第135話「意外な顔触れ」
忙しない足音が、廊下に響き渡る。誰かとぶつかりでもすれば互いに怪我をしかねない程の速度だったが、そんなことを考える余裕はクロにはない。
幸い、誰とすれ違うこともなく目的の場所へと辿り着いた。
「すみません、遅れました!」
そこは、理科準備室だ。
クロはドアとともに口を開き、即座に謝罪する。それから自身に集まった視線を見たことで、目を丸くした。
風太と紫穂が試練に挑むことは、昨夜確認済みだ。故に、二人がこの場にいることはなんらおかしくはない。
驚いたのは、蒼の他にいたもう一人が原因だった。
「クロさん、寝坊?」
頭の後ろで腕を組みながら微笑んでいるのは、赤紫色の髪が特徴的な少年、緑間雷貴だ。
「ああ、悪い……」
鋭才学園の生徒である彼がこの場にいることへの疑問は、特になかった。恐らくは蒼から打診され、それに応えたということなのだろうと推測することができたからだ。
だが、納得はできない。そんなクロの心情を読み取ったのか、雷貴は朗らかな表情を保ったまま一歩近づいた。
「俺じゃ、力不足に見える?」
「……正直、わからない。雷貴が戦ってるところはほとんど見たことないし」
だけど、とクロは続ける。
「心配なんだよ。強い弱いとか関係ない。雷貴に限らず、大事な友達が……仲間が危険な場所に行くのは」
「気持ちはわかるよ。俺も同じだから。いや、俺だけじゃないか」
雷貴につられ、クロの視線が他の三人へと向いた。
それに気づいたらしい彼ら彼女らは、それぞれ、頷き、微笑み、深く瞬きをし────三者三様の返しを見せる。
「でも、誰かがやらなきゃいけないことだ。そう思ってるからここに来たんでしょ。クロさんも、みんなも」
「……ああ、そうだな」
言われずとも理解しているつもりだったが、覚悟が決まりきっていないことを見抜かれてしまった。先輩失格だと思い知らされ、クロは心の中で自嘲する。
「ま、そんな心配しないでよ。勝算はあるし」
「勝算?」
首を傾げたクロに対して雷貴が指し示したのは、自身の腰の左側。よく見ると、そこに刀を携帯しているのがわかった。
鞘から引き抜かれたそれには、刃の部分がない。特徴的な見た目故か、はたまた比較的最近の出来事だったからか、クロはそれを見るのが初めてではないとすぐにわかった。
「じゃーん。名付けて、『紫電』!」
「これ、この間の魔導具……どうして雷貴が?」
それは、先日、雷貴の祖母が営む骨董品店で発見した魔導具だ。模擬戦形式で行われた審査に通らなかったため、然るべき機関へと回収されたはずだったが、とクロは思い出す。
「記録を取って報告書にまとめるって条件で、返却してもらえることになったんだよ。一応は、ばあちゃんの所有物ってことになってるし……血縁者の俺が責任持って研究に協力するならって話がついてさ」
「へえ……けど、大丈夫か? それ、確か危険なんじゃ……」
以前、雷貴が使用した際には、魔力の過剰な増幅に彼の肉体が耐えきれていなかったはずだ。あの出力を完全に制御できれば、確かに勝算はあるのかもしれないが、それで彼の身に何かあっては本末転倒だろう。
「大丈夫大丈夫。ちょくちょく練習してるし。ある程度、使い方はわかってきたからさ」
「ならいいけど……」
話に一区切りがついた、ちょうどその瞬間、クロの後方から音が聞こえた。ドアが勢い良く開かれる音だ。
まだ誰か来るのか────そう思いながら振り返った彼の眼に映ったのは、知人の、されど予想はしていなかった顔だった。
「……どうしてお前が来てんだよ」
「おーおー、相変わらず威勢のいいこって」
学生とは思えない風貌の男。恵まれたその体格によってクロを見下ろしているのは、黄田大和だ。火傷はほとんど治ったようで、少なくとも見える範囲に包帯等の処置はなされていなかった。
その隣には、見覚えのある少女も立っている。だが、クロは彼女には目もくれず大和のことを睨み続けていた。
「質問に答えろ!」
「私が呼んだのですよ」
蒼が、声だけで制止する。クロは掴みかかりこそしなかったものの、にやけた顔の大和を見て更に苛立ちを募らせた。
「なんでこんな奴を……!」
「気持ちはわかりますが、今は少しでも戦力が必要なのです。協力していただけるなら、その方がいい」
大和の強さを、クロはその身をもって知っている。蒼に敗北を喫してはいたが、決して弱くはないのだ。彼が味方につけば、試練を突破する可能性は格段に上昇するだろう。
だが、信用できない。
私欲のためであれば、自警団の活動にすら邪魔を入れる男だ。今回の協力も、何か裏があるように思えてならなかった。
「でも、こいつ自警団じゃないですし……」
「大丈夫です。既に入団手続きは済んでいますから」
「ちょっ、勝手に決めないでくださいよ!」
「相談したところで、貴方に止める権利などないでしょう」
「それは、そうですけど……」
今回の試練、失敗は絶対に許されない。不安要素でしかない大和を作戦に加えることは避けたかったのだが、この場のまとめ役である蒼に言われては、クロもそれ以上言葉を返せなかった。
「心配すんなよ。俺も、神とやらにはうんざりしてんだ。邪魔は絶対にしねえ。指切りしたっていいぜ」
「やらねえよそんなん」
