第32話「風邪」
「……はっ!?」
唐突に意識を取り戻し、クロは上体を起こす。
先程まで洞窟にいたが、いつの間にかどこかの建物へと運ばれていたようだ。柔らかなベッドの上に寝かされていたらしい。
「起きたかい?」
隣のベッドで、ハクが同じように上体を起こしていた。彼は包帯でぐるぐる巻きにされている。
まさかと思いながら自分の体を見たことで、クロは痛みを感じるよりも早く、自身にも同様の処置が施されていることに気づいた。
「……負けた、のか」
悔しい事実を、噛み締めるように呟く。
「そうだね」
短いやり取りの後に流れる、重い沈黙。それを破ったのは、クロでもハクでもなかった。
「お前たち! 目が覚めたか!」
喧しいぐらいの大声が、出入り口から聞こえる。
テッロだ。壊してしまいそうな程の勢いで扉を開け放つと、彼は部屋へと入ってくる。
「動けるか? 動けるな! ついて来い!」
有無を言わさず、テッロが部屋を出ていった。仕方なく、二人は言われたとおりに従う。
「いだだだだ!」
小走りで行こうとしたクロを、激痛が襲った。たまらず、ベッドに手を掛けて中腰になる。
「大丈夫かい?」
「あ、ああ。行くか……」
肩を貸してもらえそうだったが、クロは断った。
ハクの怪我も、決して軽くはない。そのため、足を引きずりながらも自力で部屋を出る。
「こっちだ!」
廊下で二人の姿を確認したテッロは、同じ階にある別の部屋へと入っていった。
体に響かぬよう、クロはハクと共にゆっくりと歩を進める。
扉を開けた先にいたのは、先行したテッロ。
そしてもう一人。ベッドで横になっているフランだ。
部屋に入ると、彼女が苦しそうにしているのがわかった。眠ってはいるが、呼吸が荒く、顔は赤い。
「風邪を拗らせたらしい。試練の前から体調を崩していたのだろう」
「試練の前から……」
ハクが、考えるようにして呟いた。
「なんで気づかなかったんだ、俺は……」
他者には休むように言ってきたフランが、自分の体調に関してはひた隠しにしていた理由。深く考えずとも、それはすぐにわかった。
旅を続けるためだ。足手まといと判断されれば、彼女は同行することができなくなる。故に、元気なふりをしていたのだ。
そして恐らく、体調不良の原因は、過労。
思えば、修行のとき、彼女は自主的に勉強や特訓に励んでいた。半年間もそんなことを続けていれば、体調を崩してもおかしくない。むしろ、ここまで持ったのが驚きだ。
(少し考えれば、わかったはずなのに……)
「傷の治癒はともかく、病気に関しては免疫機能を高めるような薬を投与した方がいい。国の東の方に、薬剤の調合を得意とする者がいるから、早めに治してやりたければ行ってみろ」
「はい……」
「じゃあ、俺はこれで失礼させてもらう。またいつでも挑みに来い!」
そう言って、テッロは去っていった。試練の後始末を全部できる程、暇ではないのだろう。むしろ、ここまで運び、治療まで手配してくれたことを感謝するべきだ。
「で、どうする? 早速行くか?」
「うん。早く楽になってほしいからね」
「決まりだな」
足早に部屋を出ようとした二人。だが、クロはふと声が聞こえた気がして、足を止める。
「……か、ないで」
それは、フランの声だった。起こしてしまったかと思い、クロは彼女に近づく。
「置いてかないで……」
絞り出すような声で、フランはそう言った。
薬の調達に行く二人を引き留めようとしての言葉か、はたまた、自分より先を進んでいる二人に対しての言葉なのかはわからない。もっとも、クロは彼女の方が二歩も三歩も先に進んでいると思っているのだが。
どちらにしろ、彼女を安心させるには一言伝える必要があった。
(フラン……)
大丈夫。そう伝えるだけでいいのだ。
だが、簡単なはずのその一言を、クロは口に出せなかった。
フランの言葉が、願いが、ただ『今』を指しているだけとは思えなくて。掴みきれない彼女の想いに、応えられない気がして。
理由はわからない。ただの直感だ。それでも、気休めを言ったり、なあなあにして誤魔化したりすることは、彼にはできなかった。
「……人は、ずっと一緒にはいられない」
それを見かねてか、ハクが代わりに口を開く。
「遠く離れた地に行くことになったり、死によって隔たれたり、原因は様々だ。僕たちも、いずれそれぞれの道を進み、離れ離れになることがあるだろう」
彼らしからぬ、厳しい言葉。
「でも、だからこそ。断言するよ」
ハクは優しく微笑んでから、続けた。
「それは、今じゃない」
柔らかな声色で、安心させるように、フランに言葉をかけていく。
「少しだけ出かけるけど、すぐに戻ってくる。だから、フランは安心して休んでいて」
「……うん」
熱で頭が上手く回っていないであろうフランに、ハクの言葉が届いたのかはわからない。だが、クロの目には、彼女の表情が安らいだように見えた。
