第80話「試験を終えて」
「終わったあ!」
クロの隣を歩く貴久が、目一杯伸びをしながらそう言う。
中間試験を終えた二人は、他の生徒たちの波に乗りながら、学校を後にして帰宅するところだった。
普段、二人が一緒に登下校をすることはない。家の方向が全く別だからだ。
「それにしても、まさか学校が封鎖されるなんてな」
両腕を頭の後ろで組み、貴久が空を見上げる。
本来試験を行うはずだった日から、既に二週間近くが経過しようとしていた。
公的機関の調査による、学校の封鎖。現在もまだそれが続いているが、これ以上試験の延期や授業の停滞を長引かせるべきではないと判断されたのか、別の学校で試験を行うことになったのだ。二人が共に下校しているのも、それが理由である。
「……びっくりだよな、ほんと」
「なんだったんだろうな、あれ」
あれ、が何を指し示しているのか、わざわざ尋ねずともわかった。
魔物。そして、それを屠った謎の人物のことだ。
「さあ……」
「クロは化物の方しか見てないんだよな? いやー、すごかったぞ。まるで映画の世界に入り込んだみたいだった」
「……そっか」
言葉を濁すしかできない。下手に話を弾ませて、余計なことを口走るのは避けたかった。
「元気ねえな。試験上手くいかなかったのか?」
「ちょっと、集中できなくて、な」
実力は出し切ったつもりだが、その言葉は嘘ではない。
あの日以降も、魔物の目撃情報は絶えず上がり続けている。スーパーでの一件も然り、クロ自身その場面に遭遇したことが何回かあった。そして、その度に戦闘を行ってきている。
何故、この世界に、魔物が。
考えるべきはそれだけではない。あの鎧の魔導士についてもだ。
あれも何度か姿を見せていたが、魔物が発生する度に必ず現れる、というわけでもなかった。偶然居合わせたときだけ、人助けを行っているのかもしれない。初遭遇時と同様、被害をできるだけ抑えて動いているように見えたため、やはり敵ではなさそうだ。
だが、いったい誰が。
考えても答えの出ない問い。それらと連日の疲労が同時に襲いかかってきたことで、試験に集中することができなかった。
「まあ、さすがに赤点ではなさそうだけど……そういう池尾はどうなんだ?」
「俺か? 間違いなく赤点だろうな!」
「だからなんで自慢げなんだよ……」
胸を張って言い切る貴久に、すかさずツッコミを入れる。
「池尾も、氷見谷に教わった方が良かったんじゃないか?」
「いやー、あれだ。俺はもう手遅れだからな。どうしようもない」
なはは、と豪快に笑う貴久。
まるで他人事のようだ。そんなことを考えたクロの左肩が、何者かによって叩かれる。
振り向くと、そこには紫穂の姿があった。
「お疲れ様、二人とも」
「おお、紫穂! 見かけないなとは思ってたけど、どこ行ってたんだ?」
「先生に呼び止められちゃってね。出るのが少し遅れちゃった」
そう返す紫穂は、少しばかり息を切らしているように見える。急いでいたのだろうか。そう思ったが、彼女はそのまま二人と共に歩き始めた。
「氷見谷」
「何?」
「試験勉強、手伝ってくれてありがとな。おかげで、なんとか赤点にはならずに済みそうだ」
「そっか。なら良かった」
紫穂にかかっていた負担は相当なものだったはずだ。自宅待機という形で延期した二週間分は自力で取り組むしかなかったが、それまでの勉強はほとんど彼女に付き添ってもらっていた。
恩着せがましくされたとしても、クロは文句など言える立場ではないのだが、彼女はそんな素ぶりも見せなかった。
「……なあ。お礼がしたいんだけど、何か俺にできることってないか?」
さすがに、ここまで助けられておきながら感謝の言葉だけで終わらせる程、クロも恩知らずではない。自分にできることなど高が知れているかもしれないと思いつつも、紫穂に尋ねる。
「いいよ、お礼なんて。私が好きでやったんだし」
やはりと言うべきか、紫穂はそれを受け取ろうとしなかった。
「それじゃあ俺の気が済まないんだよ。何かないか? 使いっ走りでも力仕事でも、なんでもいいからさ」
「うーん……」
困ったような笑みを浮かべる紫穂。
しまった、とクロは思った。自己満足で彼女を困らせてしまっては本末転倒だということに気がついたのだ。
