第97話「もう一つの手掛かり」
「さて、行こうか」
自室にて、クロはハクと共に約束の時を迎えた。
夕食を終えてここに上がって来たのは、二十一時頃。かなり時間が空いていたため、仮眠でも取ろうかと考えていたが、いつまで経っても眠気に襲われず、今に至る。
ハクの寝床もここにあるのだが、彼が眠りに落ちることもなかった。彼も彼で、緊張しているということなのだろう。
いったい、何をしようというのか。
考えても仕方がない。とりあえずは、ここを出なければ。
「で、どっから出るんだよ」
「まあ、玄関から出るわけにはいかないよね。まだ張り込まれてるかもしれないし」
ハクが窓を開ける。
流れ込んだ外気によって、彼の白髪と、同系色のカーテンがふわりと揺らめいた。
「確か、転移魔法が使えたよね」
「……影の上だけだけどな」
「充分さ」
直接話したことも披露したこともないが、クロが魔物を討伐した後すぐに姿を消していることは、情報番組を見て知っているはずだ。恐らく、その点から推測したのだろう。
月光に、外灯。
夜の闇の中でも、影は生み出される。
「どこに行けばいい?」
「人気のない場所……近くの山とかどうかな。林の中なら、誰も来ないだろうし」
「……言う程近くでもねえだろ」
ため息を吐きつつ、クロはハクの近くに寄った。そして、お姫様抱っこの形で彼を抱える。
遊園地での件の、仕返しだ。
「しっかり捕まってろよ」
クロは窓のサッシに飛び移り、そしてすぐにその姿を消した。
まずは、電信柱の付近へ。それからできるだけ距離を稼げるように、転移を繰り返した。
「……よしっと」
居住圏を抜けたことで、転移魔法の連発を止める。疑似強化を発動し、人間離れした脚力で静寂の中を駆けていった。
転移だけで目的地まで辿り着くことが理想だが、さすがに魔力が持つか危うい。人目につきそうなとき、または、発見されてしまったときに使った方が効率的だ。
「────着いたぜ」
足を止めたのは、鬱蒼と生い茂る林へ続く道の前。
車道に面してこそいるが、車一台が通れる幅ではない。主要な通路として使われることはほとんどないだろう。
ハクを下ろし、彼に先導させる形でクロも進む。
「ここで何するってんだ?」
まさか、肝試しに来たわけでもあるまい。
木々の間を掻い潜りながら、ハクの背中に尋ねた。
「記憶の手掛かりについて、話そうかと思ってね」
「話すだけなら、家でもいいだろうに」
「……だけじゃないから、ここまで来たんだよ」
含みのある言い方に疑問を抱きながらも、ハクの後ろを歩き続ける。すぐに続きが語られるだろうと思ったが、しばらくの間沈黙が続いた。
強引に聞くべきか、待つべきか。
悩みつつ、クロは後者を選んだ。
「……この辺りでいいかな」
沈黙から、およそ十分。
ハクが立ち止まったため、クロも足を止めて周囲を見回した。気づけば山奥の方まで足を踏み入れていたらしく、辺り一面が木々によって覆われている。多少の平地が広がってはいるが、周辺に家屋の類は見られない。
警備の人間でも、ここまで来ることはまずないだろう。当初の予定通り、人気のない場所に辿り着くことができたようだ。
「単刀直入に言うよ」
そう言って、ハクが振り返る。
踏み締められた枯れ葉が、乾いた音を響かせた。
「あの日、僕が四死生霊から得た手掛かりは、僕らが記憶を取り戻すための方法だった」
それは、喜ばしい情報のはずだ。
だが、ハクの顔からそのような感情は読み取れない。
「そしてそれは────」
ハクが、徐に瞬きをする。
それから再び、口を開いた。
「君と僕のどちらかが、もう一方を殺すことだ」
予想だにしない答えを聞き、クロは言葉を詰まらせる。その反応がわかっていたからか、ハクは僅かに口角を上げた。
困ったように。落ち着かせるように。
「驚くよね。僕も、聞いてすぐは信用ならなかった。きっと、罠に嵌めるために嘘をついているんだろうって、そう思ってた」
けど、とハクは続ける。
「君から新たな手掛かりを聞いて、考えが変わった」
新たな手掛かり。
それは、二人が元々一人の人間だったという話のことだろう。
「確証を得られたわけではないけど、四死生霊の言葉に嘘はないと思うんだ」
「……ただの直感、ってわけじゃないんだよな?」
頷くハク。
考えが変わった、ということは────いや、まさか。心の中で、クロは己に言い聞かせた。
「お師匠様曰く、僕の魔力は、かつて英雄が宿していたものと同一らしい。本人からそのまま継承したとしか考えられないと、そう仰っていたよ」
英雄。
