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クロと黒歴史  作者: ムツナツキ
第六章『越えた先』
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第72話「既視感」

 ここは、ハクたちと旅をした世界とは違う。()(ふだ)に連れられて街を回ったことで、改めてそう実感した。

 建物や交通網、社会の仕組みといったものが、ことごとく異なるのだ。

 例えば、交通手段。道を行き交うのは馬ではなく、箱のような無機質な物体。しかも、馬よりも速く動き、人や物を運んでいる。

 ()(どう)(しゃ)、というらしい。一般的には『(くるま)』と呼ぶようだ。

 それらがいくつも走っているのに、衝突する気配がまるでない。赤、黄、青。三色の光によって、それらの動きを適宜制御しているからだ。

 この世界の諸々をクロは初めて見るはずだが、何故か心にすっと入ってきた。一度見たり聞いたりすれば、大抵のことは覚えられている。一ヶ月程でこの世界の常識等を頭に叩き込んだ彼は、いよいよ新たな生活に足を踏み入れようとしていた。


(面倒だなぁ……)


 転入初日。

 三年四組と書かれた表札が掛けられたドアの前に、クロは立っている。

 (やま)(もり)(ちゅう)(がっ)(こう)。それが、彼がこれから通う学び舎の名称だった。

 何故ここなのか。単純に、この学区に彼が住むことになったから、というのもあるが、もう一つ大きな理由があった。

 絵札が勤めている学校なのだ。

 なんでも、教頭という立場にいるらしく、そのおかげである程度の無理を通すことができるらしい。出自不明の少年が大した問題もなく転入することができたのも、つまりはそういうことなのだろう。

 他にも、自らの目の届く範囲に置いておきたい、という思惑もあるのかもしれないが、最早考えても仕方のないことだ。


「入ってきて」


 ドアの向こうから、女性のものらしき声が聞こえる。こうなれば、もう覚悟を決めるしかない。

 深呼吸した後、クロはドアに手をかけてゆっくりとそれを開いた。


「失礼します」


 担当教師である女性の方まで歩いていき、体を横に向ける。

 直後、数十人分の視線が一斉にクロを貫いた。

 これまでに乗り越えてきた激戦で感じたそれとは、また別の緊張。見るも無惨な姿へと変わり果てた朝食との再会をせぬよう、必死に堪えながら声を絞り出す。


(ふじ)(さき)、クロです」


 藤咲。

 絵札と同じ名字。

 本名を思い出せないクロが学校に通うための、苦肉の策だった。一応、絵札の甥ということになっているらしい。


「わからないことばかりで色々と迷惑をかけると思いますが、仲良くしてもらえると嬉しいです。よろしくお願いします」


 言い終わって、一礼。辿々しい挨拶だったが、生徒たちの拍手が彼を温かく迎え入れてくれた。


(……なんの拍手なんだろう)


「窓際の一番後ろが空いてるから、そこに座ってね」


「あ、はい」


 すたすたと歩き、陽当たりの良さそうなそこに着席する。今日は曇り空が広がっているため、天からの恩恵は受けられそうにない。


「じゃ、ショートホームルーム始めるよ」


 そう言って、担任が事務的な連絡を始めた。どうやら、彼ら彼女らの非日常はもう終わりを迎えたらしい。

 根掘り葉掘り聞かれると思っていたため、クロは拍子抜けしてしまった。もっとも、答えづらい質問に襲われるよりはいいのだが。


「なあなあ」


 声と同じリズムで、机を軽く叩かれる。右側に目を向けると、隣の席の生徒に身を寄せられているのがわかった。


「俺、タカヒサ。(いけ)()(たか)(ひさ)。よろしく」


「あ、ああ。よろしく」


 池尾貴久は、黒髪黒眼の少年だ。

 いや、彼だけではない。濃淡や明度の違いこそあれど、この場にいるほぼ全ての人間が、黒髪黒眼だった。唯一、担任の女教師だけは、老化によるものと思われる白髪が混じっている。


(あの人が言ってたのは、こういうことだったのか)


 黒髪黒眼。日本に住むほとんどの人間は、そのように生まれてくるらしい。街に出たときは黒髪の者がやや多い程度にしか思わなかったが、それは、染料を使って自分好みに変える人物が少なくないからだと、絵札が言っていた。ちなみに、他の国ではまた異なる色がよく見受けられるようだ。

