第四十七矢 舟の行く末
松平竹千代の護送日、岡崎城では松平広忠が自分の息子を見送っていた。
「竹千代、達者でな。」
広忠は淡々としていたが、息子に対して何もしてやれない自分のやるせなさからか少し腕が震えていた。
竹千代はそれを見た上で、
「はい、行って参ります。」
と、泣きたいのを我慢してニコリとした。
この日、竹千代の護送を請け負ったのは、三河国に深い縁がある戸田康光であった。
戸田家は代々三河国の渥美半島にある田原城の城主を務めており、かつては渥美半島一帯を支配していた。
しかし、東の今川や西の松平の力には勝てず、現在では今川に服従していたのだった。
また松平とは婚姻関係を結んでおり、康光の娘を広忠の妻として再婚させた。
広忠は康光に頼んだ。
「義父上、竹千代をよろしくお願いいたす。」
「わかっておる。心配せずとも我が主は優しき方じゃ。悪いようにはなるまいて。」
康光はニコリと竹千代に微笑みかける。
「ささ、では駿府へ行くとするかの。」
竹千代の康光一行は岡崎城を出発した。岡崎城から歩いてしばらくして、渥美半島に差しかかった。そして渥美半島の浜辺まで行くと、あらかじめ舟が数隻用意されてあった。その一つに康光と竹千代は乗り、舟は海へと漕ぎ出した。
(この向こうに駿府が…)
竹千代は不安げに遙か彼方の水平線の向こうを見ていた。
舟はゆったりと進んでいた。
舟が浜辺に到着して、康光一行はさらに歩く。
そうして、ようやく康光一行は城にたどり着いた。
城内に入り、大広間で竹千代と康光の二人で待っていると髭を生やしてギラついた目をしている男が竹千代の前に現れた。
(この方が義元殿…?)
竹千代が少し疑念を持っていると、先ほどの好々爺ぶりが一転して冷たい眼差しを向けて康光がたしなめる。
「頭を下げよ。この方こそ織田信秀様にあられるぞ。」
“織田信秀“と言葉を聞いた竹千代がバッと康光の方を見る。
織田信秀。
その名前は幼い竹千代でも知っている。
松平・今川と対立している尾張国の国主の名だ。
「じじ様、まさか…」
竹千代が絶句するも、康光は竹千代の方を見向きもしない。
すると、信秀が口を開いた。
「うむ、ご苦労であった。褒美を遣わそう。」
信秀はそばにいた側近に指図をすると、康光の前に大金が差し出された。
「おお、こんなにも…」
康光は目を輝かせる。
「下がってよいぞ。」
「はっ!」
康光は嬉嬉として大広間を後にした。
その様子を信秀は呆れて見ていた。
「ふん、金で主君を変えるとは下品な男だ。」
そう、康光は織田と通じて竹千代を信秀に引き渡したのだ。
それから数日後―
「さすがに遅くない?山賊にでも襲われたのかな?」
俺は数日経っても未だに来ない竹千代を心配していた。そばにいた吉田氏好は俺を落ち着かせるように言う。
「竹千代の護送は戸田康光ら多数の兵を遣わしているはずでございます。山賊ごときが太刀打ちできるとはとても思えませぬ。」
すると、ドタドタと慌ただしい音が聞こえたと思ったら、一人の伝令が大広間に駆け込んできた。
「何があった。」
氏好が聞くと伝令は冷や汗を流しながら言った。
「戸田康光めが織田と通じ、あろうことか竹千代を織田へと引き渡したもようです!」
部屋内がザワッとざわめいた。
俺は少しの間、硬直したのち口を開いた。
「……それ本当?」
「確かかと!」
「あの爺めが叩き殺してくれるわ!」
事実と聞くやいなや、たまたま居合わせた岡部親綱が立ち上がり激昂した。
「まあまあ、落ち着いて落ち着いて。」
俺が咄嗟に親綱をなだめると、親綱はドスンとその場に座った。
場が一旦は落ち着いたのを見計らって氏好が俺に言った。
「して殿、戸田をいかがいたしましょう。」
「うん、こっちも裏切り者を無罪放免にしてたら示しがつかないからね。徹底的にやるよ。」
「はっ!!!」
俺は家臣たちに戸田康光及び一族の掃討を命じて、大軍を康光が籠もる田原城へと差し向けた。




