第86話「漆黒と純黒」
「っらああああ!」
黒い一閃。
いっそ不気味な程に真っ白なこの世界で、それはよく目立った。
五感に一切頼らず、勘だけで放った攻撃。それにもかかわらず、相手が間一髪でしか躱せない程の精度だった。
「……何故、自我ヲ確立デキテイル」
「根性」
ここにいるのは、クロと冥王の二人だけ。人質どころか、物一つすら存在しない世界。
「ナルホド。周囲ノ人間ヲ巻キ込マズニ戦エルヨウ、アエテ我ヲ受ケ入レ、閉ジ込メタトイウコトカ」
クロの狙いは、まさに今冥王が言ったとおりだった。元より、器になるつもりなどなかったのだ。
ここは彼の精神世界。この場所で、彼は戦闘を行おうと画策していた。
何か確証があっての行動ではない。だが他にいい案がなく、一か八かこれに賭けることにしたのだ。結果、彼は見事賭けに勝利し、こうして意識を保つことができていた。
「コノママデハ肉体ノ主導権ヲ握ルコトハ不可能。脱出モスグニハデキナイ。ダガ、ソレハ貴様モ同様ナノデハナイカ?」
冥王の動きを封じているのは、他でもないクロである。だが、この状況を維持するために、自分自身も縛りつけざるを得なかった。
「問題ねえよ」
闇の剣を握りしめ、構える。
「ここでお前をぶっ飛ばせば、済む話だ!」
「面白イ。受ケテ立ツ」
冥王は手を模した形の翼を一対出現させ、その羽ばたきで距離を取った。それを追うようにして駆け出したクロに、向かって左側の翼が真っ直ぐ飛来する。
「『クロキヤリ』!」
左の掌を突き出し、そこから細い闇を放出した。槍を模したそれが、翼の中心部分を捉える。
だが、貫けない。破壊することを諦め、クロは翼を躱して先へと進んだ。もう一方の翼も襲いかかってきたが、攻撃を当てて隙を作り、同じように回避する。
二つの翼が交互に、何度も何度も行く手を阻んでくるが、彼がその身を捕らえさせることはなかった。
そして、己の得意とする間合いへ到達する。
剣を体の左側に引き、力を溜めた。
「『クロキヤイバ』!」
詠唱とともに、振り抜く。
だが、それよりも速く冥王が動いた。その姿は一瞬にして消え、代わりに翼が一つ同じ位置に現れる。
幸い、翼は両断することができた。だが、それによってできた隙間から冥王の姿は見えない。
振り返ると、もう一方の翼を引き戻した冥王が空中に浮遊しているのがわかった。どうやら、翼の一つと位置を交換する形で転移魔法を発動したらしい。
「野郎っ!」
位置を捕捉したクロは、再び距離を詰めるべく駆け出す。
どこに光源があるのかわからないこの空間でも、影は発生していた。そのため、彼にも転移魔法の使用は可能だ。
だが、影の数は四つだけ。自身と、冥王と、翼一対。実質、飛べる先は三つしかない。しかも、その三つは基本空中に浮遊している。条件はあくまで、影の上。地上か、その付近にしか飛べないのだ。
「遅イ」
先程斬った分の翼が、冥王の背面で再生する。そして両翼が前面へと移動し、凄まじい勢いで回転を始めた。
(まずい……!)
膨大な魔力の流れを察知したクロは右前方へと進行方向を修正し、翼の射線上から外れる。
その判断は正しかった。彼が軌道を変えた直後、回転する翼から高濃度な闇が放出されたのだ。
あんなものを受けたら、ひとたまりもない。クロは唾をごくりと飲み込むが、窮地は尚も続いていた。
翼は闇を放出したまま、その掌の先を彼の動きに都度合わせている。疑似強化を活用してなんとか逃げ続けることができているが、まごついている間に冥王は高度を上げてしまった。
走っているだけでは埒が明かない。剣を一旦消滅させ、後方に向けた掌から闇を噴射し、クロも飛行を開始した。
方向転換一つにも魔力を著しく消費するが、おかげで機動力には事欠かない。縦横無尽に動き回り、追尾する闇を躱し続ける。
(……今だ!)
