第十八矢 終結
「はぁ、はぁ、はぁ…」
息を荒げながら、落城した花倉城から逃げ延びる一人の男がいた。
(なぜ、このわしがこんな目に会わねばならぬのじゃ!わしは天に選ばれし者ではなかったのか!?)
そう、涙目になっているこの男は今川氏親の三男であり恵探軍が大将、玄広恵探だった。
花倉城が義元軍に包囲されてまもなくの頃に、恵探は義元軍のほぼ隙間のない包囲網から抜け出すため、馬を下りて花倉城西側の義元軍が包囲できない険しい山々を越えていった。
道中で何度も命の危険があったが、奇跡的に険しい山道を越えることができ、今は森の中を捕まってなるものかという一心で、ただひたすらに走っていた。
走って走って走り続けると、少し開けた場所で静かに佇んでいる寺院にたどり着いた。人の気配はない。
「もう疲れた、ここに身を隠そう。」
身も心も疲れ果てていた恵探はその寺院の建物の中に入り休息を取ることにした。
(まさかあれほど嫌いだった寺に身を隠すことになろうとは…)
恵探は嫌悪感を示しながらも、追っ手の目から逃れるために寺院に息を潜める。
「恵探はどこじゃ!」
一方、義元軍は恵探軍の大将である恵探を花倉城の至る所を探していたが、一向に見つかっていなかった。
「うーん、こりゃ包囲網を抜け出されているっぽいな。」
俺がそう言うと、そばに仕える吉田氏好が私見を述べた。
「おそらく、恵探は西側の険しい山々を超えていったのでございましょう。」
俺はそれを聞いて命令を下した。
「じゃあとりあえず、西の方を重点的に探していきましょ。」
氏好は俺に誓う。
「はっ!必ずや探し出し、恵探の首を殿に捧げまする。」
「いや、なるべく恵探は生け捕りにして。」
「生け捕り…ですか?」
「うん。さすがに戦国時代とはいえ兄弟を殺すのは目覚めが悪いからね。まあある程度の処分はするけどさ。……やっぱダメかな?」
「いえ、殿の命ならば従いまする。」
氏好は少し不満そうだったが、俺の命令に従ってくれた。
寺院に身を潜めてからしばらくの時が過ぎた頃、
「まだ遠くに行ってないはず!早う探しだせ!」
荒々しい声が恵探の耳に聞こえてきた。
そうこうしているうちに義元軍の兵らは恵探が身を隠している寺院まで迫ってきていたのだ。
しかし、恵探は山越えで疲労の限界に達していて、その場から動けなかった。
そして、ついに恵探が潜む建物へと義元軍の兵たちが中に入ってくる。
花倉城の付近にある人気のない寺院にいる、ボロボロだがどこか高貴そうな雰囲気がある男。
兵はすぐに目の前にいる人間が恵探だと気づいた。
「そやつを生け捕りにせよ!」
恵探はその言葉に驚いた。
(こやつは今、“生け捕り“と言ったのか…?)
ならば、義元に助命嘆願すれば命は助かるやも知れぬ。
恵探は一瞬そういった考えが頭に浮かんだが、途端に顔を歪める。
「なぜこのわしが芳菊丸ごときに頭を下げねばならぬ…!」
恵探の誇りが義元に頭を下げることを許さなかった。恵探は命よりも自身の誇りを選んだのだった。
兵らが恵探を捕らえようと近づいてくる。
「来るでない!」
恵探は声を張り上げると、念のために懐に忍ばせていた小刀を取り出した。
「わしは天に選ばれし者!芳菊丸に頭を下げるなど、こちらから願い下げだわ!」
兵たちが恵探を止める前に、恵探は自らの腹にその小刀を突き刺した。
ドサッと恵探はその場に倒れる。
「このような結果はわしは認めぬ、わしは天に選ばれし………」
恵探の目から涙がこぼれ落ちる。
「御爺ぃ…」
恵探は一人、孤独を覚えながら死んでいった。
玄広恵探自害―これにより今川家の家督争いは終結したのである。




