第146話「潜入」
「まさか、あんたが来るとはな」
闇夜をひた走る、一台の軽自動車。
クロはその助手席に座り、ドアの方に肘をついてもたれかかりながら、横目でちらりと運転手の顔を見た。
「俺もびっくりだよ。また会うことになるとは思わなかった」
缶バッジのついた帽子。腰からぶら下がった、装飾品の鎖。遊び人のようにも見受けられる格好をした彼は、通り魔事件の調査時にクロと千歳が相対したあの青年だった。
名を、『岩井健吾』というらしい。先日、千歳から受け取ったのは、彼の連絡先だ。
二人は現在、セレスの潜伏予想区域をぐるぐると回っていた。広く浅く捜索を行いつつ、発見の報告が上がればすぐにそちらへ向かう、という方針のようだ。
「警察に捕まったんじゃなかったのか?」
「条件つきで釈放されたんだよ」
「条件?」
「今まで率いていた不良の連中を使って、治安維持活動に協力すること、だってさ。隠密行動を命じられてるから、基本的には情報収集とその伝達だけだけどね。どうやら、犯罪者の手も借りたい程、この国の人員不足は深刻な状態にあるらしい」
偽神が死んでも尚、この国の治安は改善の兆しを見せてはいないようだ。
いや、死んだからこそ、かもしれない。得体の知れない超常的な存在が消滅したのだ。その真偽がどうであれ、抑圧から解放されたと感じる人々は少なくないのだろう。
「まあ、そこまではわかんなくもないけど……でも、七五三と繋がってるのは意外だったな。あいつ、規則とか法律に厳しいタイプの人間だろ?」
「そうなのかい? 俺はそこまで付き合いが長くないからわからないけど……でも、釈放の提案をしたのは彼女だよ」
「七五三が?」
「ああ。だから、こうして彼女の下で動いてるわけだしね」
初対面のときの発言からは、考えられない行動だ。千歳の心境の変化がクロには不思議に感じられたが、深く考えないことに決めた。
柔軟に対応できるようになったのは、決して悪いことではないはずだ。恐らくは、雷貴と接していくうちに絆されていったのだろうと、そう判断した。
「っていうか君、自分の持ち場は大丈夫なのかい? 最近は魔導具の発生と、それらの違法使用が増えてるみたいだけど」
「魔導具?」
「……まさか、知らないのかい?」
「あー……今は別件に集中しててな。ニュースも見てないから、情報が更新されてないんだよ」
「ふーん? まあ、俺も詳しいわけじゃないけどね。神が死んだとされるあの日以来、どうにもその手の事件事故の割合が増加してるみたいだよ」
僅かな沈黙が生まれたその時、空気を読んだかのように着信音が響く。
クロはポケットからスマホを取り出して確認するが、画面にそれらしき表示はない。どうやら、健吾のものが鳴っていたようだ。
「おっと、すまない……仲間からだ」
取り出したスマホを耳に当て、運転を続ける健吾。器用なものだと感心しながらも、クロは彼の会話に意識を向けた。
「俺だ。何かわかったか?」
だが、電話相手の声が聞こえるはずもない。クロはすぐに視線を車窓に向け、景色が右から左へ流れていくのを眺め始めた。
「……そうか、了解した。今からそっちに向かわせる。近辺で活動している仲間全員に、さりげなく撤退するよう伝えてくれ。あとはこっちでなんとかする……ああ、またな」
通話の終了に気づいたことで、クロは再び視線を戻す。それにより、景色の流れが逆転した。
なんの用件だったのか。そう尋ねるよりも早く、健吾がその口を開いた。
「緑間少年を発見したみたいだ」
「本当か!」
雷貴もまた、独自にセレスを探している。何かしらの確信があって動いているのかどうかはわからないが、彼を追えば彼女のことも見つけられるかもしれない。
「場所は廃工場だ。ここからだと……車で急いで五分ってところかな」
「……車に、急ぐとかあるか?」
「わかってないな」
健吾が、不敵に笑う。
「法定速度ってのは、超えるためにあるんだよ」
直後、エンジンの音が大きくなった。
アクセルペダルがべた踏みにされたのだ。当然、車はそれに従って加速を始める。
明確な速度違反だ。速度計を見ずともわかる。夜間で車通りが少ないからこそできた芸当か────そこまで考えて、クロはかぶりを振った。
時間帯に関係なく、してはならないことだ。
それでも、止めることはできなかった。下手に干渉すれば、車の制御が利かなくなる恐れがあったからだ。
事故を起こさないように。警察に見つからないように。そう祈ることしか、彼にはできなかった。
「────はい、到着」
