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クロと黒歴史  作者: ムツナツキ
第十四章『最終決戦』
187/187

第187話「黒歴史だとしても」

 それから時は流れ、十二月。実に一ヶ月ぶりとなる制服姿で、クロは県内でも有数の結婚式場へと訪れていた。


「こんな所で何するってんだ……?」


 彼をこの場に呼び寄せたのは、()(かさ)(あつし)だ。

 二週間程前、敦はいきなり電話をかけてきて日時と場所を指定し、絶対に来るようにとだけ残して一方的に話を切り上げた。

 その後、詳細を確認するためクロの方から何度か連絡を取ったが、のらりくらりと躱され続けて現在に至る。

 場所が場所とは言え、さすがに結婚式の招待ではないだろうが────そんなことを考えた直後、彼はこめかみの辺りを押さえた。


「まだ、本調子じゃねえな……」


 冥王を倒したあの日。指示どおり引き継ぎを終えた後、(やま)(もり)高校へと戻るはずだったが、駆けつけた魔法学指導教員の判断によってクロだけは病院へ直行させられ、そのまま強制入院となってしまっていた。

 そこからしばらくの間面会謝絶が続き、集中的な治療が施されることとなる。やっとそれが終わったかと思えば今度は警察からの事情聴取が続き、見知った顔と会えぬまま一ヶ月近くが経過していた。