冥王の頭上付近を位置取ったクロが、仕掛けた。相手の真下に発生している影の上に、転移したのだ。
注意を上方向に引きつけていたため、翼に捕捉されるまで若干の猶予を作ることができた。
「『クロキホウゲキ』!」
両手から、ありったけの闇を放出する。
それは翼諸共冥王を包み込み、先程まで執拗に追尾し続けていた攻撃を中断させる程だ。
(このまま、押し切る……!)
だが、そんな思考とは異なり、クロの魔法は消滅してしまった。まるで、冥王の方へと引きずり込まれるように。
「何っ……!」
勝負を決めようとしていたクロが、魔法を解くなどあり得ない。魔力の残量も充分だ。
冥王が何かした、と考えるのが自然だろう。相手が新たな動きを見せる前に、彼は後方に下がって距離を取った。
「ナカナカニ美味デアッタゾ、少年」
「なん、だと……?」
「闇ノ吸収。ヨモヤ、貴様ニデキテ我ニデキナイト思ッテイタワケデハアルマイナ」
「俺の闇を……喰ったってのか?」
自身にも経験があるからこそ、わかる。
あの威力の闇を丸々吸収できる、冥王の異常性が。
吸収するにも、許容限度があるのだ。それを超えて取り込もうとすれば、間違いなく体を蝕まれる。
だが、目の前の相手にはそのような素ぶりがまるでない。さすがは冥王、と言ったところだろうか。
感心はできない。
恐怖。絶望。戦慄。それらの感情が、クロの中で強く渦巻いていった。
「モット、モットダ……モット我ニ、喰ラワセロオオッ!」
背面に固定した両翼から闇を放出することで、冥王が急激に距離を詰めてくる。
さながら、クロの『闇噴射』のように。
(速い……!)
刹那ながら、魔法を直接放っても無意味であるということは理解できていた。疑似強化の効果を最大限に引き上げ、右の拳で迎え撃とうとする。
その瞬間、冥王の眼球が消えた。
「なっ……」
冥王の口の奥に広がる、底知れぬ暗闇。それを見て、クロの背筋が凍った。このままだと自身がどうなるか、悟ったのだ。
右腕が入り込む瞬間、咄嗟に左腕も伸ばし、閉じられようとしていた口を強引にこじ開けた。
「くっ、そ、があ……!」
歯が、両手に食い込んでいく。
クロの流した血液によって、冥王の口元が赤く汚れていった。
「味、匂イ……共ニ極上ダナ」
「なんで歯ぁ掴まれたまま……」
クロは冥王を横方向に振り回し始める。
「喋れんだよおっ!」
そして、至極当然とも言える問いかけとともに、思い切り放り投げた。鋭い歯先によって、クロの指に裂傷が増える。
冥王は宙を舞いながらも、再び闇を放出してきた。
翼ではなく、口から。
「『ホウゲキ』!」
直接は効かなくとも、相手の魔法をかき消すのには使えるだろう。
そう思いながら詠唱したが、クロの掌からは何も出てこなかった。
「ぐっ!?」
突然の出来事に驚いてしまい、回避が遅れた。両腕で顔を覆い、なんとか堪える。
「ヨソ見シテイテ良イノカ?」
闇を受け切った直後、冥王が目と鼻の先にまで迫っていた。クロは咄嗟に本体を蹴り上げ、その隙に距離を取ろうとする。
だが、二段構えと言わんばかりに両翼が彼に襲いかかってきた。
「『ダンガン』!」
闇の球体を、連続して放つ。今度は問題なく発動できた。破壊こそできないものの、弾幕により翼の接近を止めることに成功する。
いったい、自身の体に何が起こっているのか。それを考える時間は、与えてもらえなそうだった。
「踊レ、『手翼』」
冥王がそう言った瞬間、翼は再び回転を始め、それぞれの軌道を描いて飛行する。
予測不可能な飛び方をするそれらと、冥王。三つの対象に意識を割きながら戦うのは困難だが、そうしなければ命を落とすのみだ。
クロは闇の放出を止め、再び剣を握って警戒を続けた。
(……来た!)
