといった。おじいさんはハハッと笑うと何もないやつがこの階段を使うのかい、といった。私が口をつぐむと、こっちに来ないかと平然とした声でいってきた。
私が鉄板の外階段に足を踏み入れると、7月の昼下がり、強い日差しとともにビル群を突き抜ける強い風が顔をなめた。それは自由を連想させて爽快だった。
おじいさんは何も言わずにタバコを吸い出した。私は恐る恐るおじいさんの左少し後ろに立った。近くで見るとおじいさんの体は小柄な私より20センチくらい高くて胸板は厚く、捲し上げられた作業服の袖から見える腕は色黒で昔鍛えられていたような痕跡があった。ビルの風が強く吹いて向こうの道を通っている救急車のサイレンが聞こえた。その風はおじいさんの白髪交じりの髪をなびかせた。
おじいさんが話を切り出した。先月、嫁をなくしてな、仕事に身が入らんのだよ。私はなんの興味もわかなかったが、何故かと聞き返した。おじいさんは、疲れたのだろうなと曖昧な返事をし、嫁さんと出会ったのは…と話を続けた。
嫁さんと出会ったのは20年前だな。私は自衛隊に入っていたんだ。でも昇級試験に3回落ちて、年齢制限でもう受けれなくなって、辞めるしかなくなったんだ。俺はなんか誰かに自分を認めてほしくて、駐屯地から少し離れたスナックに入ったんだ。
入ったらそこには、自分と歳の離れていない女性がいたんだよ。俺は酒を飲んで愚痴を言ったんだ。そうするとそのママなんて言ったと思う?
後藤さんはもっと自分にあった職業を探すべきよ、あなた全く器用じゃあないんだから、て言ってきたんだよ。
その時はなんてスナックだと思ったよ。でも後々考えると確かにいくら努力しても自分に合うものにはならないな、って思ったんだよ。んでそれから、就職活動しながらスナックに通っているうちにだんだんと仲良くなって結婚したんだ。平凡で楽しかったな。ちなみに嫁さんがあなたは几帳面だからってこの清掃の仕事を勧めてくれたんだ。
おじいさんは流れるようにしかも楽しそうに独り言を話していた。
しかし、私はいくら努力しても自分に合うものにはならないと言うのが妙に心に刺さった。
おじいさんは自分に会う道を見つけたのだ。
私もおじいさんと同じように元ある道に軌道修正したのかもしれない。新卒で入ったこの会社は少し背伸びをして入った会社だった。目標を高く持ちそのためには自分を犠牲にすることを惜しまなかった。
しかし、目標の会社に入ってからが問題だった。それは、背伸びし続け自分を犠牲にする時間の始まりだった。
自分にこの仕事があっていないことに気づいたのは2年目からだった。後輩が入ってその後輩が自分より伸びていくのをみると気付かざる得なかった。または、少しずつ気づいていたがまだ私の努力不足だと思うことにして気づかないことにしていた、といったほうが正しいのだろう。
少し涼しくなった風が吹く、私は一息ついた。おじいさんは「ところで君はなんでここにいるんだ」とたずねた。私は気持ちを整理しながら少しずつ話した