 そういった苦労を経て迎えた退院日が、今日だ。故に、一刻も早く帰宅して自室で篭りたいところだったが、厳命されてしまった以上、足を運ばないわけにもいかない。

 せめて、面倒事でなければいいが。そんなことを考えながら、彼は再び歩き出した。


「おお……」


 扉を開けると、煌びやかな内装が目に飛び込んでくる。クロは初めて見る光景に圧倒されたが、自身の方へ近づいてくる人物の気配はしっかりと感じ取ることができていた。


(ふじ)(さき)様ですね。お待ちしておりました」


 この式場に勤める従業員と思われる、中年の男性。同じ制服を着用した者は他にも見受けられるが、彼が纏う雰囲気はやや異質なものに感じられた。年の功の表れだろうか。


「どうぞ、こちらへ」


 そんな相手から丁重に扱われることでクロはむず痒さを覚えたが、後に続いて廊下を進んだ。


「あの、今日はいったい……」


「申し訳ございません。到着するまで、藤咲様には情報を伏せるよう仰せつかっております故、お答えできかねます」


「……そうですか」


 そんな会話をしてからエレベーターに乗り込み、無言で揺られる。

 次にそれが停止したのは、三階。同じような雰囲気の廊下をしばし進んだ後、二人は両開きの扉の前で足を止めた。


「この先で、武笠様がお待ちです。では、私はこれにて」


「ああ、ありがとうございました」


 会釈をすると、来た通路とは逆方向へ男性が去っていく。その背中を見送ってから、クロは扉へと視線を戻した。


「ま、開けてみりゃわかるか」


 何故この場所を選んだのか。何を行うつもりなのか。それは、この扉の先に進めばわかることだ。

 大して緊張することもなく、クロは扉を開いた。


「……なんだこりゃ」


 呆気に取られるクロ。

 広間にて、見知った顔があちこちで談笑を繰り広げていたためだ。等間隔で配置されたテーブルの上には、高級そうな料理が所狭しと並んでいる。


「来たか、藤咲」


 開いた口が塞がらない彼を、敦が出迎えた。こういった場所では正装が一般的なはずだが、彼はくたびれたトレーナーを着用している。

 良くも追い出されなかったものだと思いながらも、クロは半月近く熟成させていた疑問をぶつけることにした。


「今日はいったい……」


「早い話が、慰労会だ」


「慰労会?」


「ここのところ、重要度の高い任務が続いていたからな。それらを無事にこなせたことに対する、俺からのささやかな褒美だ」


「……これ、全部先生の自腹ってことですか?」


 この場には、二十人近くの人々が集まっている。料理は彼ら彼女らの腹を満たせるだけの量が並べられていた。安めに見積もっても、教師一人の財布で賄える金額とは思い難い。


「気にする必要はない。魔法学の指導教員というのは、それなりに手当てを貰えているからな。この程度の出費は……まあ、少し痛むぐらいだ」


「少しは痛いんですね……」


「大人組で割っているおかげで、そこまででもないがな。お前たちへの労いの場ではあるが、後で礼を言っておくといい」


「わかりました。先生も、ありがとうございます」


「ああ」


 一礼した後、クロは広間を見回す。

 友人たちの姿も確認できるが、ひとまずは礼を言いに回るべきか。そう考えて歩き出したものの、彼はすぐにその足を止めることとなった。


「クうぅ、ロおおっ!」


「おわっ……!?」


 肩を掴まれたことで、強制的に停止させられる。自身の右側に赤い頭髪が見えたため、クロは視線を動かす前にそれが誰によるものだったのか理解できた。


「何すんだよ、(ふう)()


 そう返して風太を引き剥がし、自身の対面に立たせる。だが、彼は直立できないようで、ふらふらと足を動かし続けていた。


「僕はぁ……忘れてないぞぉ……」


「は?」


「弱いって言ったことぉ……訂正してもらおうかぁ……」


 今の今までそのような素ぶりは見せていなかったが、やはり気にしていたようだ。目覚ましい程の成長速度も、それが理由かもしれない。

 兎にも角にも、ここは謝罪するべきだろう。クロはそう思ったが、すぐに考えを改めることになる。


「酒臭っ……! お前、酒臭えぞ! まさか飲んだのか!?」


「しっつれいな……飲むわけないでしょぉ……ゆぅとぉせぇだよ、僕は……ただ、おぉだ君から貰ったのを、のんららけで……」


「お前か(おう)()! 何してくれてんだ!」


 元凶であろう大和(やまと)の方に視線を向けるが、彼は我関せずといった様子でワインを口に流し込んでいた。その隣では、つかさが微笑みかけている。完全に二人の世界に浸っているようだ。


「しゃあクロ、今しゅぐに謝って……ごふうっ!?」


 千鳥足で迫る風太。その脇腹に、容赦ない一撃が繰り出された。

 クロによるものではない。いつの間にか風太の隣に立っていた、金髪の少女による犯行だった。

 彼女はクロに頭を下げると、横たわった風太の足を引きずって連行していく。どうやら、彼とそれなりに親しい間柄のようだ。

 妹かとも思ったが、その割に雰囲気や顔立ちは似ていない。彼の口から兄弟の話を聞いたこともなかったため、血縁者ではないのだろうと思い直す。

 もっとも、そこまで彼と親しくなれていなかっただけかもしれないが────結局、答えを出せぬまま二人の姿は視界の外へと消えてしまった。


「藤咲クロ!」


 またしても、聞き馴染みのある声がクロにかけられる。振り向いた先では、頬を膨らませた(らい)()が、山盛りの料理が乗った取り皿を手に持って立っていた。その隣には、声の主であろう()(とせ)の姿もある。


