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クロと黒歴史  作者: ムツナツキ
第六章『越えた先』
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第81話「趣味」

 高品質な音響機材を利用し、個室で歌唱を楽しむための場所。それが、『カラオケ』と総称される施設らしい。要は娯楽施設だ。

 便利なもので、この世界では小型の端末一つで、様々なことが可能となっている。

 スマートフォン、と言うらしい。人々には『スマホ』という略称で親しまれているようだ。

 景色を保存したり、遠く離れた相手の声を聞いたり、できることは幅広い。先の調べ物も、それを用いることで瞬時に終わらせることができた。なんとも万能な代物である。

 だが、なんでもできるわけではない。例えば、ハクの居場所や、失った記憶そのものまでは知ることができなかった。

 かくして、カラオケについてある程度理解したクロ。()()と合流して現地に到着したはいいものの、内心穏やかではなかった。

 娯楽にかまける、というのはこの際仕方がない。ここ最近、根を詰めすぎていた。たまの息抜きも必要だろうと思える。

 だが、場所が場所だ。

 この世界に存在する歌を、クロはほとんど知らない。家で流し見している情報番組の途中、流行りのものとおぼしき曲が流れてきていたが、それらを全て覚えているはずもなかった。

 歌うための場所で歌わない。これ程場の空気を悪くすることも、そうないだろう。まして、二人きりだ。

 クロは断ろうかとも思ったが、『紫穂への礼』を当人から半ば強引に聞き出した手前、引っ込みがつかない。そもそも連絡先を知らないため、集合場所までは絶対に行かなければならなかった。

 決めかねつつも出発し、先に待っていた彼女の顔を見て、これは腹を括るしかないと思い、今に至るというわけだ。

 受付を一任すると、そう時間が経たないうちに部屋へと通された。

 開放された部屋。紫穂、クロの順で入室し、扉を閉める。


「暗いな」


「そこにスイッチがない?」


 扉付近の壁に視線を向けると、紫穂の言うとおりスイッチとツマミが確認できた。どう操作していいかわからず、適当に触ってみる。


「うわっ」


 スイッチを押すと、天井の中央部から数色の光が放たれた。回転しながら点滅を繰り返すそれは、なんとも目に悪そうだ。

 もう一度押すと先程同様、部屋が暗くなった。今度はツマミを回してみる。すると、その動きに合わせて部屋が明るくなっていった。


「こうか」


「部屋ごとでつけ方が違ったりするから、余計わかりづらいよね」


 内周を沿うように、鉤型で配置された椅子。クロは紫穂と距離を空けた位置に腰を下ろした。大して広くもない空間を、きょろきょろと見回す。

 彼女は立ち上がると、取り付けられていた端末を机の上に置いた。光る液晶に、文字や模様が描かれている。


「どっちからにする?」


「あー、えっと……俺、実は来るの初めてでさ、使い方教えてほしいんだけど」


 目の前の端末を操作する必要があることはわかった。文字が読めないわけではないため、適当に触っているうちに覚えられるだろうと思ったが、それでもクロが率先して動こうとしないのには理由がある。

 自身の歌う機会を、少しでも減らしたかったのだ。


「わかった。えっとね……」


 慣れた手つきで操作していく紫穂。

 予想どおりそこまで複雑ではなく、初心者でもすぐに扱えそうだった。


「採点は……恥ずかしいから、今日はいいや」


「そんなものもあるんだな」


 採点と聞くと、嫌でも試験のことを思い出してしまう。紫穂もその機能に乗り気ではなさそうだったため、クロは要求するようなことを言わずに彼女を待った。


「……じゃあ、歌うね」


 壁に掛けられた大きな液晶に、文字が映る。歌手名と曲名のようだ。どちらも、クロには馴染みがなかった。

 映像が切り替わり、前奏が始まる。やはり、知らなそうな曲だ。

 数秒経った後、字幕が表示される。

 紫穂による歌唱が、始まろうとしていた。


(()()()なら、きっと歌もうま……)


