第55話「弊害」
(……殺す)
殺意が、クロの心を蝕んでいく。闇に頼れば頼る程、思考はその一点のみに集中させられた。
感覚を失いかけているはずの手足は、命を屠るに最適な軌道を描き続ける。体の主導権を奪われているためだ。
闇による支配が、始まりを告げていた。
何かを守るため。誰かを救うため。そういった自身の感情を塗り潰されぬよう、彼は戦いながらも抗った。
だが。
「ぶっ!?」
クロの左頬に、衝撃。
エレトの拳が炸裂していた。
怯まずに反撃しようとするも、躱される。そして今度は、相手の左足に自身の脇腹を狙われていた。
「くっ」
右腕で庇い、左手で相手の足を掴む。
両腕で衝撃を吸収することで、なんとか防御に成功した。
そう思ったのだが。
「ゔっ!?」
油断した直後、再び同一方向から衝撃が発生し、構えを崩される。
魔力を噴射することで、二度目の衝撃を可能にしたらしい。エレトは足を素早く引き戻し、その勢いのまま追い討ちをかけるようにして連続で拳を叩き込んだ。
支配に抗えば抗う程、動作の無駄が増えていき、そこを的確に狙われて被撃する。クロが窮地に立たされているのは、それ以外にも原因があった。
(動きのキレが、増してる……!?)
あれだけ攻撃を与えたにもかかわらず、エレトの動きは鈍るどころか、より一層素早くなっているのだ。そのせいで、クロはひたすら防御に専念させられている。
攻撃時よりは湧き出る感情が抑えめであるため、思考する余裕を持てているのがせめてもの救いか。
(こいつも、疑似強化を……?)
闇属性の魔力を宿しているのだから、エレトが疑似強化を使えたとしてもおかしくはない。だが、それだけではないような気がした。
(魔法が効かねえ。肉弾戦も相手に分がある。どうしろってんだ)
猛攻を受け続けるクロは、内心で愚痴を吐く。
その最中、ふと思った。
何故、魔法が効かないのかと。
(いや、思い出せ……魔法を撃ったら、どうなった?)
本当に、ただ威力不足だっただけか。数分前に見た光景を、できる限り鮮明に思い起こしてみる。
確か、あのとき。
魔法は、エレトの体に浸透するようにして消滅した。
(まさか)
ある一つの結論に、クロは辿り着く。
(俺の魔力を、吸収してるのか……?)
そうだとすれば、納得がいった。
魔法を構成しているものは、魔力だ。
魔力の吸収が可能なら、それを応用する形で魔法を無効化することもできるかもしれない。
動作の速度が未だ落ちていないのも、拳から魔力を吸収し、更にそれを利用して疑似強化の効果を高めたからだと考えれば、辻褄が合う。
(……防ぐだけじゃ、駄目だ!)
自らの出した答えが間違っていたとしても、この状況を続けるのは得策ではない。
自分が自分でなくなる恐怖。それは尚もクロの心に渦巻いている。
だが、戦わなければ。
必要なのは、恐怖でも、殺意でもない。
戦意と、覚悟だ。
相手の動きをよく観察し、次の一手を予測する。そしてそこに向けて、自身も拳を放った。
「らああああっ!」
クロの右手と、エレトの左手が激突する。
次いで、左手と右手が。
即座に腕を引き、三度、四度と互いの攻撃をぶつかり合わせていく。
防御と攻撃を同時に。これが、クロの選択だった。
下手に動けば、崩されかねない。それを両者が即座に理解したため、激しい殴り合いを繰り広げているにもかかわらず、膠着しているという不思議な状態がしばらく続いた。
「かはっ……」
先に異変が起こったのは、エレトだ。
なんの前触れもなく、突然吐血した。抑えようとしていたのか、その血液は正面にいるクロへ届くことなく、本人の口元からほぼ垂直に落下していく。
心なしか、拳に込められた力も弱くなっている気がした。
(疑似強化を使ってるんじゃないのか……?)
予想を外してしまったかと思わされたが、クロはすぐにその考えを改める。
(いや、疑似強化を使ってるからこそ、か)
疑似強化で体を酷使したツケが、ここにきて現れ始めているのだろう。もしくは、闇属性の魔力に体が適していないか。
どちらにせよ、クロには好都合だ。
(このまま押し切って、勝つ!)
