第30話「錬魔」
「ぐっ……うっせえなあ……!」
耳を押さえなければ鼓膜が破れてしまいそうな程、その咆哮は力強かった。狼が息を大きく吸い込むと、その口の間に黒い炎が出現する。
「……! クロ、フラン、下がって!」
ハクが一歩前に出て、杖を構えた。
「『ディフェンディング=レイ』!」
狼の三つの口から広範囲に放たれる、黒い炎。三人を狙ったそれは、光の壁によって阻まれた。ハクの魔法だ。
「ぐっ……!」
だが、安心している暇はない。ハクも防ぐので手一杯なようだ。常に魔力を込め続けているのがわかる。気を抜けば破られてしまうのだろう。それだけ、狼による魔法が強力だということだ。
やがて、炎が収まる。
だがそれは、次の炎を放つための準備でしかなかった。
「くっそ!」
それに気づいたクロは、次の炎が放たれる前に、狼への接近を試みる。
「『闇噴射』!」
課題のときに覚えた魔法で、急速に距離を詰めた。だが、狼は今にも炎を吐き出しそうだ。
(くそっ、遅かったか?)
「『花弁連射』!」
狼の三つの首に、それぞれ魔力の矢が撃ち込まれる。
フランだ。
よろめいた相手の口から、炎が漏れ出て霧散する。彼女の攻撃によって、次の炎までに若干の猶予が生まれた。
「助かったぜ!」
クロは再び闇を噴射して、狼の足下へと辿り着く。
「『クロキヤイバ』!」
勢いは未だ健在で、クロは狼の懐を飛びながら下方向から黒い斬撃を浴びせた。
「……っと!」
勢いが弱まったことで、着地する。
クロが位置していたのは、相手の後方。彼はそこで初めて、狼の尻尾が三つあることを確認する。
「炎は……止まったか」
追撃は阻止することができたようだ。狼の動きは、少し鈍くなっていた。
だが、まだ終わりではない。
「あっ!?」
狼が、ハクとフランの方へと駆け出したのだ。その巨体を活かした攻撃を繰り出すつもりなのだろう。
そうはさせまいと、クロも後を追いかけるが。
「おわっ!?」
狼の尻尾が伸び、円弧の軌道を描くようにしてクロを襲ってきた。
すんでのところで一本目を躱したが、二本目、三本目、そしてまた一本目と、息つく暇もなく連撃が繰り出される。
その先端は特別尖っているわけではないが、速度と質量故か、直撃した大地は貫かれていた。
あれが自分だったらと想像したことで、彼はぞっとする。
(防御はできねえ! 威力が桁違いすぎる!)
クロは迫りくる尻尾を回避しつつ、鞘に剣を納めた。『闇噴射』を使う準備をするためだ。だが、単に追いつくためだけにそれを使うつもりはなかった。
狼との距離は、なかなか縮まらない。魔法を使えば一気に詰められるかもしれないが、届いたとしても相手の腹部下側まで潜り込むことはできないだろう。尻尾に蹂躙されて終わる光景が目に浮かぶ。
運良く潜り込めたところで、有効打を浴びせられるとは限らない。先の一撃、クロは全力で放ったつもりだが、狼は少し怯んだ程度で、致命傷にはなっていなかった。
ならば、どうすればいいか。
「……! 止まった!」
狼が停止した後、左前足を上げているのがクロには見えた。ハクたちの所まで辿り着き、攻撃を加えようとしているのだろう。
「二人とも! 踏ん張れ!」
二人に聞こえるよう、クロは大声で鼓舞する。
直後、甲高い音が鳴った。白い輝きからして、ハクが攻撃を防いだらしい。
狼は左前足を上げたままだった。恐らく、先程の光の壁のようなもので防がれているのだろう。
狼は続けて右前足を振るった。それもまた、防がれるように停止する。ハクによる魔法のそれとは異なる、淡い紫色の輝きが放たれていたことから、フランがなんらかの魔法を使ったのだということがわかった。
とりあえずは無事なようだが、いつまで持つかわからない。
焦り、もどかしさ、苛立ち。それらの感情を募らせながらも、クロは回避と全力疾走を続けた。
そしてついに、そのときが訪れる。
「『闇噴射』!」
狼との距離を詰めたクロは、魔法を使って斜めに飛んだ。尻尾と尻尾の間を潜り抜け、相手の真上を位置取る。
やがて勢いがなくなり、クロの体は重力に引っ張られて落下を始めた。その高度に臆することなく、彼は再び剣を引き抜いて魔力を込める。
「のわっ!?」
上空への移動を察知したらしく、三つの尻尾がクロを追尾して襲ってきた。
彼は身を捩って旋回し、相手の連撃を躱していくが、全てを避けきることはできない。脇腹や足、頬などに、尻尾が掠っていく。
(躱せ、躱せ、躱せ! 落下の勢いを殺されたら意味がない!)
