第176話「浅慮」
「よし、行くか」
転移が成功したことを手早く確認してから、再び歩き始める。声が響くからか、はたまた緊張からか、二人が雑談に花を咲かせるようなことはなかった。黙々と、暗がりの中を進み続ける。
「……また、来るぞ」
数分が経過した後、魔物の気配が接近してくるのをクロは感じ取った。次いで、地面を軽く叩くような音が小刻みに聞こえてくる。徐々に浮かび上がってきたその輪郭は、丸々としたものだった。
「鼠……?」
音羽が表情を引き攣らせているが、無理もないだろう。
計五匹の鼠。それらが全て、人間の子供と同程度の大きさを誇っていたのだ。従来の成長からは、明らかにかけ離れている。
焦点の合わない瞳。もがき苦しむかのような鳴き声。それらが、殺気を放って急接近する鼠たちへの嫌悪感を増大させていた。
「俺がやるか?」
「いや、いい」
音羽が数歩前へと進み、上着の懐から一丁の拳銃を取り出す。慣れた手つきで撃鉄を起こし、迫る鼠の一匹に照準を合わせた。
「このくらいなら、多分いける」
クロの位置から見えるのは、音羽の背中のみ。だが、その佇まいだけで、彼女がいかに神経を研ぎ澄ませているのかが感じられた。
直後、乾いた破裂音が鳴り響く。同時に、鼠の眉間に風穴が開き、そこから鮮血が噴き出した。
疾走する対象に命中させる技術を目の当たりにし、クロは素直に感心する。だが、驚くべきはここからだった。
間髪入れずに、二回目の発砲。それもまた、見事に相手の頭部を撃ち抜いている。音羽は流れるように銃撃を続け、瞬く間に全ての鼠を処理してみせた。
「ざっとこんなもんかな」
そう言って、音羽が拳銃を収める。クロは彼女の横を通り過ぎ、倒れ伏す鼠たちの様子を確認した。
(……ちゃんと死んでるな)
一匹につき、一発。音羽は計五発しか撃たなかったが、息の根を確実に止められていたようだ。
素人に毛が生えた程度の銃撃では、こうはいかないだろう。銃火器の扱いに長けているわけではないクロでもそう思える程、彼女の技術は磨き上げられていた。
「慣れたもんだな」
「ま、練習してますから」
ひとりでに消滅していく死骸を避けながら、二人は再び先を目指して歩き出す。またしても呆気なく戦闘が終わったが、すぐに新手が現れることはなさそうだった。
「銃自体は今回の任務に合わせて調整してもらったばかりなんだけど、なかなかいい感じだね」
「……今の、魔導具だよな?」
拳銃自体の魔力反応と、撃ち出された弾丸から判断することはそう難しくない。ただ、魔力を宿していないはずの音羽が何故魔導具を使えるのかは、疑問に感じられた。
「そうだよ。魔力のないあたしでも使える優れ物。普段は実弾でやることが多いんだけど、場所が場所だからね……ほら、火気厳禁じゃん?」
「なるほどな……」
下水道には、得体の知れないガスが蔓延している。銃火器を使おうものなら、辺り一帯が爆発に呑み込まれることだろう。魔力が動力源となっている魔導具を用いることで、その問題点を解消したということらしい。
「あと、音も小さくなってるよ。反響しても、そんなにうるさくなかったでしょ?」
「言われてみれば……」
「音を抑える魔法が使われてるみたい。本当、魔力さまさまって感じだよね。実銃にもサイレンサーはあるけど、若干用途が違うし」
「へえ……」
流暢に語る音羽を横目に、クロは過去に想いを馳せる。
記憶に残る彼女は、銃火器に特別詳しいというわけではなかった。それなりに活発でこそあったが、血みどろの戦場や命のやり取りなどとは無縁の、普通の少女だったはずだ。
「……なあ」
「ん?」
「一つ、聞いてもいいか?」
「何?」
寂しさを感じたわけではない。哀しいと、申し訳ないと、そう思ったのだ。
故に、クロは尋ねた。
「音羽は、魔力なんて消滅すればいいとは思わないのか?」
音羽が戦うための知識と術を得たのには、ただ一人だけ魔法を使えないという境遇が少なからず関係しているだろう。
もし、自分にも魔力が宿っていたのなら。
あるいは、世界に魔力が普及しなかったら。そんな願いを抱いたことがあっても、おかしくはない。
