第43話「一時離脱」
腹部にかかる力。全身に伝わる振動。それらを不快に感じ、クロは意識を取り戻す。
瞼を開いて一番最初に見えたのは、地面だった。
不思議に感じて首を動かす。どうやら、誰かに抱えられて移動しているようだった。
「目覚めたか」
運んでいるのは、メアだ。目覚めたことに気がつくと、彼は左腕で抱えていたクロを乱雑に放り投げた。
「おわあっ!?」
クロは転げ落ちるようにして着地する。上手く受け身を取れなかったことで痛みに悶えながらも、メアの方を強く睨んだ。
「何すんだ! ってかここどこだよ!」
近くにハクたちの姿は見えない。気絶中に分断されたようだった。日が昇っていないことから、そう時間は経っていないとわかるが、逆に言えばそれくらいのことしかわからない。
「ここはマクア」
「マクア!?」
「……の結界から遠く離れた場所だ」
クロは驚愕した。無理もない。つい先程まで木の国を目指して歩いていたはずが、いつの間にか異なる大陸に存在する水の国に来てしまっているのだから。
「俺をどうするつもりだ!」
立ち上がりつつ、クロは距離を取って警戒する。かつて自身を救ってくれた相手だが、返答次第では容赦しないつもりだった。
「貴様は、四死生霊を誘き出すための餌だ」
「……お前、四死生霊とどんな関係があるんだよ」
「それを貴様が知る必要はない」
「はっ、そうかよ」
メアの言葉を聞いて、クロは剣を構える。
「なんの真似だ?」
「お前を倒して、知ってること洗いざらい吐かせる」
四死生霊のことだけではない。短時間でここまで移動できた理由や、ハクたちの安否など、知りたいことは山程あるのだ。手強い相手だとわかっているが、クロは立ち向かわなければならなかった。
「ほう」
メアが、背の大剣に手をかける。
「ならば、やってみるがいい」
その言葉を聞いて、クロは身動きが取れなくなった。相手に直接何かされたわけではない。相対する敵の発する殺気を察知したことで、全身に危険信号が駆け巡ったのだ。
クロの額から、汗が滴り落ちた。
向かっていけば、その瞬間に死が確定する。
逃げるべきだろう。だが、負けを認めたくないという意地が、彼の体をその場に留まらせていた。
そんな彼に、メアが一歩、また一歩と近づく。
「……無謀な馬鹿ではない、か」
そう呟くと、横を素通りしていった。
同時に、殺気が消える。それによって体の自由を取り戻したクロは、メアの方へ振り向いた。ただ、依然として攻撃を仕掛けることはできない。
「お、おい!」
「帰りたければ勝手に帰れ。逆方向に進んでいればいつか結界に辿り着ける」
だが、と続けてから、メアは足を止める。
「今までどおりの旅を続けたところで、貴様は四死生霊には敵わん」
耳の痛い話だ。お師匠様のもとでの修行や、火の国マーコでの試練を乗り越えて成長したはずだが、それでもヒョウの足下にも及ばなかったのだから。
今も、剣を抜いてすらいない相手に怯え、一歩も動くことができずにいた。現在の自分が弱いという点において、反論の余地はない。ただ、気になることが一つ。
「……どうして、そう言い切れるんだよ」
「先の戦い。遠くからでも感じ取れた。貴様は闇の扱い方を完全に身につけられてはいない。それでは四死生霊を倒すどころか、己の魔力に呑まれて身を滅ぼすことになるだろう」
「魔力に、呑まれる……?」
「貴様が守りたいと思うもの。それらを自らの手で破壊しかねない。闇とは、そういうものだ」
自分はそんなことしない、とは言い切れなかった。これまで脳裏に浮かんだ光景と、メアの話が、無関係であると思えなかったからだ。
闇属性の魔力は、使用者の暴走を引き起こす恐れがある。疑似的な肉体強化以外にも、危険な魔法は決して少なくないだろう。
それなら、頭痛の最中に見えた血みどろの光景や、聞こえた悲鳴は、暴走した自分自身が引き起こした過去の出来事なのではないか、とクロは考えていた。
