第96話「残酷」
あれから、三日が経過した。
二人は現在、絵札宅で身を潜めている。既に顔が晒されているため、呑気に外出することはできず、情報を得るにはその手の番組を見るか、スマートフォンで調べるしかない。だが、そのどちらでも大した情報は得られなかった。
あれ以来、魔物も、謎の魔導士も、姿を見せていない。魔力絡みの事件等は一切起こっていないようだ。もっとも、一般人が入手できる情報の中では、だが。
そのため、話題に上がるのはもっぱら直近の騒動────遊園地での一件だった。
今、リビングで流し見している番組でもそうだ。この夕方の時間帯、複数の情報番組が放送されているが、どれを見ても内容は先日の件ばかり。
クロは辟易としながらも、情報を漏らさぬように耳だけ傾ける。彼が顔をしかめているのには、理由があった。
顔が割れたとたん、謂れのない事実を並べ立てられるようになったからだ。それ以前も同じようなことはあったが、今回はその比ではない。
人智を超えた力に対し人々が恐怖する、というのなら話はわかるが、現状はそうではない。面白おかしく、あることないことを並べている、と言うべきだろう。
メイコの気持ちが、少しだけわかった気がした。もっとも、それで世界を滅ぼそうなどという物騒な考えに至ることはないが。
(……連絡、溜まってるな)
何気なく、スマートフォンに視線を落とした。数少ない友人たちから連絡がいくつも入っているが、どれ一つとして返してはいない。
クロとハクの二人は、行方不明ということになっている。友人たちを安心させるには連絡を返すべきだろうが、万が一それで彼らを巻き込むことになっては申し訳が立たない。
気持ちに蓋をするように、彼は画面を消してテーブルの上に伏せた。
「なあ」
「なんだい?」
向かい合う形で座っていたハクに、声をかける。
彼は情報番組に耳を傾けながら、読書をしていた。小説の類らしい。絵札から借りたものを先日からずっと読んでいるようだが、熟読するたちなのだろうか。
「俺たち、まだここにいていいのか?」
今も、記者が家の周りを取り囲んでいるはずだ。見てはいないが、気配でわかる。十人以上は、そこらに潜んでいることだろう。
絵札には知らぬ存ぜぬで通してもらっているが、限界というものがある。そろそろ、ここを去るべきなのではないかとクロは考え始めていた。
「仮に出ていっても、当てがなければ逃避行はそう長く続かないだろうね」
魔力を危険視した機関によって捕らえられる可能性は、充分にある。正面から戦って遅れを取ることは考えづらいが、昼夜問わずとなると話は別だ。さすがに、そこまで人間をやめているわけではない。
だが、ただ待っていては時間を浪費するだけだ。何か、手を考えなくては。万が一、自分たちの力を軍事兵器に転用でもされてはたまらない。
妙案が浮かばず腕を組んで唸っていると、ハクに名を呼ばれた。
「待つ以外に僕らがやるべきことって、なんだと思う?」
「やるべきこと……」
「僕らの、本来の目的」
天井を見上げたクロに、ハクがすかさず助け船を出す。それにより、ようやく思い至った。
「記憶を取り戻すこと、か」
ハクが頷く。
使命や責任等で後回しにしてしまっていたが、それも充分、やるべきことの一つだ。元々、そのために世界を渡ってきたのだから。
「でも、それだって手掛かりがないよな?」
今ある手掛かりでは、記憶を取り戻す方法さえわからない。加えて、自分たちの足で探しに行ったとしても、新たな手掛かりを得られる可能性は少なかった。
二人の元いた世界がここであるというのは、ほとんど間違いないだろう。それ故、二人の過去を知っている第三者がどこかにいてもおかしくはない。
だが、情報番組で大々的に顔が晒されていても尚、新たな手掛かりは得られていなかった。
仮に、そのような人物がいたとすれば、二人のことを慮って情報を伏せてくれているのかもしれないが、世の中はそんな善人ばかりではないことを、クロは知っている。
誰かしらが、小遣い欲しさに二人の情報を売っていてもおかしくないはずだ。だが、それらしき情報も出回っていない。
つまり、二人のことを知る人間がいる可能性は、限りなく低いということだ。なんらかの圧力によって情報が伏せられている、という線もなくはないが。
「いや、そんなことはないよ」
「……もしかして、何かわかったのか?」
尋ねながらも、思い出した。