そう意気込んだ瞬間のこと。
「げほっ、ごほっ、がっ……!?」
クロもまた、同じように血を吐いた。
限界がきているのは、彼もだ。
既に多量の魔力を消費し、本来であれば気絶しているはずの激痛を誤魔化し、ぼろぼろの体に鞭を打って、尚も戦い続けている。むしろ、ここまで持ったことが奇跡的だ。
(やべっ……)
だが、間が悪かった。
自身の右手と相手の左手がせめぎ合っていて、次に反対の腕を戦わせようという、まさにその瞬間だったのだ。
クロは動作が遅れ、攻撃が間に合わなくなってしまった。このままでは、エレトの右腕を防ぐことができない。
顔面に、相手の拳が迫る────
(……まだだ!)
クロは逃げるどころか向かっていき、相手の拳に自身の額を突き合わせた。先程までのやり取りを、頭突きで代用したのだ。
さすがのエレトも、面食らったような顔をしている。
だが、忘れてはならないことがあった。
「『ダンガン』!」
クロの左腕が、空いているのだ。
彼はそこから闇の球体を放った。数えきれない程、何発も。
それらはエレトの体に触れた瞬間、すぐに消えてしまう。その様子からして、やはり吸収されているらしい。
「だから効かないと……」
「じゃあたっぷり食らわせてやるよ」
それは、賭けだった。余裕などないため引き攣り気味だが、挑発的な笑みを浮かべられるよう努める。
今のクロができる、最大限の強がりだ。
「……ちいっ!」
エレトが露骨に顔を歪ませ、一歩退いた。そして、クロから向かって右側に素早く跳躍する。疑似強化の恩恵か、たった数歩でかなりの距離ができた。
「逃がさねえ!」
後方に向けた掌から闇を噴射し、エレトの後を追う。
接近戦を続けていた相手が、自分から距離を取ることの意味。
それは即ち、クロが賭けに勝ったということ。予想が正しかったということの証明に他ならない。
(あいつの体は、闇属性の魔力に適してない!)
吸収できる量にも、限界がある。それに近づいたからこそ、エレトは距離を取ったのだろう。
この好機を、逃すわけにはいかない。
「電磁……」
「させねえ!」
エレトが左腕を構えたのを見て、クロは闇の放出箇所を掌から足裏へと変える。そして空いた掌から、闇の球体を発射した。
相手が出現させた光は、効力を発揮する前に闇の餌食となって消滅する。
「ぐっ……おおおお!」
それでも、エレトは足掻き続けた。その身から、黒い雷が辺り一面に放出される。
回避不能な程に広範囲の魔法だったが、その割には威力も高い。疑似強化がなければ、間違いなく耐えきれないだろう。
「があっ!?」
その雷をきっかけに、疑似強化を使い続けたツケが再び回ってきた。あまりの激痛に、闇の放出を弱められてしまう。
眼から。腹部から。手足から。文字どおり、クロの全身から血が噴き出すようにして流れている。
そしてそれは、相手も同様だった。
迎え撃つしかないと判断したのか、エレトが足を止め、構え直す。それにより、両者の距離は急速に縮まっていった。
「うああああああ!」
「はああああああ!」
相手に近づいたことで、飛行をやめて自分の足で走り出したクロ。
そんな彼を、魔力を練り上げて待ち構えるエレト。
魔法の詠唱をする余裕などなく、ただ叫ぶ。代償に悶え、苦しみながらも、二人は依然として意識を保っていた。
もう、時間がない。
ここで決めなければ。
互いにそれがわかっているのだろう。彼らは共に、鬼気迫る表情を浮かべていた。
そしてとうとう、最後の激突が訪れる。
両者、全力を込めた右腕で相手に殴りかかった。拳と拳がぶつかり、その衝撃で凄まじい風圧が発生する。クロは吹き飛ばされぬよう、両足で必死に踏ん張った。
「ぐっ、ああ……!」
体格も、魔力量も、エレトに分がある。辛うじて勝っているのは、闇への適性だけ。互いに重傷を負ってはいるが、今この瞬間も、黒い雷がクロの邪魔をしている。
圧倒的不利な状況に立たされていることを、彼は理解していた。
それでも、諦めない。
たった一つでも勝っているものがあるのなら、それに懸けるまで。
負けられない。負けたくない。
勝ちたい。
その一心で、ないはずの力を絞り出す。
「ああああああっ!」
喉を枯らす程に叫びながら、力を、魔力を、自身の腕に込める。皮膚を突き破るのではないかという程、血管が肥大化して浮き上がった。
後のことなどまるで考えていない。今、目の前の敵を倒すために、クロは全力を尽くす。