クロの腕と同じ程の径を持つ尻尾。凄まじい速度で迫ってくるため、直撃は絶対に避けなければならない。
掠っただけでもかなりの血が流れるが、その痛みを堪えながら、全身を使って回避を続け、そしてようやく、狼の背中付近まで落下した。
「『クロキヤイバ』!」
渾身の一撃を、狼に放つ。
重力を利用した黒い斬撃は、相手の強靭な肉体に傷をつけた。
「よっし!」
まるで抉られたかのような、深い切り傷。
痛みによるものか、はたまた怒りによるものか、狼が咆哮する。その両前足が引き戻されたことで、ハクとフランは魔法を解除したようだった。
ただ、まだ安堵させてはもらえないらしい。
クロを狙っていたであろう尻尾が、痛みからか不規則な動きをした。そのうちの一本が彼に迫る。
「おわあっ!?」
それに気づいたクロは咄嗟に剣を構え、器用に攻撃を防いだ。
意図した攻撃ではないことと、魔力で剣身を覆ったことも相まってか、剣は破壊されることなく形状を保っている。だが、空中では踏ん張りが利かず、彼の身は狼の背面より外へと押し出された。
(このまま落ちたら、死ぬ!)
攻撃ついでに衝撃を相殺して狼の背中に着地するつもりだったが、このままでは地面に激突してしまう。今の一撃でかなり魔力を消耗したため、二回目の魔法を全力で放ったとしても、この高度から発生する衝撃を受け流しきれるかはわからない。
どうしたらいいか考えているクロの目に映ったのは、ハクが魔法を放つ瞬間だった。
「『スラッシング=レイ』!」
いつの間にか、ハクの杖が伸びている。その先端から、一際大きな光の刃が放たれ、狼の両後ろ足を同時に斬り裂いた。
相手の体が、だらしなく地に落ちる。
「『ペネトレイティング=レイ』!」
ハクは続けて光の槍を正面に向けて放った。防御も回避も許さぬ凄まじい速度で、狼の中央の頭を貫く。
残った二つの頭が、悲鳴を上げるように叫んだ。
「すげえ……って感心してる場合じゃねえ!」
たとえ狼をどうにかできても、自分が死んでしまっては意味がない。
(どうする? もっかい魔法を使うか?)
