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第6話 潰れかけの宿屋

深いの森の入り口にたたずむ、小さな宿屋・ヤドリギ亭。

1年前にイヴァンが開いた宿屋で、開店当初は旅人が時折訪れ、5部屋ある客室はそれなりににぎわっていたという。


──しかし。ここ半年の宿帳簿を見て、アーニャははぁ~と大きなため息をつき、頭をかかえた。


「来客ゼロって……マジですか……」

「マジだ」


イヴァンは言葉少なにそう言って、苦笑する。アーニャは見事にマイナスが続く帳簿を眺め、思わずつぶやいた。


「よく破産しませんね……?」

「まあ、多少の蓄えはあるからな」


イヴァンは言葉を濁したが、どうやら金銭的には困っていないらしい。それを聞いて、少しだけホッとする。


──ともかく、今日明日にも破産ってわけではなさそう。多少は罪悪感が和らいだけど、それにしても……


「なぜ? どうして? こんなに清潔で可愛くて、居心地のよい宿なのに……?」

「まぁ、もともと辺鄙な場所だからな」


言われてみれば、ヤドリギ亭の周りは森に囲まれており、城下町の中心部からは少し離れているようだ。特に観光地というわけでもないようだし、なぜこんな微妙な立地に宿屋を開業しようとしたのか。コンサル会社のアナリストとして、潰れかけの飲食店を建て直す案件に携わったことのあるアーニャとしては、余計なお世話だとわかっていても、つい口を出さずにはいられない。


「それじゃ、そもそも立地調査不足というか、マーケティングを間違ってるじゃないですか! なぜこんな場所に宿屋を? ちゃんとコンサル入れましたか!?」

「コンドル……? よくわからんが、この森の奥に、神聖な山として崇められているヴィソーカヤ山に続く山道の入り口があるんだ。ごくたまにそこを訪れる巡礼客を相手に細々商売するつもりだったんだが……」

「じゃあ、もともとそんなに儲ける気はなかった、と……?」

「ああ。そもそもほかに従業員もいないしな」


──引退後に趣味で始めました、みたいなノリね!? もしかしてイヴァンさん、スタートアップを億でバイアウトした若手CEOみたいなタイプ!?


脳裏に、六本木あたりで豪遊してそうなチャラついた若者の姿が浮かぶが、どう見ても目のまえにいる無骨で世話好きなイヴァンとは別人種だろう。


「いやいや、もったいないですよ。イヴァンさんの料理、めちゃくちゃ美味しいのに! もっとたくさんのお客さんに、味わってほしいです」


アーニャが勢いこんで声を上げると、イヴァンは驚いたように目を見開き、頭をかいた。


「……たまたま、おまえの口には合ったんだろう」


2メートル近い大男が、料理の腕を褒められて照れている図、というのもなかなか可愛らしい。

ニヤニヤと見守られていることに気づいて、イヴァンは慌てて顔をしかめてみせた。


「まぁともかく、そういうわけでうちには手伝ってもらうような仕事はほとんどないんだ。だからあまり気にしないでくれ」

「そういうわけにはいきませんッ」


駆け出しとはいえ、現代日本では大手コンサル会社のアナリストとして真面目に働いてきたのだ。目の前で赤字を垂れ流している、潰れかけのホテルを放っておくことなどできない。アーニャは慌てて拳を固め、立ち上がった。


「お客さんを集めましょう! ヤドリギ亭を、オーベルジュとして売り出すんです!」

「……すまん、何ルージュだって?」

「オーベルジュ! 料理を目当てにお客さんが訪れるような、レストラインメインのプチホテルのことです!」


ドヤ顔で宣言したアーニャに、イヴァンは少し考える顔をしてから、ふっと小さくため息をついた。


「いや、それは無理だろう」

「やる前から諦めてどーするんですかっ」

「諦めるというか……何しろうちには、“前科”があるからな……」

「へ?」


聞き取れずに首をかしげるアーニャに、イヴァンは小さく首を振って、それ以上は話してくれなかった。

なにはともあれ、とアーニャは勢いよく立ち上がる。


「まずは客引きです、客引き!!」


まったく乗り気ではなさそうなイヴァンをなんとか説得し、アーニャは即席で作った「まごころ接客、宿屋あります」「お客様感謝祭! 今なら1泊料金で2泊ステイ可!」という看板を手に、町の中心部へと続く街道へ向かったのだった。



***



「……人が通りませんね……」

「まあ、辺鄙なところだからな」


看板を手に街道の脇に立ち始めて、すでに1時間は経過しただろうか。

アーニャは深くため息をつき、切り株の上に腰かける。当初は走り回ってはしゃいでいたキリルも、すっかり飽きてしまったようで、アーニャの足元に座りつまらなそうに鼻をならしている。

吹き付ける風は冷たいが、晴れ渡った空に太陽が輝き、雪道に反射して眩しいくらいだ。


「もう少し、町の中心部のほうへ行ってみましょうよ」


アーニャが言うと、イヴァンは眉根を寄せて首を振る。


「……いや、この辺までにしておこう」

「え~! でも、全然人が通らないじゃないですか。せめて、もう少し先で客待ちしませんか? 村があるみたいですし」


『カムリ村まで2キロ』という標識を指さしてみせると、イヴァンはますます険しい顔になった。


「いや……それは……」

「……くしゅんっ」


イヴァンの言葉をかきけすように、アーニャの大きなくしゃみが響く。イヴァンはおかしそうに眉を上げ、自身が着ていた毛皮のコートを脱いでアーニャの肩にかけてくれる。


「大丈夫か?」

「わ、私は大丈夫です!! イヴァンさんが風邪ひいちゃいます……」

「俺は問題ない」

「でも……」


遠慮するアーニャを押し切って強引に毛皮を巻き付けると、イヴァンは「毛布を取ってくるから少し待ってろ」とヤドリギ亭へ戻っていった。

その背中を見送ってから、アーニャは改めて周囲を見回す。……見事に、誰もいない。


「やっぱり、ここで待ってても仕方ないよなぁ……」


アーニャはつぶやき、足元にうずくまっているキリルの頭をなでる。


「ねぇ、キリルはどう思う? 人がいないところで客引きしたって、無意味だよね?」


キリルが、黒く濡れた瞳でアーニャを見上げ、ワン、とつまらなそうに吠えた。


「うんうん、そうだよね。もっと積極的な施策を打ち出さないとね!?」

「ワン!」

「イヴァンさんはなぜか渋ってたけど──カムリ村、行ってみますか!」

「ワンッ!」

「よし、多数決で決定!」


キリルを相手に都合の良い投票結果を捏造すると、アーニャは看板を手に立ち上がる。


──細々と商売したいイヴァンさんにとっては、とんだお節介かもしれない。……だけど、やっぱりヤドリギ亭の良さ、イヴァンさんの良さをもっとたくさんのお客さんに知ってほしい!


そして気合を入れなおすと、ヤドリギ亭のある森からほど近い隣村──カムリ村へ向かって、歩き出したのだった。

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