「もがもがもがが」


「いや、食べてから喋りなさいよ……はしたないわよ」


 珍しく、雷貴に敬語を使わない千歳。

 クロは二人の関係性に何か変化でもあったのかと勘繰ったが、感じられる魔力反応の微細な違いからその理由に気がついた。


「お前、セレスか」


「……ありゃ、ばれちゃったか」


 数秒程咀嚼音を響かせてから雷貴が再び口を開いたが、その瞬間セレスティーナの魂と思われる輝きは肉体から分離し、彼の魔導具へと戻っていく。


「いつの間にそんな芸当できるようになったんだ?」


「気づいたら、としか……今日の慰労会はセレスにも参加する権利があると思うから、こうしてちょくちょく体を貸してるんだよ」


「負担はないのか?」


「長時間じゃなければ大丈夫みたい」


「そうか」


 雷貴なりに、不定形の存在との付き合い方を模索しているらしい。心配ではあったが、あまり口出しをするのも良くないかと思い、クロは無難な返事をするに留めた。


「貴方は、もう大丈夫なの?」


「ああ。たまに目眩がしたりはするけどな。激しい運動はするなって言われてるから、自警団への復帰はもう少し先になると思う」


 あの日、全身から流血していても尚活動を続けられていたのは、冥王から吸収した魔力で疑似強化を発動していたが故だ。

 本来ならば、即死していてもおかしくはない程の負傷。それを誤魔化し続けた代償は決して軽くはなかったが、長い入院期間を経てどうにか解消することができた。


「そう。お大事にね」


「ああ、ありがとな」


 会話に一区切りついたところで、また別の足音が近づいてくる。その主は、三人の共通の知人だった。


「ちょっとええかな?」


 その訛りと佇まいで、場に独特の雰囲気をもたらす女性。(えい)(さい)自警団の顧問、()()(とも)()だ。


「お話してるところ悪いんやけど、鋭才の三年生たちが、雷貴君と千歳はんに何か用があるみたいやったから、行ってあげてもらえへん?」


「わかりました。ちょうど話も終わったところなので、問題ありませんよ。行きましょうか、(みどり)()先輩」


「ああ……それじゃ、またね。クロさん」


「おお」


 そうして、二人の背中が遠のいていく。ただ、朋世だけは依然としてクロの正面に留まっていた。

 彼は二人と共に向かわないことへの疑問を抱きつつも、自身の用件を済ませるいい機会だという思考でそれを上書きする。


「宇治先生」


「どないしたん?」


「今日はありがとうございます。ここの費用、出していただいたみたいで」


「ああ、構へん構へん」


 手をひらひらと振り、気さくに微笑む朋世。初対面でこそないものの、クロは彼女とそう深く関わったことがないため若干の緊張を覚えていたが、彼女から発される温かな空気感によってそれは解かされていった。


「そんなことより、うちもクロ君に用事があってなぁ」


「用事?」


(あおい)君を止めてくれて、ありがとうね」


 そう言って、朋世が頭を下げる。

 ようやく肩の力が抜け始めたクロだったが、彼女の言動を受けて早々に身構えることとなってしまった。


「……どうして、礼なんて。罵られるならわかりますけど」


「そりゃ、蒼君が亡くなってしまったことは悲しいけど……罵るなんてできひんよ」


 頭を上げた朋世は、尚も微笑を保っている。だが、それはどこか哀愁を帯びたものに変化しているようにも感じられた。


「蒼君が罪を犯したことに変わりはない。せやけど、クロ君が止めてくれたことで、あれ以上罪を重ねずに済んだ。それに対して、ほんまに感謝してるんよ」


「そう、ですか……」


 礼を述べられても、素直に喜ぶことはできない。罪に問われなかったとは言え、人を殺めた事実を美徳のように思うことなどできなかったのだ。


「ごめんなぁ、せっかくの場で、こんな重たい話してしもて」


「いや、そんな……」


「ほな、うちはそろそろ行くわ。これからも、あの子らと仲良くしてやってなぁ」


「はい。こちらこそ」


 クロの葛藤が、表情に出てしまっていたらしい。朋世は足早に雷貴たちのもとへと戻っていった。


「喉渇いたな……」


 立て続けに会話をしたからか、体が水分を欲している。

 どこに行けば飲料が手に入るか。そう考えながら視線を動かそうとした瞬間、クロは背後に人の気配を感じた。


「良かったら飲むか」


「……叔父さん。驚かすなよ」


「そのつもりはなかったんだがな」


 水と思われる液体が入ったグラスを()(ふだ)から受け取ると、クロはその中身を豪快に口へと流し込む。唇の端から零れそうになった水滴を手の甲で拭き取ってから、再び口を開いた。


「叔父さんも来てたんだな。てっきり、仕事か何かだと思ってたのに」


「所謂、サプライズというやつだ。すまないな、そのせいで退院に立ち会えなくて」


「いいよ……あ、今日はありがとう。お金、出してくれたんだろ?」


「微々たるものだ。気にするな」


 教頭という役職を持っている分、懐には余裕があるらしい。彼と共に生活しているクロは、それをよく理解している。


「さて、私の制止を振り切って戦いの場へと向かった件についてだが……」


「あ、やっぱり怒ってる……?」


 あの日、敵の本拠地であろう場所へ向かう旨を伝えた後、クロは絵札からの連絡に応答しないままスマホの電源を切っていた。

 入院してから二人が顔を合わせる機会はなく、何度か交わした連絡でもその件に触れられることはなかったため、もしかしたらもう追及されないのかもしれないと淡い期待を抱いていたが、そう上手くはいかないようだ。


