第九十五矢 勝負の行方
今川と吉良の戦は、吉良軍の前進により新たな局面を迎えんとしていた。
そんな最中、最前線では二人の将が対峙していた。
その内の一人である仁木常勝は、前方を睨んでいる。常勝の頬を冷や汗がつたる。
「なるほど…まさしく鬼じゃな。」
常勝の目線の先には、岡部元信が槍を構えていた。
先ほどとは、明らかに様子が一変した。
場の緊張がさらに高まり、元信の気迫がどんどん増していくのを肌で感じる。
常勝の手が小刻みに震える。
武者震いか、畏怖からか。
ただ一つ、常勝に分かっていたのは、得体の知れない化け物が目の前にいるということだった。
常勝は大きく息をつく。
「仕方ない、褒美のためにももう一踏ん張りするとしようか。」
常勝は再び槍を構え、目の前の敵に集中した。
馬や兵らが駆ける足音が戦場に鳴り響く。
先に動いたのは、元信だった。
元信は猪のように常勝へと突進する。
「おおおおおお!!!」
死してもなお、今川のために戦い続けんとする信念。
ただその信念のみが元信を突き動かす。
対して常勝は、未だに一歩も動かない。
だが、元信から一切目を離さず、すでに臨戦態勢に入っていた。
(褒美褒美褒美褒美褒美褒美………)
常勝は自身に暗示をかけ、元信を一撃で葬り去ることに意識を集中させる。
両者の距離がみるみる縮まっていく。
そして元信が常勝の懐に入ったその時、常勝が渾身の一撃を放った。
その突きはとても素早く、一直線に元信の首へと向かう。
(避け切れぬ…!)
そう確信した元信は、咄嗟に左腕を前へ出した。
次の瞬間、激痛が走った。
元信の左腕に槍が貫通したのだ。
左腕から血が滴り落ちる。
だが、痛がっている暇はない。
元信は痛みを堪えながらも、右腕で槍を振るった。
それに応戦しようと、常勝は槍を元信の左腕から抜いた。
(まさか防がれるとは…)
元信を葬り去ることができず、若干動揺が出たのか、少し反応が遅れた。
それでも、何とか元信の攻撃を受け止めた。
再び両者の槍がぶつかり合う。
力では、元信が優っている。
(まだこれほどの力を…!)
常勝も負けじと押し返そうとするが、元信が強引に槍を振りきった。
その反動で常勝が数歩後退する。
そこで、元信は間髪入れずに常勝との距離を詰め、槍を振るった。
一瞬の出来事であった。
強く無慈悲な一撃が常勝を襲った。
常勝は衝撃に耐えきれず、落馬した。
常勝の胸から鮮血が溢れ出た。
そこで、ようやく自覚する。
自分が敗れたということを。
最期に常勝はボソリとつぶやいた。
「大河内の口車になんぞ乗るべきでなかったな…………」
そうして、元信が常勝を討ち取ったのだった。
しかし、喜びもつかの間。
その直後のこと、吉良軍がついに前線へと到着したのだ。
吉良軍は三つに別れ、その内の二つの軍勢はそれぞれ今川軍の側面に回り込んだ。
そして、もう一つの軍勢こと水野信元や吉良家一門・荒川義広らが率いる兵たちが常勝の軍勢と合流した。
これにより、今川軍は三方面からの攻撃を受けることになった。
結果的に、元信はさらなる苦境に追い込まれたのだった。
まさに、絶対絶命。
しかし先ほどから、元信は微動だにしない。
そうこうしている内に、数人の敵兵が元信に襲いかからんとしていた。
槍先の刃が元信の身体へと迫る。
その時、元信の目がカッと開き、一気に吉良兵らをなぎ倒した。
その目は死ぬどころか、生に満ち満ちていた。
元信は戦場に響き渡るような大声で、自軍の兵たちに呼びかけた。
「皆の者!我についてこい!!」
「おおおおおっ!!」
次の瞬間、元信とその近くにいた今川兵らが目の前の軍勢へと突っ込んでいった。
他の今川兵も遅れまいと元信らの後に続く。
元信が標的にしたのは、水野の軍勢であった。
左腕にはかなりの深傷を負っており、身体はもはや満身創痍だ。
にもかかわらず、元信は次々に敵兵を倒していく。
元信が次に見据えるはただ一つ。
水野信元の首のみである。
「我が殿の元へは行かせんぞ!」
水野兵らは必死の形相で、今川兵らを食い止める。
対する今川兵も、水野兵を倒して前へと進んでいく。
両者共に譲れぬ、一進一退の激しい攻防が展開されていた。




