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第4話 雪イチゴの収穫

「イヴァンさーん、痛い、痛いです~!!」

「ああ、ほら、手を見せてみろ」


雪イチゴ摘みを始めて、そろそろ1時間も経っただろうか。

アーニャは涙目で、情けない声を出しながらイヴァンに向けて真っ赤に腫れた手を差し出す。イヴァンは困ったようにその手を取って、ひとつひとつ丁寧に刺さった棘を抜いてくれる。──このやり取りも、すでに10回以上繰り返している気がする。


「無理しなくていいんだぞ。あとは俺がやるから、アーニャは座って休憩していてくれ」


気づかわしげなイヴァンに諭されるように言われて、アーニャはぐっと唇を噛み締める。


──武士に二言はなし!! 日本人の根性を見せつけるのよ、杏奈!!


「いやっ、やります! やらせてください!!」


涙目で懇願するアーニャを見て、イヴァンはますます困ったように眉を寄せた。


「気を付けるんだぞ。何度も言ったが、雪イチゴはヘタの裏に棘があるからな。棘が刺さらないように気を付けて、果実をひねって収穫するんだ」

「……はーい」


頭では理解しているものの、不器用なアーニャはつい手が滑って、先ほどから何度も棘を指に突き刺しては悲鳴をあげるハメになっていた。


──まさかイチゴに棘があるなんて、思わなかったんだよぉ……。



***



朝食の後。

毛皮のケープと毛皮の長靴、頭には毛皮の帽子という完全防備のアーニャをイヴァンが連れていったのは、宿屋からほど近い森の中だった。


「この森の奥に、雪イチゴがたくさん生えているんだ」

「へぇ、雪イチゴって野生植物なんですね」


現代日本でも、イチゴ狩りに出かけた経験は何度かあるが、いずれもイチゴたちはビニールハウスの中で大事に育てられていた。


──雪の中で育つ野生のイチゴ。どんな味なんだろう。


胸をときめかせながら、大きな籐製のカゴを手に雪の中をかきわけて進むと、やがて背の低い茂みの中に赤い果実がぽつぽつと見えてきた。

イヴァンが、収穫のお手本を見せてくれる。


「いいか、こうやって指でつまんで、くるっと回して果実だけ穫るんだ。ヘタの後ろにはびっしり棘が生えているから、触れないように注意しろよ」

「はいっ、わかりました!」


……と、元気よく返事をしたものの、間もなくアーニャは最初の悲鳴を上げることとなった。


「い、いった~い!!」


そもそも、雪の中から果実だけをピンポイントで取るのが案外難しい。イチゴを見つけても、雪を払っているうちにいつの間にか棘が指にささっていたりする。

さらには、果実の表面がツルリとした平面になっているため、力を入れて握ると指がすべり、勢いあまって棘に達してしまう。


──うう、こんなにイチゴを摘むのが難しいとは……。


とはいえ、さすがに数時間が経過すると、アーニャも雪イチゴ摘みのコツをつかんできた。指先に力を入れて、表面を慎重に掴み、素早くひねる。慣れてくるとリズムに合わせて果実を摘めるようになり、思わずアーニャは鼻歌をうたっていた。


「おら異世界さ~いくだぁ~♪」

「聞きなれない歌だな」


ふいに背後に立っていたイヴァンから声をかけられ、アーニャはびくっと体を震わせた。


「い、い、い、イヴァンさん! いつの間に、背後に……」

「すまない、驚かせたな」


アーニャの反応を見て、イヴァンはおかしそうに目元をやわらげ、彼女がさげているカゴの中を覗き込んだ。


「おっ、結構収穫してくれたな。最初はどうなることかと思ったが……」

「へへへ、根性だけは負けませんよ」


アーニャのカゴは、半分ほどイチゴで埋まっている。自慢げに胸をはったアーニャだが、イヴァンのカゴがイチゴで満杯になっていて──しかも、満杯のカゴを二つも腕に下げていることに気づき、口をつぐんだ。


「これだけ獲れば十分だろう。そろそろ戻るか」

「はいっ」


アーニャの返事に合わせるように、キリルが嬉しそうにワン!と吠える。


「このイチゴは、どうやって食べるんですか?」

「雪イチゴは生で食べると酸っぱすぎるからな。ヴァレーニエをつくるんだ」


当然という顔でイヴァンが言い、アーニャは聞きなれない単語に首をかしげた。


「ヴァ……ヴァ……ヴァ……?」

「ヴァレーニエ、だ。えーと、なんて説明したらいいのか……」


イヴァンは困ったように頭をかくと、「ひとまず帰るぞ」とアーニャのカゴも手にとって、歩きだす。アーニャは慌てて、彼の大きな背中を追った。



***



「ヤドリギ亭」は、青と銀に塗装した木材を組み合わせて作った、二階建ての丸太小屋だ。ポーチの階段を上がって、ブーツについた雪を払い、玄関のドアを開けるとこじんまりとしたホールが広がっている。そこから正面に二階に続く階段と、一階の客室につながる廊下が伸びており、食堂があるのは右手のドアだ。


ヤドリギ亭に戻るなり、イヴァンはてきぱきとアーニャの重装備を脱がせ、ケープを食堂のコート掛けにつるした。そして毛皮のブーツと帽子を暖炉ペチカの前に並べて乾かす。

アーニャがされるがままになってボケーッと突っ立っていると、イヴァンは「寒くないか?」と熱々のお茶を淹れてくれた。


「わ、ありがとうございます。いつの間に……」


この世界では、お茶はおもに紅茶が飲まれているらしい。ペチカに向かって冷え切った手足を伸ばし、熱々の紅茶をすすっていると、イヴァンはカウンター奥の厨房で収穫してきたイチゴを水で洗い始めた。


「わわ、出遅れた! 私も手伝いますっ」

「大丈夫だ、単なる下準備だから」


イヴァンはがしがしと豪快にイチゴを洗うと、水を切ってボールに入れ、その上に大量の白い粉を振りかけていく。


「これは……砂糖ですか?」

「そうだ。ヴァレーニエのレシピは人それぞれだが、俺はだいたいイチゴと同量くらいの砂糖を使うことにしている」


たっぷりと砂糖を投入したイチゴのボールをひと混ぜすると、イヴァンはカウンターの上に置いた。


「あとはこれを数時間放置して、果実から水分が出たところで、火にかけて煮詰めていく」


──あ~、ジャムみたいな感じかな。


やっと“ヴァレーニエ”の正体が見えてきた。強面でガタイの良いイヴァンが、ジャムづくりに精を出していると思うと、思わず口元がにやけてしまう。

アーニャが目を輝かせてボールをのぞきこんでいると、イヴァンは「さて」と手を拭いて顔を上げた。


「イチゴを寝かせている間に、風呂でも入るか?」

「え、お風呂!」


思いがけない言葉に、アーニャは声を弾ませる。まさか、この世界にもお風呂が存在していたとは。無類の風呂好きの日本人としては、有難い申し出だ。


「やった! 入りたいですっ」

「そうか」


はしゃぐアーニャを見て、イヴァンは孫を見守るように優しく目を細める。そして、思いがけないことを言い出した。


「それじゃ、せっかくだし一緒に入るか?」


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