整理をしたいから、と言われたため、ハクが四死生霊から得た手掛かりについて、まだ聞けていなかったということを。
自身が聞いたそれと合わせて、何か思いついたのかもしれない。
クロの中に、一筋の光が差した。
「クロ、一つ聞かせてほしい」
そう言って、ハクはテーブルの上に本を置く。
「なんだよ、改まって」
「どんなに苦しい道を辿ることになったとしても、記憶を取り戻したいかい?」
思いがけない問いをされ、言葉に詰まるクロ。だが、ハクの真剣な表情を見て、彼もまた覚悟を決めた。
「ああ。絶対に」
「二言はないね?」
「約束する」
「……そっか」
満足そうな笑みを浮かべてから、ハクが席を立つ。そのままリビングを後にしようとする彼の背に、クロは声をかけた。
「お前は、どうなんだよ」
長い白髪が、ふわりと揺れる。
海よりも青い瞳が、クロを射抜いた。
「君と同じさ」
ハクは、確かに笑っている。
それなのに、どこか哀しそうで。
何か、声をかけるべきだと思ったが、意に反して言葉が胸に留まったまま、クロは目を逸らしてしまった。
「今日の夜、十二時過ぎに、外へ出よう」
「……この町を、出てくってことか?」
目を合わせられないまま、そう尋ねる。
「それは、そのときになったらわかるさ」
そう残し、今度こそ彼はリビングを出ていった。
情報番組の音量が、やけに大きく聞こえる。今度は、ハクについて憶測を述べているようだった。
テレビという機械は情報収集にも娯楽にも事欠かないが、望んでいないものまで垂れ流してくるのは重大な欠陥と言えるだろう。
「ハクのことなんて、何も知らねえくせに」
睨みつけながら、テレビの電源を落とす。たったそれだけで、部屋に静寂が広がった。
漠然とした不安をかき消すように、クロはテーブルの上の本に手を伸ばす。つい先程まで、ハクが読んでいたものだ。
「……それは俺も、か」
少しでも彼のことを知れればと、クロは本を開いた。
だが、どれだけ丁寧に読んでも、どれだけページを捲っても、わかるのは本の内容だけ。ハクの考えなど、わかるはずがない。
そこに、答えは載っていないのだから。
ただ、それでも一つだけ、わかったことがあった。
「死ぬ程つまんねえな、この本」
道理で時間がかかっていたはずだ、とクロは一人納得する。それでも、彼は本から目を離さなかった。
一言一句、漏らさずに読み続ける。仮初めの世界に、没入するように。
空っぽでもいい。強引でもいい。ご都合主義だって構わない。この幸せが続くなら、それで。
誰に届くはずもない願いを胸に抱えながら、ただただページをめくっていった。
それでも、いつかは終わりが来る。
それは唐突に。こちらの心構えができているかなど関係なしに。
「……ん?」
外から、喧騒と、撮影する音が聞こえてきた。
解錠され、扉が開く。空気と共にそれらの音が入り込んできたが、すぐに小さくなった。
そして、近づく足音。
「ただいま」
聞き馴染んだ声は、安心感すら覚えるようで。
「おかえりなさい」
本に視線を落としたまま、そう返す。
「ハク君は?」
「部屋に戻ったんじゃないですかね」
「……クロ?」
足音が、更に近づく。絵札に覗き込まれたことで、クロはようやくそちらへと顔を向けた。
「どうして、泣いているんだ?」
「え……」
指摘されて、ようやく気づく。
頬から、涙がつたっていた。
何故かはわからない。咄嗟に袖で拭き取ってから、クロは笑顔を作る。
「いや、ちょっと……これ読んでたら感動しちゃって」
本を閉じ、絵札に見せた。書皮が掛けられているため、表紙は見えないが。
「ハク君が読んでいたものか」
「はい。あいつ、ここに忘れてったんで。どんな本なのかなあと思って読んだら、はまっちゃって」
後半は嘘だ。全く面白いと思えなかった。
「……そうか」
クロの内心に気づいたからか。はたまた、そうでないからか。絵札はそれ以上、何も聞こうとしなかった。
「クロ」
「え?」
「君は、君のしたいようにすればいい」
それだけ言って、絵札はリビングを後にする。
濁すような言葉。
それはほんの僅かに、クロの心を軽くした。
「……ありがとうございます、叔父さん」
一人になったリビングで、ぽつりと呟く。
聞かせる必要はない。ただの自己満足だ。
短い期間だったが、それでもそのときだけは、確かに二人は家族だった。
その事実を、忘れないようにするために。
世界に、刻みつけるように。