そして今、後者が図らずとも叶えられようとしている。そのことを彼女がどう思っているのか、クロは気になってしまったのだ。
「……ぶっちゃけ、あたしは魔力がなくなっても困らないけどさ」
本音らしき答えを返しつつ、音羽は歩みを止める。クロが振り返ると、朗らかに、されど、決意を固めたように微笑む彼女と目が合った。
「他の人もそうだとは、限んないわけじゃん? 魔力が広まったときみたいに、世界中が混乱するだろうし。だから、魔力が消えてもいいなんて思えないよ」
「……そうか」
聞かずとも、わかっていたことではないか。そう思い直したクロは、彼女に微笑み返してから再び歩き出した。先程よりも、少しだけ速度を上げて。
「絶対に、止めないとね」
「そうだな」
長話が過ぎた。お互い、その自覚があるのだろう。そこからしばらくの沈黙が続いた。もっとも、それによる気まずさを感じることはなかったが。
「……これは」
二人分の足音と僅かな水流の音を聞き続けること、およそ十分。右側の壁に存在する、細い通路を発見した。濁った水が遠目に見えることから、隣り合った下水道に行き来するためのものと思われる。
「どうする?」
「ちょっと待ってろよ……」
進行方向の突き当たりには、先程転移魔法で越えたものと同様の柵が見受けられた。同じ方法を使えば、更に奥まで進めるだろう。
真っ直ぐ進むか、曲がるか。
クロは瞼を閉じ、暗闇に身を委ね────そして、答えを出した。
「曲がろう。魔物の気配からして、こっちな気がする」
「了解」
先程遭遇した魔物たちよりも、更に強く、禍々しい気配が感じられる。魔物を頼りに進んでいけば、何かがわかるかもしれないとクロは考えていた。
「変わり映えしねえな」
やはり、細い通路を抜けても同じような空間が広がっているだけだった。二人は左折し、再び水流とは反対方向へ進む。
「なんか、空気が重いね」
「……確かにな。具合は平気か?」
「うん。問題ないよ」
並列する下水道を歩き始めてからというもの、闇属性の魔力が広く漂うようになっていた。それを、音羽も感知できたのだろう。
自分の魔力と同じ属性ということもあってクロは耐性を有しているが、彼女がどうかはわからない。なるべく気にかけながら歩こうと決めた、その瞬間。
「……音羽、下がってろ!」
「え……」
二人の前方で、粒子が集まっていく。
闇属性の魔力だ。形成された四つの塊は更に変化を続け、ある生物とそっくりな輪郭を描き出した。
「人間……?」
「を、模してるだけだ」
直立二足歩行をしているだけの、魔力の塊だ。人の形をしているからと言って、魔物相手に躊躇う必要はない。『あの世界』で幾度となく戦っていたクロは、それを理解していた。故に、闇の剣を握りしめ、迷うことなく駆け出す。
「ふっ」
詠唱は行わない。誕生したばかりで動きが鈍い魔物の頸部を、クロは次々と斬っていった。
闇で構成された魔物の頭が落ち、次いで体が倒れる。それらは特別な動きを見せることなく、粒子となって消滅した。
「思ってた程、強くはなかったな……」
振り向くクロ。視線の先に立つ音羽の顔色が青ざめていることに気づき、すぐさま彼女へ駆け寄ろうとした。
「音羽、大丈夫……か……?」
だが、音羽が一歩後ずさったことでクロはすぐにその足を止める。
理解してしまったのだ。彼女が怯えている、そのわけを。
「ご、ごめん……ちが、違くて……」
明らかに取り乱している様子の音羽。だが、クロは彼女に近づくことができない。原因が自分にあると、わかっているからだ。
「ごめ……ごめん……」
平常心を取り戻せないまま、音羽は腰が引けたように地べたへと座り込んでしまった。辛うじて意識は保っているようだが、これでは先に進むことなどできないだろう。
「……少し、休憩しよう」
「で、でも……」
「俺が、休みたいんだ」
顔を合わせないようにしてそう告げると、クロは座り込んで壁にもたれかかる。音羽の役に立てないことへの歯痒さを感じるが、それをどこにぶつけることもできない。彼女を待つ間、彼は周囲を警戒しながら濁った水面に視線を向け続けていた。