 クロは髪こそ黒いものの、瞳が赤い。それなのにどうして誰もそのことに触れないのか。

 答えは簡単。『黒く見えるようにした』からだ。

 カラーコンタクトなる物を瞳に装着することで、あっという間に黒眼へ早変わりすることができた。

 早変わり、とは物の言いようで、実際には着脱に慣れるまでそれなりの時間を要したが。


「なあ、まだ学校詳しくないだろ? 後で案内して────」


「池尾!」


 担任の鋭い声。それにより、貴久の背筋は一気に引き伸ばされた。


「はいっ、すんません!」


 彼のひょうきんな返しで、その場が笑いに包まれる。それが静まると、担任は再び話し始めた。


「えっと……ごめん、俺のせいで」


「いやいや、今のは自業自得だろ。また後でな」


 そう言って、にかっと笑う貴久。どうやら、悪人ではないらしい。

 担任や、他の生徒にしてもそうだ。まだ深く話していないため断定することはできないが、目に見えて怪しい相手はいない。

 絵札は本当に、ただの善意で通学を勧めていたのかもしれない。クロが抱えていた不安は、早くも溶け始めていた。


「はい、以上で終わります」


 そんなことを考えているうちに、担任の話が終わる。合図が出されると、生徒の一人が号令を始めた。

 起立、気をつけ、礼、着席。それらに合わせた動作を、一同が行う。予め絵札と練習していたため、クロもつつがなく済ませることができた。

 着席した後、授業の準備を始める。鞄の中身を確認し、忘れ物がないことに一安心してから机の上に教科書類を並べた。


(この後は、十分きゅうけ────)


 思考を遮るかのように鳴り始める、鐘の音。

 クロは素早く耳を塞いだ。

 魔法学校のとき以来、同じ音を聴いても記憶の手掛かりは得られなかった。だが、気分だけは同様に悪くなる。それを防ぐため、彼は必死に意識を別の方へと向けた。

 体が揺れる。

 まずい。かなり悪影響が出ている。そう思ったが、彼の意識は瞬間的に引き戻された。


「────おい!」


「え……」


 目に入ってきたのは、先程覚えたばかりの貴久の顔。彼はクロの肩を掴み、心配するような眼差しを向けていた。


「大丈夫か? 顔色悪いぞ」


「あ、ああ……ごめん。ちょっと緊張しすぎたかな」


 鐘の音さえ消えてしまえば、どうということはない。脂汗を拭いながら、クロは作り笑いを浮かべた。


「そうか? 無理するなよ」


「ああ。ありがとう」


 いつの間にか、他の生徒たちの注目も集めていたらしい。いくつもの視線が、再びクロへと向けられていた。

 教室内にこそ初めて立ち入ったが、この学校自体には何度も訪れている。学校側が、受け入れ前に本人の様子を確認したいとのことで、絵札の付き添いのもと、顔を出していたのだ。

 そして、そのときにも鐘の音は耳にしていて、同様に気分を害されていた。克服するべきだと思い、わざと意識を向けてみたこともあったが、頭を押さえて蹲っているところを絵札に発見されてからは、どうにかして『やりすごす』方向へと舵を切ることに。

 そう心がけていたはずなのだが、緊張から解放されたことで油断してしまった。


(どうにかしないとな……)


 鐘の音は、一日に何回も鳴る。その度に体調を崩し、周囲を心配させるのは気が引けた。

 いや、心配させるだけならまだいい。そんなことを繰り返していては、そのうち奇異なものでも見るかのような視線を向けられてしまうだろう。

 そんな場所に通いたいとは思わない。ハクを探すためにこの学校へ通い続けなければならない以上、居心地が悪いと感じるような要因は極力減らす必要があった。


(……ハクは、どうしてるかな)


 窓から曇天を眺めつつ、ふと思う。

 自分は運良く拾われたが、ハクもそうとは限らない。今こうしている間にも、助けを求めている可能性は充分にあるのだ。

 かつて自身が、魔物の棲家である屋敷に放り込まれたように。

 この世界では、冥王の瘴気やそれに近しいものは蔓延していなそうだ。それ故、魔物が存在しない。魔力がない以上、当然と言えば当然かもしれないが。

 それらの点を踏まえれば、前の世界程危険度は高くないと言える。だが、山や洞窟内部などの大自然に放り出されていた場合、それは一気に跳ね上がるだろう。さすがに、一瞬で命を落とすような場所に飛ばされているとは思えないが、その可能性をあり得ないと一蹴することもできない。

 考えれば考える程、悪い状況を想定してしまう。やはり、すぐにでも動くべきだろうか。

 その考えを払拭するように、クロはかぶりを振る。

 これが最善手なのだ。無闇に探し回ったところで、見つかるとも思えない。


(できることをするしかない、か)


 唇を噛み締める。

 とりあえずは、今から始まる授業に集中しよう。そう思いながらも、クロの意識はずっと上の空だった。

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