やがて寝息が聞こえ始めたが、先程よりは穏やかで、彼は一安心する。
「……行こうか」
「ああ」
足音を立てないように、二人はその場を後にした。
既に日が傾き始めている。
どうやら、山の麓にある宿屋にいたようだ。すぐ近くに、先程利用した転移魔法陣設置場所が見える。
「東の方って言ってたよな」
「うん。とりあえず向かおうか。転移したら、街の人たちに道を聞いてみよう」
二人は歩き始めた。
険悪な雰囲気でこそないが、フランがいないためかいつもの活気はなく、どことなく寂しさが感じられる。
そんななか、クロは先程のハクの言葉を思い返していた。
『人は、ずっと一緒にはいられない』
この旅は、いつか終わる。
その後のことを、クロは何も考えていなかった。だからこそ、言葉を返せなかったのかもしれない。
「……ハク」
「なんだい?」
「俺さ、覚悟できてなかったよ。全然」
「……そうすぐにできるものではないさ」
「それでも、してなきゃ駄目だったんだ。俺は。別れがいつ来るかなんて、わからないんだから」
冥王の復活を阻止し、瘴気も撲滅することと、記憶を取り戻すこと。これらを何事もなく達成することができたとして、その先、三人がずっと一緒にいられる保障はない。
「さっきは助かった。ありがとな」
「……僕も、同じだからね」
「え?」
ハクは憂いを含んだ表情を見せたが、すぐにいつもの、冷静で落ち着きのあるそれへと戻った。
「いや、なんでもない。礼には及ばないよ」
それは本当に一瞬で、気のせいだったのではないかと思う程だ。
「本当にすげえよ。ハクは」
「そんなことないさ」
「謙遜すんなって」
「……でも、フランに無理をさせてしまった」
ハクの表情が暗くなる。今度は気のせいではなかった。
「僕は気がついていたんだ。フランが寝る間も惜しんで励んでいたことも、その無理が祟って体調を崩していたことも、全部」
ハクの洞察力が高いのか、クロが鈍いだけなのかはわからないが、その点において両者には決定的な差があるらしい。
「それなのに、僕は見て見ぬふりをした。フランが強くなるなら、その方がいいと思った。でも、結果はこうだ。彼女のためと自分に言い訳して、僕は彼女を苦しめた」
「ハク……」
「僕はすごくなんてないよ。ただ、ずるいだけさ」
「それは、違うだろ」
自分を責め始めるハクを、クロは止めた。
「ハクは、良かれと思って黙ってたんだろ? それなら、フランが自分から言わなかった以上、こうなったのは仕方がないって」
言葉を選んで、紡いでいく。あまり無神経すぎても、反感を買いかねないからだ。
「でも……」
「俺なんて、あいつが体調崩してることには気づきもしなかったんだぜ?」
「それは、まあ……」
「あんまり気にしすぎると、フランも困っちまうだろ。そりゃ、心配とか気遣いは必要だけど、自分を責めることはねえって」
クロとて、自分を責めたい気持ちはあった。だが、それをここで口に出すと、二人揃って陰鬱な空気を放つことになってしまう。だから彼は、開き直ることにしたのだ。
「……これ以上無理をさせるくらいなら、フランにはここで抜けてもらった方がいいのかな」
「決めるのはまだ早いんじゃねえの? さっきの戦いでフランが全力出してたなら、厳しいかもしれねえけど……それはもう一回試練受けてみねえとわかんねえだろ」
「……また、フランのためって理由をつけて、間違えるところだったよ」
「ま、何がフランのためになるかなんて、本人にもわかんねえことだろうしなあ」
本人が望んでいることが、本人にとって最善であるとは限らない。クロはそう言いたかったのだ。
「……クロこそ、すごいよ」
「んなことねえって。ただ能天気なだけだ」
照れ隠しで、クロはつい自虐してしまう。
なるほど、相手を持ち上げすぎるのは確かに良くないかもしれない、と彼は思った。
「なら、そういうことにしておこうか」
「おう」
そんな会話をしているうちに、二人は転移魔法陣設置場所の建物へと辿り着く。
「それにしても強かったな、番人」
「うん。瞬発力、筋力、魔力量、魔法の精度……どれも最上級だった。まるで隙がない」
「どうしたら勝てるんだろうな」
水の国での試練とは違い、今回は勝利することが突破条件だ。
だからこそ熟考して、入念に作戦を練り上げる必要がある。もちろん、鍛錬も欠かせないが、それは一朝一夕でどうにかなるものではない。ならば、今あるもので勝負しなくては。
「それを三人で考えるためにも、早く薬を調達して、フランに元気になってもらわないとね」
「そうだな」
国の東側へ行くための転移魔法陣に、足を踏み入れる。
「案外、フランが今回の鍵になったりしてな」
「かもね」
微笑みながら見つめ合う二人を、魔法陣による眩い輝きが包んだ。