 そんなことを考えながら端末に手を伸ばした、その時。

 耳障りの悪い音が、連続して流れ込んできた。予想外の出来事に直面し、クロの体は硬直する。

 何か異変が起こっている様子はない。ただ、紫穂が力強く歌っているだけだ。

 認めざるを得ない。

 どうやら彼女は、歌が下手らしい。この曲をよく知らない彼でもわかる程、彼女の歌声は音を外していた。

 聞いていて心地のいいものでは決してない。だが、それを顔に出すわけにはいかなかった。これはお礼なのだ。彼女が悲しむような真似は、してはならない。


「────どう、かな」


 数分程で、曲が終了した。

 紫穂は恥ずかしそうにクロの方を見ている。

 これは、どちらなのだろうか。自分の下手さを理解しているのか、否か。

 褒めた方が返しとしては無難だが、彼女が自らの実力を把握している場合、皮肉になりかねない。短い時間で最適な解答を弾き出せるよう、クロは必死に思考を巡らせた。


「良かったと思うよ……こう、独創的で」


 視線を逸らしながら、そう答える。

 いいと思えば、いいのだ。彼女が自身の歌声をどう思っていようと関係ない。クロが自らの口で酷評しない限り、他人がその胸中を勝手に決めつけることなど、できはしないはずだ。


「本当? 良かったあ」


 紫穂が胸を撫で下ろす。どうやら、歌唱力が低いという自覚はないらしい。


「じゃあ、次はクロ君の番だね」


(う……)


 危うく声と表情に出すところだったが、すんでのところで堪える。

 歌わないわけにはいかない。もう少し時間を稼ぎたかったが、最初に歌うのをこれ以上引き伸ばすのは不自然だろう。覚悟を決めたクロは、再び端末に手を伸ばす。


「実は俺、あんまり歌知らなくてさ……お」


 操作しているうちに、偶然、見知った曲名を見つけた。表示された歌詞にも見覚えがある。どうやら、聞いたことがある歌のようだ。

 はて、どこで聞いたのだろうか、と記憶を手繰り寄せる。

 答えはすぐに出た。

 ()(ふだ)が、車を運転するときによく聞いていた歌だ。諸々の手続きや日用品の買い足しなどで、クロは彼の車に同乗することがある。そのときに、曲名も聞いていたのだろう。今の今まで忘れていたが。


「……じゃ、これで」


 入力し、画面に視線を移した。

 前奏が始まる。ゆったりとしているが、眠気を誘うような曲調ではなく、陽気で、聴いている者の心を踊らせるような不思議な曲だ。

 字幕が出た後、歌唱を始める。

 熱心に聞き込んだ歌ではないため、音程が探り探りになってしまうが、なんとか形にはなっていた。歌い始めは緊張していたが、それも次第に解れていく。


「────ふう」


 曲が終わる頃には、緊張や恥ずかしさはとっくに消えていた。


「クロ君、歌上手いんだね」


「いや、そんなことないよ」


 自分がそうしたように、紫穂もまたお世辞を述べているのかもしれない。わかってはいるが、それでも嬉しかった。照れ臭さから、クロは人差し指で頬を掻く。次いで、火照った体を冷ますべく上着を脱いで脇に置いた。


「じゃあ、次は私だね」


 そう言って、紫穂が端末を手に取る。

 カラオケは、一人一曲歌って終わりではない。時間いっぱいまで、各々が歌唱を楽しむものだ。

 確か、今回の利用時間は三時間。二人で一曲ずつ歌ったが、まだ十分程しか経っていない。

 矢継ぎ早に歌っていては、すぐに弾数が切れてしまうだろう。どうにかして、自然に時間を稼がなければ。


(……お?)