停車した直後にエンジンが切られ、たちまち夜の静寂が訪れる。幸い、と言うべきかはわからないが、五分も経たずに目的の場所へ到着できたようだ。
もっとも、正面に見えるのは件の廃工場ではなく、なんの変哲もないコンビニだったが。
「トイレでも行くのか?」
「いや、車で送れるのがここまでなんだ。目の前で降ろしてあげたいのは山々だけど……誰の目につくかわからないからね」
十を超える死亡者の情報を握り潰せる程の組織。その一員がどこに潜んでいるかわからないと、健吾は暗に告げているのだろう。
「工場自体はここからでも見えるはずだから、あとは一人で頑張って」
「あんたは……来ないよな」
「悪いね。連絡してくれればまた迎えに来るから。それまでは、この辺りをテキトーに走っておくよ」
「ああ、ありがとう」
クロはドアを開き、道路へと降り立つ。それからすぐに車が再発進し、進行方向を照らしながら去っていった。
「さてと」
反対車線の、更に向こう。そこに、目的地である廃工場らしき建造物の輪郭が見える。
「行くか」
屈伸、伸脚など、軽い準備体操を行ってから走り出した。誰にも姿を見られないことが理想ではあるが、慎重になりすぎても逆に怪しまれてしまうと考えたのだ。
さもジョギング中の一般人であるかのように振る舞いながら、クロは廃工場に近づいていく。幸い、これといった妨害を受けることもなく、即座に侵入できる距離へと達した。
(……結構でけえな)
人目につかない位置まで移動してから忍び込もうと考えていたが、予想していた以上に廃工場の敷地面積が広い。このまま走り続けても、曲がり角へ辿り着くまで五分はかかりそうだ。
逃げ足の速い相手を捕まえなければならない今、一分一秒も時間を無駄にするわけにはいかない。
クロは一旦立ち止まり、近くに人の姿がないことを確認すると、疑似強化を使うことで軽々と柵を跳び越えて内部へと侵入した。
「あ、そうだ」
着地してすぐ、何かを思い出したかのような声を上げる。それから、闇で全身を包み込み、自らの身体的特徴を捕捉されないようにした。
「これでよし、と」
久しぶりの、鎧の出番。防護性能が皆無に等しいのは、ご愛嬌だ。
「んじゃ、探すとするかね」
当てもなく、再び駆け出した。
明かりがほとんどないこの場所でも、クロならば目が利く。闇属性の魔力を有する者の特権だ。疑似強化と違い、体に異変を生じることなく使用できるのも、魅力の一つ。込める魔力量を間違えた瞬間、瞳が破裂しそうになる程の痛みに襲われるが。
「……くっせ」
油の匂いだろうか。兜越しでも伝わる程の不快な匂いが、クロの鼻孔をくすぐっていた。
(ってか、どこにいるんだ……?)
セレスの魔力はクロのそれに類似しているため、他者のものよりも感知しやすいはずだが、進めども進めども魔力反応が一切感じられない。
もしや、この場所にはいないのだろうか。そんなことを考えながら建造物の角を曲がった直後、彼はその足を止めた。
視線の先に、一人の男がいたからだ。
「あの」
男の方も、クロの姿を捉えたらしい。見るからに怪しい風貌のはずだが、意にも介さぬ様子で近づいてきた。
「ワタシ、迷子。駅、探してマス」
片言の日本語に、いかにもというような風貌。その男もまた、セレスによって葬られた者たちとの共通点を有していた。それだけで充分警戒に値するが、他にも怪しい点がある。
鼻と口元を覆った、ガスマスクのようなもの。およそ、日常生活を送るうえで必要なものとは思い難い。百歩譲って、この工場の関係者と言うのであれば話は別だが、先程の言葉からしてそういうわけでもないらしい。
「俺も知らないです」
「そう、デスか」
では、と続けながら、男が自身の懐に手を入れる。
「死ね」
そこから引き抜かれたのは、一丁の拳銃。容赦なく発砲されるが、その時には既にクロは駆け出していた。
相手の背後へと回り込み、首に手刀を浴びせて気絶させる。それから男の背中を蹴り、自身が元いた方向へと押し出した。
そこにはもう一人、別の男が立っていたのだ。同様に拳銃を所持していたが、両者の間にできた遮蔽物によって発砲は阻まれた。
その隙に、クロは気絶した男を三角跳びの要領で跳び越える。
(『ヤリ』)
向けられた銃口に闇の槍を放ち、器用にそれだけを破壊した。着地した直後、相手に肉弾戦を仕掛けられたが、クロは難なくそれを制して相手の体を地面へと押さえつける。
「お前ら、何者だ?」
その問いに、男が答える素ぶりはない。増援を呼ばれても厄介だと思い、クロは仕方なく相手を気絶させた。