「なっ……!?」
その甲斐あってか、エレトの腕を押し返し、弾くことに成功した。
クロはすぐさま懐に潜り込み、力を溜めるかのように膝を曲げる。そして勢い良く跳躍し、左の拳を相手の顎目掛けて振り抜いた。
その一撃は、回避を許さず命中する。
「ぐあっ……!」
クロよりも大柄なその体が、背中から地面に落下した。
反撃はない。それどころか、起き上がる様子も見られなかった。
勝利したのだ。
だが、その余韻に浸ることはできなかった。
「はあっ、はあっ、はあっ……!」
クロは両足で立ってこそいるが、手を膝に置き、背中を丸め、肩で息をしている。全身の穴という穴から、汗か血かもわからない体液が溢れ出しているその姿は、勝者のそれとは程遠いものだった。
「負け、たか……」
エレトが、ぽつりと呟く。
まだ意識が残っているようだ。
「約束、守れよ」
息も整わないまま、クロは催促する。
戦いに勝ったら、エレトが何故この場所にいるのかを教えるという取り決めだったからだ。
「洗い、ざらい。全部、吐け……!」
「……そのことだけど」
あまり乗り気ではなさそうに思える返事。
どんな質問にも答えるとまでは言っていなかったため、それを口実にしてはぐらかすつもりかとクロは考えたが、その予想は外れることとなる。
「あまり時間がないようだ」
そう言ったエレトの靴が、横方向に倒れた。
何故か。
彼の足が、消滅したからだ。
足だけに留まらず、エレトの体が下から消滅していく。直接見える部位は少ないが、衣服が萎むようにして地に落ちていくことから、それが確認できた。
「なんだよ、これ……」
唖然とした表情のクロ。つい先程まで戦っていた相手を見つめる彼の瞳孔は、開き切っていた。
当の本人はというと、どういうわけか涼しい顔をしている。
「受け取れ」
突如、エレトが自身の胸元から、クロに向けて何かを投げた。その腕もまた、役目を終えたと言わんばかりに消滅を始める。
灰のような、砂のような。細かい粒子へと変化してから、やがて、無へと。
「……これは?」
驚きながらも、クロは片手でそれを見事に掴んだ。
群青色の宝石のようなものに、紐が括りつけられている。取り出した位置からして、首飾りのようだ。
「魔石だ。それを持っているだけで、この国の住民を操ることができる」
「どうしてそんな物を……」
その言葉に込めた意味は二つ。
何故、エレトが持っていたのか。
何故、自分に渡したのか。
「侵入者の排除。それが、彼らに出されている命令だ。俺が消えれば、君は再び彼らを相手することになる」
手出しは無用。戦闘前に下されたその命令が、エレトの死をきっかけに消滅する。そういうことだろう。
「転移魔法陣まで案内させて、そこから王城へ向かえ」
「どうしてここまで……」
クロがそう尋ねる頃には、エレトは首から上を残すのみとなっていた。
「後は、四死生霊、に……」
四死生霊。
エレトは確かにそう言った。
「四死生霊がいるのか!? おい!」
口まで消滅したからか、エレトは何も返さない。
残った眼は、何故か笑っているように見えた。
「……くそっ」
クロの声が、孤独に響く。
エレトの体は余すところなく消滅し、彼の衣服だけがそこに残った。
闇属性の魔力に適応できなかったからか。あるいは、疑似強化の行き着く先が、これなのか。
闇属性の魔力を宿すだけで、この運命が決まっているのかもしれない。
「……行くか」
考えても仕方がないことだ。
自身が闇属性の魔力を宿しているという事実は変わらない。疑似強化を使わなければ、エレトを倒すこともできなかった。今も、魔法を解除した瞬間、気を失うであろうことが直感でわかる。だから、使い続けるしかない。
仕方がないことなのだ。
クロはそう自分に言い聞かせると、首飾りの紐を適当に縛り、その輪に頭を通す。
そして、歩き出した。
まだ、終わりではない。
体を震わせている場合ではないのだ。
「まずはメアと合流しないとな」
メア程の腕前であれば、四死生霊と戦っても遅れを取ることはないだろうが、万が一ということもある。手負いでも、一人より二人の方がいいはずだ。
「これ、使うしかないか」
いざというときに備えるため、無駄な戦いは避けなければならない。人を操ることに抵抗を感じてはいたが、止むを得ず、クロは与えられた魔石を使うことにした。