「ま、深く考えずに頼み事してみりゃいいんじゃねえの?」
「頼み事、かあ……」
貴久による助け船。それを受けてか、紫穂が何か思いついたかのような声を上げた。
「何かあったか?」
「うん。あのね」
ぐいっと、紫穂が顔を近づける。
クロの心臓の鼓動が、一瞬強くなった。
単なる驚きか、はたまた別の感情か。彼が理由を考えるよりも速く、彼女は言葉を続けた。
「『カラオケ』、付き合ってくれないかな」
「……カラオケ?」
クロの復唱に、紫穂が頷く。
「今日、帰ってから行こうかなと思ってたの。一人で行くつもりだったんだけど……人数が多い方が楽しいから、来てもらえないかな」
「……ああ、わかった」
「本当? ありがとう!」
カラオケ、とはなんだったか。思い出せないが、断らなければならないような代物ではないだろう。そう判断し、二つ返事で了承した。
「貴久も来る?」
「い、いや、俺はちょっと用事が……」
「……そっか、残念」
貴久の引き攣った笑みを見て、紫穂の表情が僅かに曇る。何かあるのは明白だが、クロには皆目見当がつかない。
「場所がわからないから、どっかで待ち合わせでもいいか?」
「そっか。クロ君はまだ土地勘もないよね。そしたら……私の家の近くに、図書館があるって話したのは覚えてる?」
「ああ」
学校から見て、踏切を越えた辺りにある建物だ。現在地から直接目指すのは自信がないが、帰宅してからなら迷わずに辿り着けるはずだ。
「じゃあ、そこに集合で」
「わかった」
そう返すと、紫穂が二人の数歩前に出て振り返る。
「私、先に行くね。準備に時間かかりそうだから」
「ああ。また後でな」
「うん。貴久も、また学校でね」
「おお。気をつけろよ」
それぞれ挨拶を交わすと、紫穂は背中を向けて小走りで去っていった。
「やるじゃねえか、クロ」
「何がだよ」
「紫穂とデートなんて、滅多にない機会だぞ」
「デートって……」
どうも、貴久はクロの異性関係を恋愛方面へと持って行きたがる節がある。話の種に使っているだけかもしれないが、出汁にされる当人からすれば面白くない。
「大袈裟だなあ。恋愛関係でもないのに」
「恋人じゃなくてもデートくらいすんだろうよ」
「……そんなもんか?」
同年代の恋愛観が、クロにはいまいち理解できなかった。記憶喪失が続いているから、というのもあるかもしれないが、前の世界でそういった話をしたことがほとんどなかったから、という理由の方が大きいだろう。
それこそ、とある夜にハクと好みの女性像について語り合っただけだ。いや、結局彼から引き出すことはできなかったため、一方的に話したと言った方が正しいか。
「ま、とにかく、このチャンスをものにしろよ」
「馬鹿言うなよ。お礼だってのに、下心丸出しで行く奴があるか」
「お? あるのか、下心」
「……言葉の綾だ」
クロも、紫穂のことを綺麗だと思っている。外見だけでなく、美しい心も持ち合わせているのだということは、強く感じていた。
人気があるのもわかる。引く手数多だろうということも容易に想像できる。
それでも、彼女に恋愛感情を抱いているかという問いに対して頷くことはできなかった。
「それより、池尾の用事って?」
「え? あ、ああ……ちょっとな」
再び、貴久の様子がおかしくなる。普段のクロならば深く追及しないのだが、思うところもあって鎌をかけることにした。
「なんだ、嘘か」
「な、なんでわかった!?」
貴久がわざとらしく目を見開く。
そんな彼を見て、クロはため息を吐いた。
「……で? なんで断ったんだよ」
「い、いや……あれだ。クロと紫穂の仲を邪魔したら悪いと思ってな」
声が震えている。
クロは無言で貴久の顔を見つめ続けた。
「あ、お、俺、用事があるんだった! また今度な!」
そう言い残すと、貴久は振り返ることなく全速力で駆けていく。その後ろ姿はあっという間に見えなくなってしまった。
「……用事ないっつってただろうがよ」
度が過ぎたかと思いつつも、先のやり取りがおかしく感じられ、短く笑う。
(とりあえず、帰ったらカラオケのこと調べないとな……)
貴久のあの反応は何故かという疑問が残るが、考えていても仕方がない。未知なる場所に想いを馳せながら、クロは慣れない帰路を一人で辿った。




