第110話「奇妙な関係」
「どうなってんだこの店は!」
「すみません」
とあるファミレスにて、低い怒鳴り声が響いていた。
声の主は、客として訪れていた一人の老人。禿げ上がった頭を真っ赤にして、激情を露わにしている。
「さっき見たぞ! なんだあのちゃらちゃらした髪色の店員は!」
「すみません」
座ったまま説教を垂れる老人と目線を同じ高さにするべく、若い男性店員が膝を折ってひたすらに謝罪を述べていた。
誠心誠意、というわけではない。その方が楽だと思っての行動だ。
胸のあたりに取り付けられた名札には、『藤咲』の文字。
黒髪に、赤眼。
ただでさえそこまで大きくない体を、通路の真ん中で縮めている彼は、他でもない藤咲クロだった。
高校生にもなれば、個人的な出費が増えてくる。それらを全て絵札にせびるのは気が引けた。学外で使う分ぐらいは自分で工面しなければと思い至り、彼はこのファミレスでのアルバイトを始めていたのだ。
と言っても、それを決めたのは偽りの記憶の中に存在する自分なのだが。
「責任者を呼べ責任者を!」
「すみませ────」
言いかけて、気づいた。
この言葉に対し、ただ謝罪するだけでは明らかに会話が噛み合わなくなってしまうということに。
なんとか軌道を修正しなければ。彼がそう思っていると、一人分の足音がその場に近づいてきた。
「お客様」
現れたのは、一人の女性店員。
怒鳴られている彼とは異なる色合いの制服を着用している彼女は、この事態に動ずることなく凛とした佇まいをしている。
「いかがなさいましたか」
「あんた誰よ」
「当店の店長、赤城と申します。本日はいかがなさいましたか」
「あんたなぁ、ここの店員への指導はどうなってんだよ。どいつもこいつも、派手な髪色しやがって。店員なら店員らしくするべきだろ。ああ?」
「恐れ入りますが、当店では髪色についての規則を設けておらず、各員の判断に任せております。どうか、ご理解の程、よろしくお願い致します」
そう言って、店長は深々と頭を下げた。
だが、老人の怒りは収まるどころか更に勢いを増していく。
「規則がねえなら作れ! ガキじゃねえんだからよ! んなこともわかんねえのか!」
付近の窓ガラスを割れそうな程の、大きな声。この建物内に存在するほぼ全ての視線を独占していたが、老人はそれらを意にも介していないようだった。
「昨今の世情を鑑みての判断と思われます。どうしても納得していただけないのであれば、後日、お客様の希望を上層部に報告する、という形を取ることもできますが」
魔力を宿したことによる、容姿の変化。
念話の直後、日本では『元の容姿に近づけるべき』という意見が挙がっていた。しかしながら、徐々に『個人の自由』という意見が多数派となっていき、今では『どのような立場でも髪や瞳の色に制限がかけられることはない』という結論に落ち着いている。
とは言え、やはりそれを受け入れられない人間も一定数いるのだろう。
眼前の老人のように。
「後日だあ?」
老人は徐に立ち上がり、卓上のグラスを掴む。
縁ぎりぎりまで水が入った、それを。
(まずい……!)