かつての戦いで冥王と相打ちになり、その姿を消したと言われる存在。ヒョウによれば、彼はその後、魂だけの存在となってこの世界へ辿り着いたものの、四死生霊の企てを阻止するべく、『分裂する前のクロとハク』に光属性の魔力を託したことで、完全に消滅したらしい。
お師匠様の言葉を額面どおりに受け取るのであれば、それが真実と見て間違いないのだろう。ただ、クロはある疑問を覚えていた。
「なんで、お師匠様がそんなことわかるんだ? 英雄とやらが生きてた時代って、数百年以上前のはずだろ」
「それだけご長寿ということさ」
「……マジかよ」
人間の寿命は、どれだけ長くても百年程度。少なくともクロはそう思っていた。
もしかしたら、寿命を伸ばす類の魔法が存在するのかもしれない。とりあえずはそう結論づけることにした。
「それなりに親しい間柄だったらしくてね。僕の魔力は、英雄のそれで間違いないそうだ」
「……いくら親しかったからって、断定できるもんか? 光属性の魔力がそれなりに珍しいってのは知ってるけど、ハクの他に全くいないわけじゃないだろ?」
「僕の魔力……もとい、英雄の魔力は特異なものでね。普通の光属性の魔力とは、一線を画す代物なんだ。だからこそ、僕は瘴気撲滅の使命を与えられていた」
(特異、ねえ……あっ)
本人やその周囲の人間から聞いた話ではなかったため、思い出すのに時間がかかってしまったが、同じようなことをクロは過去に聞いたことがある。
あれは、そう。
四死生霊の尻尾を掴むべく、兄貴分と屋敷を調査した後のこと。
『あのガキが宿しているのは、ただの光属性の魔力ではない、ということだ────』
思い起こされる、メアの言葉。
(メアは、光属性の魔力を宿した人間と何度か会ったことがあるって言ってたか……)
そのメアが言うのであれば、やはり、ハクの魔力は特異な存在なのだろう。そう考えれば、お師匠様の推測にも説得力が増してくる。
「血縁関係にないはずの僕が、何故それを宿しているのか、僕もお師匠様も疑問だったんだけど……この間、クロから話を聞いて、合点がいったよ」
ハクが英雄と同じ魔力を宿しているのは、四死生霊と英雄の干渉によって分裂させられた人間の片割れを、彼が担っているからだろう。
「……だから、ヒョウが俺に伝えた手掛かりは、間違いないだろうって?」
今現在二人が置かれている境遇と、ヒョウから聞き出した手掛かりは矛盾しない。だが、それでも、クロは納得することができなかった。
納得するわけには、いかなかった。
「確かに、辻褄は合ってるよ。でも、ハクが聞いた方の手掛かりに嘘がないとは限らないだろ」
嘘を信じ込ませるために、多少の真実を織り交ぜているとも考えられる。四死生霊の言葉がもっともらしく聞こえていても、完全に信用することは危険だ。
まして、命に関わることなら、尚更。
「だとしても、それに縋るしかないんだ。僕らにはもう、時間がないから」
冷たい夜風が、二人の間を駆け抜ける。
だが、クロの心臓の鼓動が強まったのは、寒さのせいではないだろう。むしろ、彼の体は熱を帯び始めている。
「……時間?」
ハクが選ばんとしている未来に気づいていながらも、クロはそこから目を背けるかのように復唱した。
「魔法が存在しないはずのこの世界で、僕らは目立ちすぎた。いつ捕らえられて、研究材料として扱われてもおかしくない。むしろ、三日間も隠れられていたのが奇跡的なくらいさ」
「それは……そうかもしれないけど」
「捕らえられた先で、人間として扱ってもらえる保障はない。記憶を取り戻せる好機は、今しかないんだ」
言葉の後、ハクが右腕を天に伸ばす。その掌に、光が集中していった。
「分の悪い賭けだとしても、やるしかない」
光は空高くへと駆け上がり、やがて停止する。それが広がりながら高度を下げていった結果、二人は半球状の輝きに包まれる形となった。
「これは……」
「人払いの結界だよ。誰もこの場所には気づかないし、近づかない」
「……そんなんがあるなら、わざわざこんなとこまで来なくても良かったじゃねぇか」
「悪いね。戦いに使えそうな場所が、他になかったんだ」
戦い。
この場にいるのは二人だけ。
やはり、ハクは────
「眠りに落ちる度、夢を見ていた」
彼は瞳を閉じて、胸に手を当てる。
「幸せな時間があったはずなんだ。大切に思っている人がいたはずなんだ」
紡がれる言葉は、誰かに祈っているようにも、自分自身に言い聞かせているようにも感じられた。
「僕の帰りを待ってくれている人が、一人でもいるのなら……僕は、記憶を優先する。君と共に過ごす未来よりも」
青い双眸が、クロを射抜く。
「────僕と、戦え」