「言いたいことは山程あるが……」


 観念して小言を受けよう。クロはそう思ったが、絵札が続けた言葉は予想外のものだった。


「無事で良かった。今は、それだけで済ますことにしよう」


「叔父さん……」


「説教は帰ってからだ」


「うへえ……」


 一喜一憂するクロの様子を見てか、絵札の表情が少し柔らかくなったが、それはすぐに引き締まったものへと変化する。


「まあ、私も偉そうなことは言えないが……」


「どういうことだ?」


「あの日、私は中学校の防衛に努めていたんだが……実を言うと、あの場には私以外まともに戦える者がいなかったんだ。もし君に同行していれば、今頃あの中学校は落とされていただろう。だから、君が解決してくれて助かった。本当に、感謝している」


「……礼なんて、そんな」


 やはり、手放しで喜ぶことはできない。


「俺だって、助けられなかった命が……いや……助けなかった命が、たくさんあるんだ。褒められたもんじゃない」


 それは、(おと)()を抱えて戻る道中のこと。

 助けを求める声は決して少なくなかった。だが、クロはそれらに応えることなく先を急いでしまったのだ。

 そうしなければ、事態はより深刻になっていただろう。それは理解しているが、自身の行いを正当化する気にはなれない。


「気にしすぎるな。諸悪の根源を倒せただけでも、良しとしよう」


「……そうだな」


 そう返し、クロは作り笑いを浮かべてみせた。


「じゃあ、俺は料理物色してくるよ。何があるかなあっと」


 これ以上、気を遣わせるわけにはいかない。いつまでも暗い顔をしていたら、せっかくの慰労会が台無しになってしまう。今するべきは、この催しを満喫することだ。

 心の中で自らにそう言い聞かせると、クロは逃げるようにその場を後にする。


(……ここなら、空いてるな)


 ちょうど良く、人が集まっていないテーブルを見つけた。料理も充分に残っている。

 まさか、味でも悪いのかと一抹の不安がよぎったが、クロは気にせず取り皿を用意して盛り付けることにした。


「随分と、楽しそうだね」


 ようやく食事にありつけると思った矢先、また新たな人物の声が聞こえる。その方へと振り向いたことで、クロは伏し目がちに様子を窺う少女の姿を確認できた。


「私も、輪に入っていいのかな」


 そこに立っていたのは、山盛高校自警団員の一人である()()()()()だ。

 彼女なりに先日の件を気にしているのだろう。あれだけ悪態をついたクロに対しても、一定の距離を保っているように見受けられる。


「当たり前だろ。仲間なんだから」


「……一周回って意地悪じゃない?」


「さあな」


 そう言って、クロは取り皿に盛り付けた料理を頬張った。

 特別、紫穂に対して優しくしているつもりも、厳しくしているつもりもない。

 強いて変化を挙げるとすれば、遠慮がなくなったことだろう。彼女の記憶を呼び覚ましてしまったことへの罪悪感が薄れることはないが、それを理由にして彼女との接触に気を遣いすぎることはなくなっていた。