グラスがテーブルから離されるのを見て、クロは咄嗟に立ち上がり、向かい合う二人の間に割って入ろうとした。
浴びせられるであろう冷水から、店長を庇おうとしたのだ。
だが、その動きは他でもない彼女によって制される。
「えっ……」
彼女の左腕に、進行方向を阻まれた。
どうやら、店長はクロの動きを予見していたらしい。
いや、それだけではない。彼女は老人の手を掴み、それごとグラスを卓上へと戻していた。
「……これ以上は、他のお客様のご迷惑になります。どうか、お引き取りください」
「て、てめえ……客は神様って言葉を知らねえのか!」
尚も、老人は引き下がらない。
店長はしばしの間、テーブルに溢れた水を眺めていたが、やがてその視線を相手の方に向けた。
「よく、存じておりますよ」
横顔しか見えないクロでもわかる程の、威圧感。
吊り目が特徴的な彼女に真正面から凄まれれば、大の大人とて震え上がることだろう。それを示すかのように、老人の顔から、一気に血の気が引いていく。
「……出口はあちらです。お代は、結構ですので」
店長が道を空けると、老人は動揺を隠そうともせずに慌ただしく店を後にした。
入退店時のメロディが鳴り終わった後、店内に沈黙が流れる。そこから、一つ、二つと声が増えていき、やがて普段どおりの程良い喧騒が再来した。
「すみません、店長」
「いいのよ。あんたのせいじゃないんだし。片付けは任せて、もう上がっちゃいな。悪いね、長引かせちゃって」
「いえ、ありがとうございます」
店長の後に続くように席を離れ、厨房の方へと移動する。そのまま更衣室に向かおうとすると、一人の男性店員が近づいてきた。
「誰か怒られてんなぁと思ったら、クロさんだったか」
クロよりも少し背が高い彼の名は、『緑間雷貴』。年は、クロの一つ下。ただ、アルバイトを始めた時期の関係上、人生の後輩でありながら仕事の先輩でもあった。
「雷貴」
「今度は何やらかしたの?」
クロの隣に立ち、雷貴がにやつきながらそう尋ねてくる。
「注文ミスっちゃって」
息を吐くように嘘をつくクロ。彼の視界の端に入ったのは、雷貴の帽子からはみ出ている、赤紫色の毛髪。
「ははっ、まあそんなこともあるって。ドンマイドンマイ」
「ああ、そうだな」
短く返してから、クロは店長に目配せをする。
それはちゃんと通じたようで、彼女は小さく頷いた後、両手を合わせて音を出した。
「二人とも、上がる時間は同じでしょ? 家も近くなんだし、一緒に帰んなさい」
「一緒にって……俺らチャリ通っすよ」
そう言って困ったように笑う雷貴も、自転車で移動することが大半のようだ。
二台揃っての移動が特別難しいわけではないが、一人のときと比べれば速度は多少落ちるだろう。彼はその点を気にしているのかもしれない。
「最近、何かと物騒じゃない? 魔力……だったっけ? それのせいで、いつどこで事件とか事故に巻き込まれてもおかしくないから。なるべく複数人で動くようにしなさいな」
店長が心配するのも、無理はないだろう。
全国、いや、世界各地で、魔法関連の事件や事故は頻発している。政府も対策を立てているようだが、件数は減少するどころか右肩上がりに増え続けていた。
奇跡的に、この地域では未だそれらしい騒動は起こっていないが、油断はできない。浮上してきていないだけ、という可能性も大いに考えられる。
「わかりました、そうします……雷貴も、それでいいか?」
「クロさんがいいなら、俺も大丈夫だよ。ま、一人が二人に増えても、あんま変わんない気がするけど」
「そんなこと言う奴には、賄い出さないわよ?」
「冗談ですって。クロさん、先に更衣室使うね」
「ああ」
クロが返事をすると、雷貴は足早に更衣室へと駆け込んだ。
「……藤咲君って、子供っぽくないわよね」
「褒めてるんですか? それ」
「もちろんよ。うちの馬鹿息子に、爪の垢煎じて飲ませてやりたいくらい」
呆れた様子で、店長が自らの頬に手を添える。『息子』に対して、思うところがあるのだろう。
クロも心当たりは十二分にあったが、口には出さなかった。
「でも」
店長のその一言で、空気が少し変化する。
「あまり、抱え込みすぎないようにね」
「え?」
「この頃、何か思い詰めてるような表情が多いから」
顔に出やすいたちは、治っていなかったらしい。
確かにここ数週間、クロは考え事ばかりしていて気を張り詰めていた。
世情に敏感になり、情報を更新する度に、新たな可能性を見出す。それ以外、他にできることがなかったのだ。
周辺で事件や事故が発生していれば、それの解決や対策に乗り出していたかもしれないが、幸か不幸か、そのような情報は噂程度にも入ってきていない。
能動的になれないというもどかしさも、険しい表情の要因となっていたのだろう。
「……気のせいですよ」
ただ、そんなことを正直に伝えるわけにもいかない。
一人で抱え込まなければならないのだ。
巻き込むわけには、いかない。
「そう? なら、いいんだけど……」
「クロさんお待たせ!」
「ああ……それじゃ、着替えてきますね」
雷貴と入れ替わるように、クロはその場を後にした。
甘えてしまいたい気持ちを滅しながら。全て吐露してしまいたい気持ちを抑えながら。
狭い更衣室の中へと、逃げ込んだ。