小指が立った相手の右腕を、クロは軽く払い退ける。
そうなることがわかっていたのか、大和は気分を害したような様子を見せることなく、鼻で笑ってみせた。その反応がまた、クロの中に不快感を芽生えさせる。
「で、まさか、『愛麗』のお嬢様まで戦うつもりじゃねえだろうな」
大和の隣に立つ、七人目。灰色の髪に、紫色の瞳。
名前こそ忘れてしまっていたが、学園祭のときに見た少女だとクロは思い出した。
「戦わねえなら、ここに来てねえよ」
「……本気で言ってんのか?」
お嬢様学校の生徒。そこからどう連想していっても、戦闘能力の高さには結びつかない。
ここにいる時点で蒼の了承は得られているはずだ。つまり、今、大和の口から語られたことに嘘はないのだろう。
そうわかってはいるが、やはり腑に落ちない。
「学園祭のトーナメントにも出てたろうが。見て……ねえんだったな、そういや」
「学園祭?」
セレスティーナの一件が原因で中止になってしまった、学園祭のトーナメント。クロは途中離脱してしまったため、その後の試合運びについては一切知らなかった。
「あ、あの!」
渦中の少女が一歩前へ踏み出し、クロの目を見つめる。緊張しているのか、一度深呼吸してから再び口を開いた。
「改めまして、『愛麗自警団』代表、灰本つかさです。全力を尽くすので、今日はよろしくお願いします!」
そう言って、深々と頭を下げる。同伴と思われる大和とは、似ても似つかない。
いったいどういった巡り合わせで、この二人は親交を深めるに至ったのか。クロはつくづく疑問に思った。
「顔、上げてくれよ」
様子を窺うかのような、不安げな表情。つかさのそれを見て、クロはすぐに頭を下げた。
「ごめん。八つ当たりみたいになった。少し、気が立ってたんだ」
知人を巻き込んでしまったことへのやるせなさ。大和への不信感。横暴な『神』への怒り。そういった感情が、つい漏れ出てしまっていた。
「いえ、気にしないでください」
そう言われ、頭を上げる。
瞳に映ったつかさの表情は、先程までとは打って変わって柔和なものになっていた。そんな彼女に、クロもまた軽く微笑み返す。
「……話は、まとまったようですね」
その一言で、この場にいる全員の視線が蒼の方へと吸い寄せられた。
「これより、三校合同の極秘任務を行います。第一の目標は、浮遊城で待ち構える精鋭を倒すこと。私が魔法で皆さんを転移させるので、敵と接触でき次第、交戦をお願い致します」
「戦力の振り分けはどうします? 確か、一つの城には最大三人までって話でしたけど……」
クロが、純粋な疑問をぶつける。
集まったのは七人。蒼が本題に入ったことから、これ以上の増員は見込めないと考えていいだろう。
少なくとも、三つの城はそれぞれ一人で相手をする必要がある。誰に単独突破の任が課されるか、気になったのだ。
「さすがに、この人数で三人組を作る余裕はありませんので……赤城さんと緑間さん、氷見谷さんと灰本さんで組んでいただきます。藤咲さん、黄田さん、そして私が、単独での挑戦です」
「ま、妥当だな」
大和が、満足げに呟く。
彼に頼るようで癪だったが、クロも同意見だった。このなかでは、最後に挙げられた三人が頭一つ抜けている。その認識は間違いないらしい。
「相手の情報とかはないんですか?」
やや震えたような声で、風太が尋ねる。長い前髪に隠れて表情を確認しづらいが、やはり彼も緊張しているようだ。
「ええ。誰が待ち構えているのか、定かではありません。おおよその見当はつきますが、誤った情報を掴まされている可能性を考えた結果、余計なことを耳に入れるべきではないと判断しました」
「そうですか……」
風太本人は取り繕っているつもりかもしれないが、声が少しばかり上ずっている。
何かフォローを入れるべきか。そう思い口を開こうとしたクロだったが、それよりも速く蒼が再び話し始めた。
「皆さん、これが最後の確認です。ここから先、命の保障はできません。退くなら、今です」
答えは決まりきっている。蒼の言葉を聞いても、今更揺らぐことはなかった。
だが、恐怖を感じないわけではない。
自らの命。友の命。世界中の、見知らぬ人々の命。それらが、この戦いに懸かっている。そう思うと、胸の鼓動は途端に加速していった。
「退いても、誰も咎めることはありません。罪の意識を感じる必要もありません。それでも、私と共に進んでいただけますか?」
皆、同じ考えなのだろう。
誰一人として、この場を去ろうとする者はいなかった。
「ごちゃごちゃうるせえんだよ」
否。逃げ出そうとはしないまでも、心持ちが他と異なっていそうな人間が、一人だけいた。
「とっとと飛ばせよ。じゃなきゃ先にお前ら全員ぶっ殺しちまいそうだ」
目を見開き、歯を惜しげもなく見せつけて笑う大和。彼には、恐怖心というものは存在しないのかもしれない。
「……そりゃ、困るな」
鼻で笑ってから、クロはそう返す。
「先生、お願いします」
「……承知しました」
全員の覚悟を感じ取ったのだろう。蒼は出入り口の対角を位置取ると、教室中央へと腕を伸ばした。
その掌の先に魔法陣が展開され、そこから更に、彼自身を含めた七人へと光が伝播していく。
「皆さん、ご武運を」
その言葉を最後に、クロの視界は切り替わった。