第十七矢 夢見た少年
幼い頃、父は遠江国への侵攻の際に命を落とした。父について聞くと、皆は口を揃えて立派なお方だったとわしに言うが、果たしてそうなのだろうか。
確かに父は忠臣だったのだろう。今までの安泰な世ではそれは武士のあるべき姿だ。
だが、今は乱世。この下克上の世ならば重臣という地位に満足せず、我が福島家はより高みへと目指すべきではないのか。
見渡す限り広がる草原に仰向けになって、雲一つない晴天をボーッと見ながらわしは思うのであった。
久能城に囚われていた寿桂尼は、城の騒がしさから義元軍が久能城まで押し寄せていることを悟った。
騒がしい音が落ち着いてしばらく、複数の兵を引き連れて息子の義元が寿桂尼の前に姿を現した。
「母ちゃん、迎えに来たよ。」
義元が手を差し伸べる。
(この子はこんなに大きかったのだろうか。)
かつて、家督を継いだばかりの氏輝は幼い上に病弱だった。だからこそ、私が補佐せねばならなかった。
それは芳菊丸になっても同じはずだった。僧侶になったばかりの子供を私が補佐していかねばならないと先ほどまでは思っていた。
当然だが、雛鳥はいつか若鳥となるように人間も子供からいつかは大人となる。
今、寿桂尼の目の前にいるのは芳菊丸ではない。そこにいるのは今川家当主・今川義元だった。
寿桂尼は気づく。
私が補佐する必要はもうない。
この子は私の手からすでに羽ばたいたのだと。
寿桂尼はうれしいような、そして寂しいような感情がこみ上げてくる。
「そうでしたね、あなたはもう“今川義元“なのですね―」
寿桂尼は義元の手を取った。
久能城を落とした後、義元軍は恵探軍側の降伏や寝返りにより、ほぼ抵抗という抵抗はなく城を落としていった。
そして、義元軍は恵探軍最後の城―花倉城を二重三重に包囲し、籠城戦が開始された。
「かかれぇー!」
岡部親綱を先頭に兵力差で優る義元軍は次々に花倉城の主要施設を攻め落としていく。そして、義元軍は恐らく恵探軍と最後の戦になるであろう、本丸攻めにとりかかる。
二の丸には多数の義元軍の兵が本丸を攻めようとなだれ込む。
そんな中で、福島正成は恵探軍最後の抵抗として二の丸にて奮戦していた。
攻め入る義元軍の兵らを斬り倒し、義元軍を本丸へ寄せつけない。すると三度、本丸への突破口を開こうと親綱が正成の前に立ち塞がった。
「……ここまでくると呆れしかないわ。」
「福島正成、いざ尋常に勝負!」
今川家きっての武勇を誇る両者が激突した。
親綱が正成を追い詰めれば、正成が意地で押し返す。
「まだ夢を諦めぬわけにはいかんのだ!」
親綱は正成の重みのある一撃に反動で後退した。
(やはり強い…!だが、あの方の矛としてわしは…!)
「わしはここでおぬしに勝たねばならぬのじゃ!!」
親綱は鬼気迫る勢いで正成に迫った。
正成はそんな親綱にかつての自分を思い出した。
あの頃、福島家の家督を継いでからというものの、下克上の野望を抱きながら必死に戦場を駆け回っていた自分。いつの間にか今川氏親という光に惹かれて、皮肉にも父と同じ忠臣となっていた自分。そして、敵でありながら氏親と同じものを感じた義元。
(ああ、そうか。こやつは若き頃のわしじゃったか。)
正成にもう力は残っていなかった。
「敵わんのう。」
正成は天を仰ぐ。
空は雲一つない晴天であった。
福島正成、花倉城の二の丸にて討ち死にす―
実質上の大将を失った花倉城は瞬く間に本丸まで攻め込まれて、落城した。




