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第3話 家庭的なシチー

翌朝。目が覚めると、窓の外は光であふれていた。

昨夜の吹雪が嘘のように、眩しい太陽の日差しが雪に反射してキラキラ輝いている。


──基本吹雪なのかと思ったら、こんなふうに晴れる日もあるのね~。


まだ半分寝ぼけたままのアーニャは目を細めて窓の外の景色を見つめると、大きく伸びをして、ベッドから起き上がった。

改めて、頬をパンと叩いてみる。──しっかり痛い。


──くっそ~、ワンチャン夢オチの可能性もあるかなと思ったけど、やっぱり私、間違いなく異世界に転移してるな!?


アーニャは深いため息をつき、この残酷な現実を受け入れることにした。

枕元には、イヴァンが用意してくれたらしいレモンの輪切りが浮かんだ水差しと、畳んだ服が置いてある。服を広げてみると、意外にも女物のワンピースだ。あの強面のイヴァンが、どうやってこの可愛らしい花の刺繍が入ったワンピースを入手してくれたのか、想像するとつい頬が緩んでしまう。


服を着替えて、毛糸で編んだショートブーツのようなルームシューズを履いて部屋を出ると、廊下は薄暗いが部屋の中と変わらず温かかった。どういう仕組みかは想像もつかないが、どうやら、元いた世界でいうところの“セントラルヒーティング”システムを採用しているらしい。


──案外技術的に発展してんのかな? こういう異世界の定番って、中世~近世くらいの文化レベルな印象だけど。


そういえば、当然のように言葉にも困っていない。自分が日本語を話しているのか否かは定かではないが、言葉は通じるし文字も読める。


──このへんのご都合主義は、異世界モノなら定番よね……。突っ込むだけムダ、ムダ。


そんなことを考えながら廊下の先にあるドアをあけると、そこは広い食堂になっていた。壁には巨大な暖炉ペチカが造られ、ゆうに20人は座れそうな大きなテーブルとイスが並んでいる。ペチカの前でくつろいでいた大型犬のキリルがアーニャに気づくと、ワン!と嬉しそうに鳴いた。


「お、起きたのか」


食堂の奥のカウンターから、イヴァンが顔を出す。アーニャは慌てて頭を下げた。


「おはようございます。あの、洋服ありがとうございました。わざわざ用意してくださったんですね」

「適当な借り物だ、気にするな。朝食、食うだろう?」


アーニャが遠慮する間もなく、イヴァンはてきぱきとテーブルにパンとハムが乗った皿を並べていく。


「あ……何から何まですみません」


思わず深々と頭を下げると、イヴァンは灰色の瞳でちらりとアーニャを見て、困ったように視線を逸らした。


「そんなに恐縮されるようなことじゃない。俺が食うついでだ」

「あの、それじゃせめて、お手伝いします……!」

「じゃあ、スープを運んでくれ」


イヴァンに言われるがまま、アーニャは木のカウンターに置かれたスープ皿を手に取った。湯気の立つスープは黄金色に輝き、美味しそうな香りが立ち上る。


──なんだろう、ちょっと懐かしい匂いがする……。


アーニャがスープ皿とフォークやスプーンを配膳している間に、イヴァンは銀製の巨大なポット(サモワール)から熱湯を注ぎ、お茶を淹れてくれた。


「さ、メシにしよう」

「うわあ、美味しそう……!」


大皿に並べられた薄切りのパンは、見たことのない黒っぽい色をしている。厚切りのハムと、ゆで卵にはマヨネーズのようなソースが添えられていた。そして、キャベツの千切りがたっぷり入ったスープ。


「いただきます」


手を合わせるアーニャを見て、イヴァンは不思議そうにまばたきをした。どうやら、この世界には“いただきます”の習慣がないらしい。やや気恥ずかしい気持ちで、アーニャはスープをスプーンですくった。


「……!」


熱々のスープに入っているのは、どうやら発酵させたキャベツの千切りらしい。わずかに漬物のような風味がして、酸っぱいスープが体に染みていく。

くったりしたキャベツは滋味たっぷりで柔らかく、食欲を刺激する。


「このスープ、とっても美味しいです!」


アーニャが目を輝かせて言うと、イヴァンは嬉しそうに目元を和らげた。


「これは発酵させたキャベツの塩漬けで作る、シチーというスープだ。昨夜出したボルシチはレストランなんかでも食えるけど、これはもっと庶民的なスープで、この国の代表的な家庭料理だよ」

「確かに、具材もだいぶシンプルというか、ミニマリストというか……」

「貧乏くさい?」

「そ、そんなことないです! 私は大好きな味です、これ!!」


思わず大声を出してしまったアーニャの姿を見て、イヴァンは肩を揺らして笑う。


──か、からかわれた……?


