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第八十五矢 善得寺の会談

 多恵の死から早くも四年の月日が流れた夏。

 駿河国では、激しく降り注いだ雨から一転して、雲一つない青空が一面に広がっていた。

 また、至る所に紫陽花(あじさい)が咲いており、花弁から雫が滴り落ちていた。


 その青空の下、俺は懐かしい寺にいた。

 駿河国・善得寺。

 俺が幼少期の頃に暮らし、北条との戦の際に焼失したこの寺は長き年月をかけ、再建を遂げていた。

 その善得寺の一室では、俺を含めた三人の男がそれぞれ用意された(ぜん)の前に座っている。

 後方には、今回の会談を推し進めた崇孚が控えていた。

 武田や北条と再び同盟を結ぶにあたって、今川が提案した三国間の当主同士の会談。

 数年にわたり各国の重臣たちが話し合いを重ね、ついに武田晴信、北条氏康、そして俺こと今川義元が一堂に会すことになったのである。

 そして、俺が会談の場所に縁の深い善得寺を推薦したのだ。

 厳かな空気が部屋内に流れる中、晴信が沈黙を破った。


「駿河はなかなかに賑わっておりますな。」

「そう言ってくれると嬉しい限りです。」

「ここへ向かう途中に寄り申したが、やはり港があるというのは羨ましゅうござる。」


 晴信は目を細めて、貿易などで栄えていた駿河の港町を思い出していた。

 その晴信に、定期的に文を送っている蓮嶺姫について俺が聞いた。


「それはそうと、蓮嶺はそちらで迷惑かけてないですかね?」


 すると、晴信は首を横に振った。


「とんでもない。蓮嶺姫はお淑やかで心優しく、評判が高うござる。梅も蓮嶺姫を姉のように慕っておりまする。」

「良かった。夫に夢中になりすぎて、周りの人に迷惑かけてないかなって心配で心配で…」

「ははは、どちらかと言えば息子の方が熱を上げておるから安心してくだされ。」


 晴信がそう笑って、今度は氏康に話しかけた。


「氏康殿、貴殿の武勇はわしの耳にも届いておりまするぞ。何でも大軍相手に果敢に攻め込んで勝利を収めたとか。」

「信濃を瞬く間に治めた貴殿ほどではありませぬ。」

「はは、謙遜を。」


 氏康は穏やかに微笑む。

 晴信は表向きはにこやかにしている反面、心の内では二人のことをじっくりと見定めていた。


(こやつも義元も、食えん奴だ…)


 一見すれば何気ない会話なのだが、二人とも晴信に一切隙を見せていない。

 要は信用はすれども、信頼はしてないのだ。


(まあ、それはわしも同じか。)


 晴信はフッと小さく笑い、氏康に頼んだ。


「氏康殿、どうか梅を頼みまするぞ。」

「うむ、梅姫は我ら北条が丁重に出迎えよう。」


 それに氏康は律儀に返答すると、俺の方を見た。


「では兼ねてより申し合わせた通り、我が娘を氏真殿に嫁がせるということでよろしいな?」

「これで俺たちの繋がりが深くなれば、こちらとしても願ってもない話です。」


 俺と氏康は縁談についての最終確認をして、氏康が俺に駿府館に身を置く自身の息子のことを聞いた。


「ところで、我が息子は息災でござるか?」


 縁談成立当初、早姫はまだ幼少で嫁入りをできる歳ではなかった。

 そこで氏康は早姫の代わりに北条氏規(うじのり)を人質として駿府館へ送り出したのだった。


「ええ、すごく元気ですよ。俺の母もめっちゃ可愛がってますし。」


 というのも、氏康の妻である瑞花姫は俺の妹でかつ寿桂尼の娘なのだ。

 ゆえに、寿桂尼にしてみればわざわざ隣国から来た孫が可愛くて仕方がなかった。

 俺の言葉から語られた息子の様子に、氏康はホッと一安心したようだった。


「ま、ということで俺は尾張、晴信君は信濃、氏康君は関東。お互いに目標達成に向けて仲良くしていきましょう。」

「うむ、この盟はただの盟に非ず。我ら三国協力し、より豊かな国へとしていこうではないか。」


 晴信が俺に同調して、氏康も三国同盟への本心を口にした。


「この盟が末永く続くよう祈るばかりですな。」


 三人は手を携えて、改めて強い結束を固めた。

 かくして、前代未聞な大国の当主たちによる会談は無事に終わったのだった。

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