まずは、翼が一つ。
正面から飛来したそれを、剣で受け止める。回転しているからか、全力で押してもなかなか斬れない。
次いで、もう一方の翼が背後を狙って迫ってくる。それが放つ殺気のみを感知して攻撃に気づいたクロは、正面からの攻撃を受け流しつつ、左方向に跳んだ。
甲高い音を響かせながら、両翼が衝突する。
このまま自滅してくれれば。そんなことを願いながらも、彼は新たな殺気を見逃さなかった。
「ふっ!」
振り向きざまに、一閃。
そこには、冥王がいた。クロの振るった剣は、その歪な歯によって受け止められている。
「軽イ」
「何っ」
闇の剣が、砕けた。
驚いている暇はない。またも、殺気が増えた。クロの後方にいる両翼が、軌道を修正して再び迫ってきているのだろう。
今は囲まれている。まずは飛行して、包囲から脱出しなければ。
そう思ったのだが。
(これも駄目か……!)
またも、魔法が発動しなかった。
魔力を集中させることはできても、出力ができない。まるで、蓋をされたかのようだ。
もたついている間に、魔の手がすぐそこまで迫っていた。クロは掌に集めていた魔力をすかさず全身へと戻す。
「『バクロ』!」
成功してくれと願いながら、詠唱。
祈りが届いたのか、狙いどおり全身から闇を放出することで爆発を引き起こせた。
爆発によって生じた前方の煙に、クロは足から滑り込む。そして、冥王がいるであろう方向へと掌の照準を合わせた。
(『クロキヤリ』)
今度も、成功。煙を貫き、その先にいた冥王へ黒い槍が直撃した。
いや。確かに命中していたが、またしてもその歯によって受け止められ、そして噛み砕かれた。どうやら、攻撃を読まれていたようだ。
(化物が……)
クロは勢いそのままに滑り続け、冥王から離れた位置で静止し、素早く立ち上がる。
(とりあえず剣を……)
唸りながら回転する翼を、素手で受け止めることは困難だ。本体に吸収されてしまうとしても、得物は必要だろう。
右手に魔力を集中させて、気づく。
(……作れない!?)
つい先程まで扱えていたはずの剣が、全く出現しなくなってしまった。
驚愕してばかりだが、わかったこともある。
(喰われた魔法が、封じ込まれてる……?)
使えなくなった魔法の共通点。
それは、冥王に吸収されているということ。原理こそ不明だが、冥王の口から吸収されると、その魔法を封じられてしまうようだ。
(なんでもいい……! 何か、何か出てこい!)
煙を突っ切って、冥王が迫ってくる。
それに続くようにして、両翼も。
性質上、冥王本体は素手でなければ倒せそうもないが、翼を抑えるにはやはり何かしらの武器がなければ。手当たり次第に、クロは形成を試みる。
槍は────作れない。つい先程吸収された魔法が、同じ形状をしていたからだろう。
ならば、杖や棍────これらも作れなかった。形状が近いと駄目なのだろうか。
あるいは、武器の形成そのものが封印されているのかもしれない。もしそうであるならば、詰みだ。
後方に跳び続けて距離を取りながら、多種多様な武器の形成を試みる。冥王が徐々に加速して距離を詰めてくるが、ぎりぎりまで粘った。
(……来た!)