「隣、いい?」


「ああ」


 紫穂もまた、クロと同様に料理を盛り付け、それを口へと運ぶ。誰に割って入られることもなく、そのまま二人だけで黙々と食べる時間がしばらく続いた。

 自分のことを嫌っている相手とわかっているが、不思議と気まずさはない。むしろ、気楽だとさえ思えていた。


「……クロ君はさ」


「うん?」


 取り皿を空にした直後、紫穂が再び話を始める。盛り付けた量の違いか、クロは未だに料理を食べ続けていた。


「私のこと、嫌いになった?」


 何故、そんなことを尋ねるのか。考えても意図がわからなかったが、わざわざ濁す必要もないかと思い、クロはありのままを伝えることにする。


「別に。今までと変わんねえよ」


「……そっか」


 満足したのか、それとも呆れたのか。紫穂は僅かに口角を上げた。

 やはり、彼女の心情は読み取れない。


「そろそろ行くよ。みんなとも話したいし」


「そっか。またな」


 そんなクロの何気ない返事を聞いてか、歩き出したばかりの紫穂がすぐにその足を止める。


「……うん。またね」


 振り返ることなくそう返し、紫穂は再び歩き始めた。クロは最後の一口を味わいながらその背中を見送る。


「……なんか疲れたな」


 かつてない程に多くの人間と言葉を交わしていたためか、クロは気疲れしてしまった。紫穂がいなくなった瞬間、周囲に人が増え始めていたため、どこか休めそうな場所はないかと辺りを見回す。


(あっち行ってみるか)


 目に留まったのは、ベランダだ。同じことを考えた先客がいるかもしれないが、とりあえず様子だけ見てみようと、クロは移動することにした。

 幸い、誰に捕まることもなく窓ガラスの付近まで辿り着く。その向こう側に一人の少女の後ろ姿が見えたが、見覚えのある服装をしていたため気にせず進んだ。


「……なんだ、あんたか」


「なんだとはなんだ」


 今の時代では珍しい、黒髪黒眼の少女。かつてクロと同じ中学校に通っていた、彼の幼馴染とも呼ぶべき存在、四十八願(よいなら)音羽の姿がそこにはあった。


「……もう、怪我はいいのか?」


「余裕。大した怪我じゃなかったし……ってか、あんたの方がよっぽど重傷だったらしいじゃん。もう平気なの?」


「ああ、まあ……なんとかな」


 余計な心配をさせまいと、返事を濁す。音羽の隣まで歩いて柵に上体を預けてから、クロは再び口を開いた。


「あの日は、ごめん」


「……なんのこと?」


「地下でのことだよ。俺が集中してなかったせいで、音羽を危険な目に遭わせちまった」


「ああ、別に気にしてないよ。さっきも言ったでしょ? 大した怪我じゃなかったって」


「けど……」


 あっけらかんとした様子の音羽。

 自分の怪我を大事に感じられない気持ちはクロにもわかるが、さすがに引き下がることはできなかった。


「あたしは別に、謝罪とか感謝をさせるために動いたわけじゃない。あんたを傷つけさせたくなかったから、庇っただけ」


「音羽……」


「ま、どうしても気が済まないってんなら、今度、ご飯の一つでも奢ってもらおうかね」


「俺の感動返せや」


「ははっ。やっぱそのくらい張り合いあった方が面白いよ」


 音羽が微笑み、広間の方へ数歩進んでから振り返る。


「ご飯、約束だからね。忘れないでよ?」


 そう告げると、音羽は返事を待たずに広間へと戻ってしまった。

 彼女と入れ替わりで誰かが来る様子はない。寒風の中、クロだけが一人取り残される。


「ああ。忘れないよ」


 たとえ罪滅ぼしでなくとも、音羽が願うならクロはどこまでも付き合うつもりだ。

 本来の歴史を取り戻せなくなったこの世界において、本当の自分を覚えているただ一人の少女。それは、彼にとって心の支えと呼べる程大きな存在になっていた。


「……そうだ」


 思い出したかのように、クロはポケットからスマホを取り出す。先日買い与えられたばかりの新品だ。


「少し話そうぜ」


 画面に触れることなくそれを耳元まで持ち上げ、呟く。

 誰に届くはずもない、クロの言葉。それに応えることのできる存在が、一人だけいた。


『どうしたんだい?』


「お前は、行かないのかなと思って」


 彼もまた、冥王の討伐に貢献した一人だ。彼にも、この慰労会に参加する権利がある。


『遠慮しておくよ。クロと僕が急に入れ替わったら、みんな驚くだろうからね』


「そりゃ驚きはするだろうけど……ちゃんと説明すれば、受け入れてもらえるだろ」


『そうだろうね。それでも、やめておくよ』


「……そっか」


 手柄を横取りするようで気分は良くなかったが、強制することでもないと思い引き下がることにした。


「一つ、聞いてもいいか?」


『なんだい?』


「俺の代わりに、これからの人生を過ごしたいとは、思わないのか?」


 冥王との戦いをきっかけに、二人は自由に入れ替わることができるようになっている。その気になれば、肉体の主導権をハクが乗っ取ることも可能だろう。それを試みた様子すらないことが、クロは気がかりだった。


