第22話「修行」
「今日から新たな修行を追加する」
お師匠様の口からそう告げられたのは、修行開始から二ヶ月後のことだった。予め武器を用意するように伝えられていた三人は、お馴染みの得物を手に持っている。クロは木剣、ハクは杖、フランは弓だ。
「わしが用意した仮想敵と戦い、勝利するのじゃ」
「追加……? 時間足りるんですか?」
クロが素朴な疑問をぶつける。
「さすがに、時間的にも体力的にも厳しいじゃろう。これまでの内容と日替わりで行うこととしよう。ただし、瞑想だけは毎日行うように」
「ほっ……」
フランが息を漏らした。恐らくは安堵したのだろう。修行後も自己研鑽を怠らない彼女にとって、これ以上負担が増えるのは好ましくないはずだ。
もちろん、クロも同じ気持ちだった。それ故の、先程の質問である。
「では、始めるとするかのう」
お師匠様が杖を翳すと、三人の体が光に包まれた。
眩い輝きに目を閉じ、それが治まってから再び目を開くと、クロの周囲には先程までとは全く別の景色が広がっていた。
「ここは……」
『わしの魔法で作り出した空間じゃ。思う存分戦うといい』
お師匠様の声が、脳内に響く。
遮蔽物のない荒野。見晴らしがいいと言えば聞こえはいいが、殺風景と言った方が正しいだろう。
ハクとフランの姿が見えないことから、一対一での勝利を求められているらしいとわかった。
「……これが、仮想敵ねえ」
クロの前方に一体の人形が現れる。彼と同じく、右手に木剣を握って。
『では、始め』
お師匠様の声が聞こえた直後、クロは素早く駆け出し、距離を詰めた。後の先を狙う戦法は性に合わない。速さと手数の多さで勝負を決めようと考えた。
「ふっ!」
初撃を受け止められるが、クロは続け様に何度も斬りかかる。剣術を習ったことはないため、完全に我流の動きだ。それでも、それなりに戦える程度には磨かれていた。
だが。
(崩せねえ……!)
クロの攻撃は人形にひたすら受け止められている。彼がどの位置から切り込もうとも必ず防がれてしまっていた。
苛立ちを募らせた彼は、大振りの一撃を繰り出す。
(やっべ躱された!)
人形は回避しながら、反撃の動作も並行して進めていた。
その攻撃は、『突き』だ。一切無駄のない動きで、回避困難であろう素早い一撃が繰り出される。
横に避けても、照準を直されるだけ。そう考えたクロは後方に下がるため、大きく踏み込んでいた右足を引き戻そうとした。
(間に合わねえ……!)
眼前に迫る木剣の切先。クロはそれを左手で掴み、自らの額に突き刺さるのを防ぐ。
「ぐぬぬぬぬ……らあっ!」
クロは人形の木剣を引き下げながら、右足で相手の腕を蹴り上げた。あまりに無理な体勢だったが、有効だったらしい。
少なくとも、人形が木剣を手放す程度には。
「もらっ、たああああ!」
蹴り上げた右足を引き戻し、低い姿勢になって距離を詰めるクロ。左右それぞれに持った木剣を遠くへ放り捨て、自由になった拳を握りしめる。そして、駆け出した勢いそのままに人形の胴体へと連撃を放った。
「と、ど、めええ!」
右の拳で相手の顎を捉え、振り抜く。人形は数歩後ずさりし、倒れ込んだ。
「よっしゃ」
宣言どおり最後の一撃とすることができ、クロは満足する。直後、その視界が光によって包まれた。
「よっしゃじゃないわい」
「あ、お師匠様」
光の収束とともに、クロは元いた部屋へと帰還する。彼が一番乗りらしく、他二人の姿はない。
「もう勝てちゃいましたよ。いやー、俺って優秀かも」
「たわけ。あれは勝利とは呼ばん」
「なんでですか!?」
「突きを繰り出された時点で詰みだったからじゃよ。あれが木剣でなく真剣だったとしたら、同じことができたか?」
「うっ……」
もし真剣ならば、今頃、左手は血だらけになっていることだろう。その痛みを想像したことで、クロの背筋に冷たいものが走った。
「肉弾戦に持ち込んだこと自体は面白いと思ったがのう」
