第三十矢 春の訪れ
春の到来と共に、今川家を取り巻く情勢は季節のように移り変わっていった。
まず関東では、北条軍の侵攻の際に援軍を送ってくれた扇谷上杉家の当主・上杉朝興が病を克服できずに死去してしまった。
これに伴い、扇谷上杉家では新当主・上杉朝定が誕生した。
この一連の事態を喜んだのが北条氏綱である。
河東の地を手に入れ、勢いに乗っていた北条家とって長らく脅威であった朝興の死は勢力拡大において、さらなる追い風となったのだ。
また対立の後、協調関係を築いていた扇谷上杉家と山内上杉家の関係も再び冷え込んでしまった。
これによりしばらくの間、この三者に加えて足利将軍家の血筋を引く古河公方家による覇権争いが激化していく。
甲斐国では、武田家が本格的に北方の信濃国への進出を始めた。が、家臣の間では凶作による飢饉が起こっているのにも関わらず、ろくな対策をせずに戦に明け暮れる武田信虎に対して日に日に不信感を募らせていた。
そして、今川家が進出を企てる三河国では織田家の影響力が強まってきていた。
こうした中、今川家は平穏な日々を過ごしていた。
そしてこの春、今川家ではとてもめでたいことがあった。
多恵が懐妊したのだ。
それを受けて、駿府館はおめでたい空気に包まれていた。
もちろん俺と多恵もおおいに喜んだが、俺たち以上に喜んだ二人の親がいた。
「わしに孫ができる…これは近々会いにいかねば!」
多恵からの文を読んで喜びで文を持つ手が震えているのは、多恵の父である信虎であった。
信虎は喜びのあまり、まだ生まれる前だというのにどちらの性別の子が生まれてきてもいいように、男女両方の子供服を大量に贈ってきた。
そして、同じく孫が生まれることを楽しみにしている人がもう一人。
「初孫…私の初孫…」
義元の母である寿桂尼である。寿桂尼は初孫ということもあり、最初は実感が湧いていなかったが徐々に実感が湧いてくると、健やかに生まれてくるよう何度も浅間神社に参拝して安産祈願を願った。
かくいう俺たちも初めての子供ということで、どうか無事に生まれてくるようにと、寿桂尼と共に浅間神社を参拝した。
妊婦となった多恵は安静に部屋で過ごしていた。俺はそんな多恵と信虎から届いた文を読んでいた。読み終わると、多恵はクスッと笑った。
「父の喜んでいる姿が目に浮かびますなあ。」
「信虎さんって昔からこんな感じなの?」
「はい、父は昔から子供が大好きで、私が生まれた時も涙を流して大喜びしていたと聞いておりまする。」
「へぇ~、子供想いのいいお父さんじゃん。」
「自慢の父にございます。」
俺は改めて自分が父になることを実感した。
「そっか、俺もパパになるのかー。俺、信虎さんみたいないいお父さんになれるかな?」
「殿ならば、きっとこの子の見本となる父になれますよ。私が保証いたしまする。」
「見本になれるように頑張りますわ。」
俺がそう宣言すると、
「頑張ってくださいませ、殿。」
多恵はニコリと微笑んだ。
そして自身のお腹を優しくなでると、
「そなたも元気に育つのですよ。」
と、愛おしそうにお腹の中にいる我が子に語りかけた。




