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クロと黒歴史  作者: ムツナツキ
第六章『越えた先』
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第82話「結果発表」

 中間試験を終えてから、二週間後。実を結ばないまま公的機関の調査が打ち切られたことで、ようやく(やま)(もり)(ちゅう)(がっ)(こう)での授業が再開できるようになった。

 始業前後こそ、話題は魔物に関することで持ちきりだったが、人間の適応能力とは侮れないもので、午後を過ぎる頃にはかつて過ごしていたような日常が訪れている。


(補習は嫌だ補習は嫌だ補習は嫌だ……)


 いや、ただ一人、クロだけは明らかに異常な雰囲気を醸し出していた。今後の明暗を分ける運命の瞬間が、いよいよ迫ろうとしていたからだ。

 教室の自席にて、組み合わせた両手に額をぶつけ、深く息を吐く。あれだけ苦手だったチャイムが気にならない程、彼の神経は研ぎ澄まされていた。


「そんな固くなんなって。あと一教科分待つだけなんだから」


「……補習を回避できるかどうかは死活問題なんだよ」


 呑気に笑う(たか)(ひさ)に対し、刺々しくならないよう気をつけながらそう返す。さすがに、愛想笑いできる程の余裕はなかったが。


「補習も意外と悪いもんじゃねえぞ?」


「言ってろ常連組」


「だはは」


 今回の試験は、全部で五教科。うち四つは既に結果が出ていて、赤点回避を確認できていた。

 あと一つ乗り越えれば、補習のない未来が確定となる。だが、もしそうならなかったら。不安にならずにはいられない。

 会話に区切りがつくと、廊下から足音が近づいてくるのがわかった。

 心臓の鼓動が速くなる。いつまで経っても、緊張そのものを覚えなくなる日は来なそうだ。


(……あれ?)


 教室に入ってきたのは、普段このクラスの授業を受け持っている教師とは別人だった。

 四十代以上の教師が多いこの学校では珍しい、若い男性。青年、と言い換えていいかもしれない。長めの髪を揺らしながら教卓の前まで歩くと、生徒たちを一瞥した後に口を開いた。


「担当の先生が諸事情により不在のため、代理で来ました。教育実習生の(ぶす)(じま)です」


「……教育実習?」


 耳打ちで、クロは貴久に尋ねる。


「朝、全校集会で言ってたろ」


「そうだっけ?」


 あまりよく思い出せないが、ここのところ考え事が多すぎたため、不要と判断した情報が勝手に頭から出て行ってしまったのかもしれない。


「ま、俺たちの学年には関係ないみたいだし、覚えてなくてもしょうがねえよ」


「ふーん」


 物珍しさこそ覚えるが、大して興味は湧かなかった。より重要なことが、後に控えているからだ。


「とりあえず、試験の答案を返却します」


(来た……!)


 出席番号順で生徒の名前が次々と呼ばれていく。転入したクロは一番最後だ。一喜一憂するクラスメイトたちを横目に、彼は祈り続ける。


(ふじ)(さき)クロ君」


 ようやく、その時が来た。

 返事をしてから立ち上がり、教卓の前へと進む。


「どうぞ」


 裏向きで差し出された答案用紙に、恐る恐る手を伸ばした。

 これで、全てが決まる。


(……なんだ?)