「クロ!」
彼の名を呼ぶ声。それは、フランのものだった。
「私に任せて!」
そう続けると、クロが着地するであろう辺りに矢を放つ。
フランは『任せて』と言った。故に、彼は余計なことをせず、ただ彼女を信じる。
「……!」
地面と衝突する直前、クロは目を瞑った。仲間を信じているとは言え、怖いものは怖いのだ。
だが、彼が地面の固さに殺されることはなかった。その前に、柔らかい『何か』が、彼の体を包んだからだ。
「これは……花?」
気がつくと、クロは大きな花の上にその身を預けていた。
花は役目を終えたと言わんばかりに萎んでいき、彼を安全に地上へと運ぶ。
「助かった……」
クロはそう言って辺りを見回す。
地に伏している狼。両前足を使って必死にもがいているが、二本の足ではその巨体を支えることはできないらしい。クロやハクの魔法によってできた大きな傷から、どくどくと血が流れ出ていて、痛々しかった。
ハクとフランは疲弊しているようだが、大きな怪我などはしていないと確認できる。
「なんとか、勝っ────」
なんとか勝った。そう言おうとした瞬間、クロは背後から殺気を感じ、振り返る。
振り向いた先には魔法陣が出現していて、そこから獣の爪のようなものが伸びていた。
「っぶねえ!」
間一髪、攻撃を躱す。その魔法陣と爪はすぐに消滅したものの、続けて真上に、同じような魔法陣が展開された。
「なんだよ、これ!」
今度は爪が伸びるだけに留まらず、獣が腕を振るうような軌道で、クロに襲いかかる。
躱しきれないと判断した彼は剣で受け止めたが、押し返すことができずに突き飛ばされた。
そして再び、背後から殺気を感じる。
「いいっ!?」
現れた魔法陣から伸びてきた爪。先の一撃で突き飛ばされたことによって、クロもそれに接近する形になっていた。
両者の距離が、一瞬にして縮まる。
「くっそ!」
剣で受け流すようにして、クロはその身を翻した。今度は伸びただけで、すぐに魔法陣が消滅する。
だが、尚も終わりは見えない。今度は尻尾の一つが、彼目掛けて加速していた。
「またかよ」
斜めに降ってきた尻尾を、クロは後ろ飛びで躱す。地面を貫いたそれは、彼を続けて襲うことなく一旦戻っていった。
尻尾の攻撃が止んでも、油断はできない。
再び真上に魔法陣が展開されたため、彼は剣を構えたが。
そこから、黒い火球が放たれた。
「いやさすがに無理!」
横に転がるようにして、それを回避する。クロはすぐに体勢を戻し、周囲を確認した。
爪や火球。これらは狼の魔法と考えるのが自然だろう。魔物がここまでの魔法を扱えるのか疑問ではあるが、それ以外には考えられない。
(向こうは大丈夫か……?)
クロは二人のことを気にかけていた。
ハクは既にかなりの魔力を消費している。これ以上戦闘が長引くとどうなるかわからない。フランはそこまで魔法を使ってはいないはずだが、武器からして近距離戦は不得手だろう。
(せめて俺とハクの位置が逆なら……)
そこで、クロの思考は中断させられる。
再び、尻尾が高速で彼の身を狙ってきたからだ。
「ちっ」
確かに速いが、気をつけていれば躱せないことはない。先程のように三本相手取るとなれば話は変わってくるが、残りの二本はハクとフランへの攻撃に回しているようだった。
「踏ん張れええええ!」
クロが大声を上げる。士気を高めるためだ。
狼は至る所から流血している。魔物とは言え、生物であることに変わりはない。それがたとえ、巨大化していようと、合体していようと。
出血多量ともなれば、生命活動を維持することはできないだろう。彼はその可能性に懸けることにした。
つまりは体力勝負だ。狼が失血死するか。三人の体力が尽きて殺されるか。
「ぐっ……!」
クロを痛みが襲った。それは、爪によるものでも、火球によるものでも、尻尾によるものでもない。
咆哮だ。
回避と防御に専念している今、耳を塞ぐことはできない。そのような状況で咆哮を続けられれば、耳と頭に痛みが走るのは当然のことだった。
「ぐっ、ああああ!」
負けじとクロも声を張る。自分の声すら聞こえない程、狼の咆哮は轟音に近しいものだったが、それでも気持ちで負けないよう、彼は叫んでみせた。