 紫穂の歌が始まったが、先程のような不快感はなかった。大きすぎた期待との差によるものだったということだろうか。いや、下手であることに変わりはないのだが。それでも、思考を巡らせる程度の余裕はできていた。


(氷見谷、楽しそうだな)


 先程は呆気に取られて気づかなかったが、歌唱中の紫穂はとても朗らかな表情を浮かべている。

 歌が、歌うことが、好きなのだろう。好きなことを全力で楽しむその姿が、クロにはとても魅力的なものに見えた。

 そして同時に、思う。


(俺にとっての楽しいことって、なんだったっけ)


 前の世界では生きることや戦うことに必死で、何かを率先して楽しむという機会はなかった。楽しさを感じたことがない、というわけではないはずなのだが。

 これもまた、記憶喪失の弊害なのだろうか。そんなことを考えながら、残りの時間を過ごした。


「────そろそろ、帰ろうか」


「ああ」


 枯れそうな喉をさすりながら、そう返す。

 手札がなくならないように休憩を挟んでいたが、それでもかなりの数を歌っただろう。加えて、普段出さないような音域で歌っていたために喉の負担が大きかった。


「……今日は、ごめんね」


「気にするなよ。俺も楽しかったし。喉も、明日か明後日くらいには治ってるだろ」


 その言葉に、嘘偽りはない。

 歌唱に対して特別楽しさを覚えることはできていなかったが、楽しそうに歌う紫穂の声を聴く時間は、嫌いではなかった。たとえそれが、どれだけ下手なものだったとしても。


「いや、そうじゃなくてね」


 紫穂の表情は、先程までとは打って変わって暗いものになっていた。続く言葉を聞いて、クロはその理由を察することとなる。


「私の歌、下手だったでしょ……?」


 思いがけない言葉により、返答ができなくなるクロ。結果、その行動は肯定の意となってしまった。


「自分が下手なのわかってたのに、クロ君に甘えて、好き放題歌っちゃった。聞いてもらうの、好きなんだよね」


 あはは、と笑いながら頬を掻いているが、どこか哀しげだ。歌が下手だという自覚があるからこそ、紫穂は一人で来るつもりだったのだろう。


「今度からは、一人で来るようにするから」


「……氷見谷は、楽しくなかったのか?」


「え?」


「今日は楽しくなかったのか?」


「そんなことないよ。もちろん、付き合わせちゃったことへの申し訳なさはあるけど……すっごく楽しかった」


「なら、良かった」


 クロは立ち上がり、端末を元の位置に戻す。脱いでいた上着に腕を通すと、手早く荷物をまとめた。


「また誘ってくれよ。氷見谷さえ良ければ、だけどな」


「でも……」


「さっき言ったろ? 俺も楽しかったって」


 クロにはやるべきことがある。お礼という目的があったが故に今回は参加したが、本来、遊んでいる暇などない。息抜きも兼ねていたが、前者の理由がなければ娯楽にかまけることはなかっただろう。

 恐らく今後、誘われても断ることの方が多いはずだ。だが、それがわかっていても、彼には紫穂を放っておくことはできなかった。


「……ありがとう」


「感謝されるようなことでもないって。さ、早く帰ろうぜ」


「うん」


 紫穂の返事を受け、足早に部屋を出る。クロの中では、二つの感情が渦巻いていた。

 一つは、照れ臭さ。似合わない台詞を吐いてしまったと気づいたことで、心がざわついていたのだ。

 そしてもう一つは、自己嫌悪。無責任な発言をしてしまったと、早くも後悔し始めていた。


(……何やってんだろうな、俺)


 ハクの捜索を他人任せにし、日常生活を謳歌しようとしている。魔物こそ討伐しているが、それは本来の役目ではない。

 ハクと再会すること。記憶を取り戻すこと。この二点が目的であるのに、全くそれに向けた活動を行えていない。そのことに気づいたクロは、自分に嫌気が差した。


(俺にできることを、やらないと)


 時間は有限だ。趣味や娯楽などに興じている場合ではない。自らの目的を達成するべく、クロは今一度気を引き締め直すのだった。

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