第二十九矢 生と死の狭間で
その日、俺はいつも通りの朝を迎えていた。ふとんから起き上がり、顔を洗い、多恵と朝食を食していた。
そして朝食を食べ終えたその時、俺はドタッと突然倒れてしまった。体がもの凄く熱い。
小姓たちは二、三人がかりで俺を俺の部屋へと運んだ。
高熱は四日経っても治まらず、俺の意識は朦朧としていた。多恵は自身が病にかかる可能性があるにも関わらず、付きっきりでそばにいてくれた。
この四日間、今川家専属の薬師が様々な薬を処方するも、俺の病が一向に治る気配がなかった。
「奥方様、こちらへ…」
薬師は深刻そうな表情を浮かべながら、多恵を部屋の外へと誘導した。
多恵は不安そうに薬師に聞く。
「薬師殿、殿の病は治りましょうか。」
「手は尽くしましたが、これはもう…」
「そんな…何とかならぬのですか。」
多恵は絶句して薬師に訴えかけるが、薬師は横に頭を振った。
「残念ながら…」
そんなやり取りがかすかに耳に聞こえながら、俺は意識を失った。
「ん…」
再び目を開けると、俺の体は真っ赤な花々に埋もれていた。今まで重かった体が軽い。
「ここは…」
起き上がってみると、辺り一面には彼岸花が咲き乱れていて、すぐ目の前には澄んだ川が流れていた。
俺は悟った。
ここはあの世とこの世の境目なのだと。
不思議と俺はそのことに落ち着いていた。
「この川がが三途の川かー、今まで血が流れているんだと思ってたなあ。」
俺が三途の川を眺めていると、
「ここにおったのか。探したぞ。」
横から人の声が聞こえてきた。
声のしたほうを見ると、一人の壮年の男が俺に近づいてきた。
「…えーと、誰?」
「なぬ!せっかくここまで迎えに来たのに、おぬしは父の顔を忘れたのか!」
「確か…氏なんちゃらさん?」
男は呆れると、自ら名乗った。
「……もうよいわ。今川氏親。おぬしの父の名だ。よう覚えておくがよい。」
氏親は俺を川岸の木船のところまで連れて行った。
「では、行くぞ。」
氏親たちは俺を木船に乗せようと俺に手を差し伸べた。
俺はその手を取らない。
「…どうした。」
氏親がそう聞くと、俺は氏親に謝った。
「ごめん。俺はまだそっちにはいけない。」
「なぜじゃ?」
「…俺のことを待っている人がいる。その人のためにもまだ死ぬわけにはいかない。成し遂げたいこともあるし。」
「成し遂げたいこと?」
「天下統一。」
氏親はポカーンとした後、
「…冗談か?」
と聞くが、義元の眼差しを見てそれが本気だと察した。
「ガハハハそうか!それならば、確かに死にきれぬなあ…わかった。なれば、今川の当主としてその命が尽きるまでやり切るがよいわ!」
すると、
「殿!」
という声が響きわたった。
「どうやら、おぬしを待っている人が呼んでおるようじゃな。」
「多恵…」
「さあ、おぬしはあるべき場所へと帰るんじゃ。そろそろわしに孫を見せるのじゃよ。」
そう氏親が言うと氏親の姿が消えて、辺りは光に包まれた。
「殿!殿!死んではなりませぬ!」
部屋では、多恵が大粒の涙を流して必死に義元に呼びかけ続けていた。
多恵と薬師が再び部屋に入った時、義元は意識がなくなったのと同時に息が止まっていたのだ。
すると、義元から弱々しいが呼吸音が発せられ始めた。
「と、殿が息を!」
すると次の瞬間、俺はうっすらと目を開けた。
目の前には涙を流している多恵の姿があった。
「……多…恵…?」
多恵は思わず、義元を抱き締めた。
「よかった…真にようござりました…!」
「うん、心配かけてごめん…」
俺もまた多恵を抱き締める。
一方、薬師は義元が息を吹き返したことに驚いていた。
(信じられぬ、奇跡としか言い様がない…!)
その後、俺の体調は順調に回復していき、俺と多恵は駿府館の庭園内を散歩していた。
「そういえば、あの時誰かと話していたんだよね。誰だったかなー」
「今川のご先祖様が殿を死から救ってくださったかも知れませぬね。」
「確かに先祖さんかも。」
そして季節は変わり、鶯の鳴き声が聞こえる春が訪れた。