肉弾戦も、流血した状態ではまともに行えなかったはずだ。そう気づいたクロは先程までの自分を恥じた。
「さて、二人はもう少しかかりそうじゃ。その間、クロの魔法について話すとしよう」
「俺の……?」
「うむ。お主、これまでに自分の限界を超えた力を出せたことがあるか、覚えておるか?」
「限界を、超えた……」
復唱しながら、思考を巡らせる。戦ったり逃げたりすることに必死で気づけなかったときもあるが、今になって考えてみれば思い当たる節がいくつかあった。
「はい。普段は持てないような重さの物を持ち上げられたり、自分で言うのもなんですけど、異常にしぶとかったり」
「なるほど」
お師匠様は自身の長い髭を撫でてから、再び口を開く。
「無意識のうちに、闇属性の魔法を使っておったのじゃろうな。闇属性の魔法は、疑似的な肉体強化をもたらす。これだけ聞くと良いことに思えるかもしれんが」
「何か裏があるんですか?」
わざわざお師匠様がここまで言ったのだから、きっと短所や欠点があるのだろう。そう思いながらクロは尋ねた。
「痛覚麻痺と肉体の強制稼働によって、肉体強化の魔法を再現しておるだけじゃ。そんなことを続ければ、いずれは身を滅ぼすことになる」
「どうすればいいんですか?」
「簡単なことじゃ。使わなければいい」
「使わない……?」
「うむ。詳細は魔法の修行に入ったら教えるとしよう……さて、二人も終わったようじゃな」
クロを挟むようにして、二つの光が現れる。それらの消失と同時に、ハクとフランが帰還した。二人とも、床に腰を下ろしている。
「どうだった?」
「負けたよ。実力不足を痛感するね」
「私も……クロは?」
「同じく負けだよ。いい線行ったと思ったんだけどなあ」
落ち込む三人の様子を見て、お師匠様が独特な笑い声を上げた。
「いきなり勝てるとは思っとらんよ。これから強くなっていけばいい」
「はい!」
お師匠様の柔らかな笑みに、三人は息の合った返事をする。誰一人として、戦意を削がれてはいないようだった。
「お師匠様、もう一回お願いします!」
クロが気合いの入った声で言う。それにつられるようにして、ハクとフランも立ち上がった。
「僕もお願いします」
「私も!」
「やる気じゃのう。じゃが、今日はここまでじゃ」
気を引き締めたにもかかわらず、出鼻を挫かれてしまう。方針に背くつもりはないが、クロは抱いた疑問をぶつけることにした。
「なんでですか?」
「まずは、万全な状態での勝利を目指してもらう。疲労した状態での勝利はその後で良い。それに、ハクとフランは魔力切れじゃろう?」
「う……」
フランがそう声を漏らす。図星、ということだろう。ハクも同様らしく、苦笑いをしていた。今し方クロに続こうとしたのは、空元気だったということか。
「今日はもう終わりじゃ。各自、休息を取るように」
「じゃあ俺は散歩でもしてこようかな」
クロは余力が残っていた。休めと言われても、このままでは不完全燃焼だったのだ。修行の続きは止められても、周辺を散策する程度なら咎められないだろう。そう考えての言葉だった。
「僕も行こうか?」
「いや、一人でも大丈夫だ。ここ目立つし、もし迷っても人に聞けば帰ってこれるだろ」
「そっか。気をつけてね。僕は書物の間に行くことにするよ」
「あ、私も」
「予定は決まったようじゃな。夕飯までには帰ってくるのじゃぞ」
「わかりました」
三人揃って部屋を出る。ハクとフランは書物の間に用事があるが、玄関と直通しているということもあり、見送りをしてくれた。
「とりあえず、いつも通らない道でも歩いてみるかね」
玄関の扉を閉めてから、誰に告げるでもなく呟く。
走り込みの順路は毎日同じだ。故に、その周辺は既に見慣れた風景となっている。道一つ違うだけでも違った発見があるのだろうが、とりあえず今日は全く別の方向へ足を運ぶことにした。