自分にも、同じものが流れているのだから、と。
「俺と共に行くのなら、教えてやる。闇を御しきる方法を」
「な、なんでお前が……」
「気づいていないのか? 俺もまた、闇属性の魔力の持ち主だ」
クロがメアの魔法を目にしたのは、二回。雷の国ヴィオーノでの件と、今回の件だ。
前者のときには、クロはまだ魔力を感じることができなかったために気づけず、後者はあまりに突然の出来事だったために感じ取れなかった。
ただ、闇属性の魔力が絡んでいるのであれば、納得できる点もある。殺気の鋭さが、いい例だ。
「貴様はより成長するため、俺は四死生霊を誘き出すため、協定関係を結べると思うがな。まあ、好きにしろ」
返事も聞かずに、メアはすたすたと歩き始めた。強引な手段を取った割に、そこまで執着していないらしい。
ちぐはぐにも思える相手の態度にクロは戸惑い、しばし逡巡したが、やがて決意を固める。
「わかった。お前についてくよ」
「そうか」
メアは立ち止まってからそう言って、すぐに再び歩みを進めた。
そんな彼をクロは小走りで追いかけ、横に並んで歩く。緊張も警戒もしているが、旅路を共にすると決めた以上、相手への理解を深めなければと考えていた。これは、その第一歩だ。
「でも、ハクたちが心配するかもなあ」
「問題ない。伝えてある」
「本当かよ」
「伝えただけで、許可は取っていないがな」
「駄目じゃねえか!」
「どうせ奴らでは追いつけまい。心配いらんだろう」
「今からでも戻ってちゃんと伝えておいた方が……」
結果は変わらないにせよ、自分自身の意思であることを伝えなければ、ハクたちにも納得してもらえないだろう。クロはそう考えていた。
「そこまで魔力に余裕はない」
「魔力……そういえば、どうやってここまで移動してきたんだ?」
「……ちょうどいい。実際に見せてやる」
そう言って、メアがクロの肩を強く抱き寄せる。急な衝撃と鎧の冷たさが、同時にクロを襲った。
「俺から離れるなよ」
「え? いや、ちょ」
少年に密着する鎧というなんとも犯罪臭の漂う絵面だが、そんなことを嘆いている暇はない。足下に魔法陣が描き出されたかと思うと、二人の体は徐々に消滅していった。まるで、闇に食されるように。
「な、なんだよこれ!?」
「黙れ」
体の感覚はあるが、そこにあるはずのものが見えない。不思議に感じるどころか、恐怖を覚えていた。ただ、下手に動くことも危険な気がしていたため、クロは目を瞑って自身の無事を祈るだけに留める。
「……着いたぞ」
その声を聞いて、クロは恐る恐る瞼を開いた。
だが、何も見えない。どうやら暗闇の中へと移動したらしく、隣にいるはずのメアさえも瞳に映すことはできなかった。
「何も見えないぞ?」
「目に魔力を流してみろ」
「んなこと言ったって……」
「できなければ死ぬだけだ」
冷たく言い放つと、メアはクロから離れてどこかへと行ってしまう。時間が経つにつれ、その足音は遠く、小さくなっていった。
「ちょ、待てって!」
クロは追いかけようとしたが、暗闇で動き回るのが危険だということは簡単にわかるため、すぐ足を止める。
「目に、魔力を……」
仕方なく、言われたとおり実践してみることにした。全身の魔力の流れに集中してから、その行き先を自身の眼球へと変化させる。
「いだだだだ!?」
激痛が走り、クロはたまらず目を押さえた。情けなく悶える彼の声が、辺りに響く。それなりに喧しかったはずだが、メアからの反応はない。まさか、今の声すら聞こえない程に遠くまで行ってしまったのかと、彼は急激な孤独感に苛まれる。
「な、なんだよ今の……」
呼吸を整えてから、クロはそう呟いた。
自身の声がよく響いたことから、そう広くない場所にいるということはわかったが、目が利かなければどうしようもない。
「もう一回、やるか」
乗り気になれないものの、渋々と再挑戦するクロ。痛みを恐れながら、ゆっくり、ゆっくりと魔力を流し込んでいった。