右手から、魔力が流れていく。それらは棒状に伸びた後、先端を肥大化させた。
大槌。
クロは自身の背丈を遥かに超えるそれをしっかり掴み、冥王本体の左半身に向けて叩き込んだ。
「グッ……」
冥王は身を捻って口の部分で攻撃を受け止めたが、それは予想の範囲内だ。
攻撃を止められた瞬間、クロは左手を放して上に伸ばし、そこから二つ目の大槌を出現させた。
「っしゃおらあ!」
今までの鬱憤を晴らすかのように、豪快に振り下ろす。一本目を受け止められたままだったため、今度は口以外に命中させることができた。
吸収される前に一本目の大槌を消滅させ、空いた右腕でも二本目を掴み、更に深く押し込む。
さすがに、これだけで倒れてはくれないようだった。回転した翼が、左右から緩急をつけて飛来している。
「しつけえなあ!」
クロは一旦大槌を消滅させてから、後方に跳んで躱す────が、翼は急旋回して軌道を変え、追尾してきた。
着地と同時に、翼が間合いへと入ってくる。彼は再び大槌を形成し、左側からそれを叩き込んだ。
互いの闇が、火花のように散る。
激しい回転によって大槌が削られていくが、魔力を流し続けることでなんとかその形を維持した。
「っ……らあ!」
一際大きな音を立てて、翼が砕ける。
闇の粒子が舞い散る中、クロは大槌を振り抜いた。
だが、たった一度激突を制したところで、安堵はできない。もう一方の翼が、続けて彼に迫っていた。
大槌での攻撃は威力こそ高いものの、その分溜めが必要になる。今それをすれば、間違いなく翼の餌食となるだろう。
ならば、どうするべきか。
幸い、彼はその答えを知っている。
問題は、それが封じられているかどうかだが、こればかりは試してみなければわからない。
(頼むぞ……)
その祈りは、無事に届く。
一つ目の翼を破壊したものとは反対の面から、闇が噴出した。その勢いにより大槌が高速で弧を描き、クロもまたそれに伴って体が一回転する。
結果、隙をほとんど見せることなく、攻撃の準備を終えることができた。
「もいっちょおっ!」
再び激突するかと思われたが、その寸前で翼が急停止する。そして、その掌のような表面で大槌を掴んだ。
「呑マレロ」
クロは大槌を消滅させ、転がるようにして左側に回避する。
一連の流れは、声が聞こえるよりも速く終えられていた。視界から冥王が消えたことに、危機感を覚えたからだ。
直後、彼が先程までいた場所に向けて、後方から闇が放出された。翼を巻き込む程、広範囲に。どうやら、転移した冥王による攻撃のようだ。
発射までに若干の猶予があったため初撃は躱せたが、ほとんどの魔法を封じられている以上、撒き続けることは難しい。
どう動くべきか案じていたが、追尾されることなく攻撃が止まった。持続困難な魔法なのだろうか。
「シブトイナ」
「お互い様だろうがよ」
再生した翼も、追撃に移ることなく辺りを漂っている。
息を切らし、悪態をつきながらも、クロは次の手を考えていた。
手の内の見えない相手に対し、限られた手段を有効活用しなければならないため、常に思考を巡らせる必要がある。
そう。彼はまだ諦めてなどいない。
「威勢ダケハイイヨウダガ……ソノ魔力残量デハ、ドウスルコトモデキナイダロウ」
「言ってろ!」
飛び出しながらも、武器を持つことはしなかった。認められなかっただけで、本当は気がついていたのだ。
自らの限界に。
勝てない。
体力も、魔力も、限界を迎えている。
それでも、諦められない。諦めるわけにはいかない。
諦める理由から目を背け、彼は駆ける。
固く握った拳を振り抜くが、それが捉えたのは黒い霧。冥王は彼の背後へと転移していた。
「くそっ!」
すぐに追いかけ、もう一撃。
だが、またしても同じように躱されてしまった。軽くあしらわれていることに憤りを覚えながらも果敢に攻め続けるが、事態は一向に好転しない。回避先を予測したり、自身の動きに緩急をつけたりしたが、翼によって防がれたり、位置を交換されたりしたせいで、クロの攻撃は掠りもしなかった。
「……ヤハリ、コレ以上ハ楽シメナイ、カ」
ぽつりと呟く冥王。
その右半身を、クロの左腕がようやく捉えようとしていた。今の今まで攻撃が当たらなかったというのに、彼はこの状況を疑問にも思っていない。
それがまずかった。
触れ合う瞬間、冥王の本体に穴が空き、そこに腕がすっぽりと入り込む。
「なっ……!?」
クロは咄嗟に距離を取ろうとしたが、穴の奥から吸い込むような力が発生していて、動きを鈍らされてしまった。
剣と剣がぶつかるような、金属音。彼が後方に跳べたのは、その音が聞こえてからだった。
何が起こったのか、彼の眼にはしっかりと焼き付いている。彼の体に、結果として残っていた。
「がっ、あ……!?」
跳びながら、クロは自身の左側に目を向けて────絶句する。
左腕の肘から先を、消失していたためだ。