次第に、爪がクロの皮膚を捉えるようになる。その度に、痛みが蓄積されて動きが鈍くなっていった。それでも、火球と尻尾は完璧に躱し続ける。
足は重く、腕は痺れ、頭は上手く回らない。彼の体は刻一刻と限界に近づいていた。
「あっ……」
尻尾の攻撃を避けたところで、クロは足を挫いてしまう。
そしてそこを、ちょうど爪が狙っていた。
(やっべ……)
己を狙う爪に気づいたが、反応できない。
時の流れが、クロには遅く感じられた。爪はゆっくり、ゆっくりと自身の方へと伸びていく。
避けなければ。
わかっているのに、体が思うように動かない。
爪が近づき、その距離は目と鼻の先まで達そうとして────どこにも届くことのないまま、闇に溶けるようにして消滅した。
「……え?」
三人の周りを囲んでいた魔法陣が、次々と消滅していく。
狼の方に目をやると、その体が硬直して動かなくなっているのがわかった。尻尾も、先程クロを貫こうとしたのを最後に、地面に突き刺さったままだ。
「勝った……のか?」
狼の巨体が、闇に呑まれるようにして消えていく。
通常の魔物とは異なる生まれ方をしたためだろうか。三つの首を持った狼は、正気を取り戻すことがないままその短すぎる生涯を終えた。
「……なんだあれ?」
狼のいた場所に、光の球体が浮いている。近づいたクロが触れると、光が弾けて、中から紙が現れた。
四つ折りの紙だ。落下する前にそれを掴んで、内容を確認する。
「これは……」
「クロ!」
ハクとフランが、自身の方に向かってきているのがわかった。かなり距離があるため、クロも二人の方へ駆けていく。
「うわっ、酷い怪我!」
「見た目だけだよ。二人こそ平気か?」
「無傷ではないけど、大丈夫。クロ程じゃないさ」
「危なかったけど、ハクと一緒だったから助かったよ」
「そっか。なら良かった」
全員無事なようで、クロはとりあえず安堵した。
「それは?」
持っている手紙に気づいたようで、ハクが尋ねてくる。
「狼の中から出てきた。ヒョウからだ」
クロは手紙の文に目を落として、読み上げ始めた。
『とある目的のため、俺たちはお前に干渉した。その結果が、お前の記憶喪失だ。だが、故意じゃない。言うなれば副産物だ。俺たちにわかるのは、記憶を取り戻せるかもしれない方法だけ。お前の記憶を全て把握しているわけじゃない。気になるなら、旅を続けることだな』
「……だとさ」
「とある目的ってなんのことだろう」
「奴らの目的と言えば、冥王復活。それとクロに何かしらの関係があるとしたら……」
「闇属性の魔力、だよな」
「うん。それしか考えられないね。だけど、少し変じゃないかな」
「変?」
フランが首を傾げる。
クロは声こそ出さなかったが、彼女と同様に、ハクの言葉の意味が気になった。
「マクアの屋敷にクロを運んだのはヒョウだって自白していた。『干渉』というのが何を指しているのかはわからないけど、闇属性の魔力を狙っていたのなら、その後にクロを解放する必要はないはずなんだ」
「必要な分だけ魔力を抽出できたってことじゃないのか?」
魔力を抽出すること自体は、そう難しくないはずだ。雷の国ヴィオーノの王子であるエレトが、クロの魔力を魔石に変換したように。
「わざわざ生かしておく必要性がわからない。まして、用済みのはずの相手にこう何度も接触してくるなんて……」
ただの良心、とすれば話はそこで終了するが、ヒョウに限ってそのようなことはないだろう。少しでも良心が残っているのなら、魔物をあのような方法で合体させるわけがない。
「魔物を呼んだり、その魔物を合体させたり。あいつについてはわからないことだらけだな」
「魔物……ああ、思い出しちゃった」
フランの顔色が目に見えて悪くなる。
まだ意識のある動物が、巨大な口に咀嚼される光景は衝撃的だ。あれを見て我慢はできても、気分が良くなることなどあり得ない。
「とりあえず先に進もう。また魔物に襲われたら、今度こそ命に関わる」
「それもそうだな」
ここで考えていても答えは出ないだろう。火照った体を温い風に撫でられながら、三人は再び歩を進めることにした。