『一人の人間として生を享受することに、未練が全くないと言えば嘘になる。だけど、あの戦いで負けたのは僕だ。今更、君に成り代わるつもりなんてないよ』


 それに、とハクは続ける。


『今、こうして僕の意識が明確にあること自体、奇跡的なことだ。君と同じものを見て、聞いて、感じられる……それだけで僕は充分だよ』


「……お前らしいな」


 その生真面目な回答に、クロは笑いすら込み上げてきた。だが、納得はできない。


「それでも俺は、ずっとこのままなんて嫌だ」


 その願いは、きっと間違っているのだろう。

 迷い、悩み、苦しみ、哀しみ────その末に二人で出したあの日の答えを、否定することと同義なのだから。

 だが、そうわかっていても、願わずにはいられない。


「お前の姿が見たい。お前の声が聞きたい。また、お前の隣に立ちたい」


『……でも、それはできない。今、この状態こそが、僕たちのあるべき姿……いや、意識が完全に結びついていないから、未だ不完全とも言える。これ以上の歪みは、僕たち以外にも影響を与えるかもしれないよ』


「なんとかする」


 迷いのない返事。

 壁が高いことなど、言われずとも理解できている。そのうえで尚、クロは成し遂げようとしているのだ。


「何年経とうが、何十年経とうが、必ず。誰に迷惑かけることもなく、俺とお前が別の人間として生きられる方法を探し出す」


 それこそが、クロの次なる目的。


「それとも、そんな未来は嫌か?」


『まさか。もし叶うなら、僕も、この世界で君と……』


「……決まりだな」


 想いは一つ。ならばもう、クロが止まる理由はない。


『だけど、当てはあるのかい?』


「とりあえず、雷貴とセレス……それから、モルテあたりにでも相談してみるか。魂に関することなら、それなりに詳しいだろうし」


 セレスは魔法で自らの魂を定着させることができる。

 彼女たちに協力を要請するだけで解決できるとは思わないが、なんらかの手掛かりは掴めるかもしれないと考えた。


「あとは、そうだな……うーん……」


『これまでのことを記録に残すのはどうだろう』


「記録?」


『うん。仮に分裂ができても、前みたいに二人揃って記憶喪失になっていたら意味がないだろう? そのときのために、保険として書いておくのがいいんじゃないかな』


 元は一人の人間のはずだが、こういうときの頭の回転の速さはハクが上だ。分裂後にそれぞれ別で過ごした僅かな期間が、二人の差異を作り出しているのかもしれない。


「なら、並行して日記でも書いておくか……あ、やべっ」


 ふと、スマホに視線を向ける。

 ベランダに出てから、十分近くが経過しようとしていた。これ以上の離席は皆に心配をかけてしまうだろう。


「そろそろ戻るよ」


『その方がいいね。続きは、また今度』


「ああ」


 クロはスマホをズボンのポケットにしまい、広間へと戻る。

 直後、何やら集まっていたらしい人々の視線が一斉に彼へと向けられた。


「クロ、早く来て! 今からみんなで記念写真取るって!」


 酔いが醒めたらしい風太から、大声で呼びかけられる。

 つい先程まで醜態を晒していたくせにと心の中で毒づきながらも、クロは笑みをこぼした。


「今行く!」


 足取りは軽い。

 ここが居場所だと思えるから。

 幸せになってもいいかもしれないと、思えるようになったから。

 罪は消えない。忘れたつもりもない。多くのものを失い、傷つけ、殺めてきた。それらの過ちは、一生、背負い続けなければならないものだ。

 それでも。いや、だからこそ。クロは生きていく。

 仲間と、家族と、友と。

 そして、自分自身と。

 歩み続け、そしてその軌跡を、歴史を、記していくのだ。

 いつか来る、二人で笑い合える未来のために。

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