 用紙に触れた瞬間、心臓の鼓動が強くなった。あまりの緊張で脈がおかしくなったのだろうか。

 いや、違う。もっと別の────


「────藤咲君?」


「は、はいっ!」


「大丈夫ですか? 顔色が悪いようですが……」


「い、いや、平気です。すみません」


 不自然になってしまった反応を誤魔化すため、クロは足早に自席へと戻る。

 いったい、なんだったのだろうか。その問いは、直後にかけられた貴久の言葉によって霧散した。


「どうだった?」


「え?」


「さっきの反応だと、駄目だったか?」


 そうだ。まだ結果を見ていなかった。

 緊張していたせいでくしゃくしゃにしてしまった答案用紙を伸ばしつつ、裏返す。

 五十四点。

 赤点は回避できていた。


「……大丈夫だ。ほら」


 安心させるべく、貴久に結果を見せる。

 自らの点数を知られたくない、という生徒も少なくなかったが、クロはそうではなかった。


「おー、良かったな」


「ああ。勉強した甲斐があったよ」


 もちろん、自分一人だけで成し遂げられたことではない。()()の協力があってこそだ。彼女にも、改めて礼を言わなければ。


「はい、じゃあ次に模範解答を配ります。今日は各自、試験で間違えたところの復習をしてください。わからないところは質問していただければ、その都度解説しますよ」


 クロは回ってきた用紙に視線を落とす。

 赤点でないとは言え、間違えた箇所は少なくない。なかなか骨の折れそうな作業だと思いながら、筆記用具を取り出そうとした。


「これで学園祭に集中できるな」


「……学園祭?」


 再び開いた貴久の口から、聞き馴染みのない言葉が飛び出してくる。


「ああ。この学校だと、このくらいの時期なんだよ。まあ、この間の騒ぎのせいで少しずれ込んでるけどな。クロんとこはいつ頃だったんだ?」


「え? えっと……割と始めの方、だったような」


「なんだそりゃ」


 知る由もないため、クロは適当にはぐらかした。文脈から察するに、よくある学校行事の一つなのだろうが、その内容は想像がつかない。


「学園祭、って何するんだ?」


「うちの学校は二日間に分かれてて、一日目がクラスごとの合唱コンクール。二日目が、俺たち三年生のステージ発表と、二年生のクラス展示だ」


「合唱……」


 呟きつつ、クロは右前方に座る紫穂へと視線を向けた。先日のカラオケでの出来事を思い出したのだ。


「……そういや、大丈夫だったか?」


 懸念に気づいたらしい貴久が、そう尋ねてきた。一応は授業中であるため小声で話していたのだが、更に一段階小さくなったように聞こえる。


「そう聞くってことは、知ってたのか」


「まあな」


 あの日、貴久が逃げるようにして帰宅したのは、紫穂の歌声を聞いたことがあったからだろう。

 ならば、断られることがわかったうえで、彼女は彼を誘ったということか。やはり、どこか茶目っ気があるようだ。


「ま、クロが考えてるようなことにはならないだろうから、心配するなよ」


「……そっか」


 学園祭での合唱ともなれば、度が過ぎる程の音痴は許容し難いだろう。クロが気にしなくても、他のクラスメイトはどうかわからない。それ故に紫穂のことが心配だったが、貴久が言うのであればと、気にしないことにした。


「で、どうだったんだ? こないだのカラオケは」


「別に、気にする程のことじゃなかったよ」


「そっちじゃねえって」


 歌の下手さ以外にないと思っていたのだが、読みが外れたらしい。


「進展はあったのか?」


 揶揄うような笑みを向けてくる貴久。そんな彼を見て、クロは大きくため息を吐いてから机に向き直った。


「おい、無視すんなよ」


「一日で何か変わるはずもねえだろ」


「ま、そりゃそうか」


 他人から好いてもらえる程、出来た人間ではないとクロは自覚している。

 未だ思い出せないが、それでも決して消えることのないであろう罪。恐らく、碌でもない人間だったのだろう。どれだけ取り繕ったとしても、根底にあるものは変わらない。きっと、知らず知らずのうちに周囲を傷つけてしまう。

 そう考えているため、自らに言い寄ってくるような物好きが現れたとしても受け入れられそうにない。そんな彼にとって、恋愛の話など他人事のようにしか思えないのだ。


「にしても、明日から準備期間か。また忙しくなりそうだな」


「準備ってなんの?」


「学園祭以外ないだろ? 明日から、放課後一時間は居残りで作業だぞ」


「……マジで?」


「赤点組はその時間使って補習だから、ぎりぎりまで参加できないけどな」


 結局、赤点だろうとそうでなかろうと、学園祭前は時間を奪われるらしい。むしろ、補習を受けていた方が、試験前の勉強時間を丸々別のことに当てられて良かったのではないか。今までの苦労はなんだったのかと、クロは落胆する。


「そう落ち込むなよ。学園祭、楽しみじゃないのか?」


「そんなことはないけど……」


 祭りと称される程なのだから、それなりに盛り上がるのだろう。少なからず興味は湧くが、クロにはやるべきことがあった。

 差し当たって優先するべきは、謎の鎧への接触。魔導士が中に入っているのか、はたまた外部から遠隔で操作しているのかはわからないが、あれの追跡を続けていけば、誰かしらに繋がる手掛かりを得ることができるはずだ。そこから芋づる式に、この世界の現状についてより深く理解できるかもしれない。

 あれは魔物とほぼ同時に現れる。だが、必ず一緒であるわけではない。それ故、遭遇できる機会は少ないのだ。更に、運良く出くわすことができたとしても、魔物を討伐した直後に逃げられてしまう。

 だからこそ、少しでも試行回数を重ねて、接触する成功率を高めなければならない。学校行事のためだとしても、時間を無駄にしたくはなかった。


「こら」


 手を叩く音。

 視覚外から発されたらしいそれに驚き、クロは体を震わせる。右前方に目をやると、そこにはいつの間にか教育実習生の姿があった。


「私語厳禁……とまでは言いませんが、もう少し静かにお願いしますね。一応、授業中ですから」


 注意でこそあるものの、怒っている様子ではない。彼は口の前で人差し指を立てつつ、うっすらと笑みを浮かべている。

 ただ、クロにはその笑顔が妙に恐ろしく感じられた。


「す、すみません」


「……学園祭、楽しみにしていてくださいね」


 返事をしようと思ったが、その前に相手が戻っていってしまったため断念する。

 口ぶりからして、教育実習生も学園祭に参加するのだろうか。私語を慎めと注意された直後に、その疑問をぶつけることは躊躇われた。

 色々とずれ込んだ都合上、そうなったのかもしれない。そう結論づけ、クロは試験直しに取り組むのだった。

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