「と、とにかく、昨夜のボルシチもとっても美味しかったですけど、こういうホッとする家庭料理も好きなんです、私は」

「そうか、それはよかった」


イヴァンはひとつ咳払いすると、「いっぱい食えよ」とアーニャの皿にパンやハムを取り分けてくれた。イヴァンの真似をして、パンの上にマヨネーズを塗り、ハムを乗せてオープンサンドのようにして食べながら、アーニャはこっそり食堂の様子を見回す。明らかに一般家庭の食堂ではない。


──もしかして、ここはレストラン? イヴァンさんはレストランのシェフとか?


アーニャの視線に気づいたのか、イヴァンはちらりと彼女の顔を見て、言葉少なに言った。


「ここは、宿屋なんだ」

「あ……そうだったんですか!」

「ヤドリギ亭という屋号で、俺が1年ほど前にここで開いた」


これでひとつ謎が解けた。見ず知らずのアーニャを拾って泊めてくれるなんて、イヴァンはよほど世話好きな人なのかとやや不審に思っていたが、宿屋の主人なのだとすれば合点がいく。

しかし、イヴァンは困ったように肩をすくめてみせてから、目を伏せた。


「とはいえ、宿泊客は長らく来ていないがな」


確かに、アーニャのほかに宿泊客がいる気配はない。


──今は閑散期とか……? 正直、あまり繁盛していないのかな。うう、聞きづらい……。


言葉に詰まるアーニャを見て、イヴァンはふっと微笑んだ。


「まあそういうわけだから、遠慮せずに泊まってくれ」


そう言われて、ふと城を追い出されるときにわずかばかりの銀貨を与えられたことを思い出し、アーニャは勢いこんで立ち上がる。


「お代! お支払いしますね。えっと、いくら持ってるのか自分でもわからないけど……」


しかしイヴァンはきっぱりと首を振った。


「いや、お代はいい」

「で、でも……」

「俺が勝手に拾って保護したんだ。だからおまえは宿泊客じゃなくて、単なる俺のゲストだ」


そう言うと、イヴァンはふっと瞳を細め、アーニャの頭にポンと大きな手を乗せた。


「外国から来て、苦労も多いだろう。金は無駄遣いせずにとっておけよ」


イヴァンの優しさに、王城でのあまりにひどい扱いを思い出し、アーニャは思わず涙ぐみそうになった。


──イヴァンさん、本当にいい人っ……!


とはいえ、お言葉に甘えてタダで、というわけにはいかない。礼儀と人情を重んじる日本人代表として、せめて一宿一飯の礼は返さなければ。


「あの、それじゃ、せめて何かお仕事を手伝わせていただけませんか?」


アーニャの申し出に、イヴァンは不思議そうに目を見開いた。


「……まだ幼いのに、ずいぶんと義理堅い子だな……」

「え?」

「いや、ありがとう……それじゃ、“雪イチゴ摘み”を手伝ってもらおうか」


──雪イチゴ?


聞きなれない言葉に首をかしげるアーニャを見て、イヴァンはやや心配そうに眉を寄せる。


「そうか、雪イチゴを知らないのか……。無理に手伝わなくてもいいんだぞ」

「え、そんな、大丈夫です! 私、手伝います」


筋骨隆々で大男のイヴァンからするとひ弱に見えるのだろうが、これでも現代日本のブラック寄りコンサル企業で新卒からみっちり鍛えられてきたのだ。イチゴ摘みくらいで尻込みする弱腰ではない。


「任せてください。こう見えて、結構根性あるんですよ」


アーニャはそう自信満々に胸を張ったのだが──その後、軽率に手伝いを申し出たことを後悔することになるのだった。


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