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クロと黒歴史  作者: ムツナツキ
第八章『回帰』
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第106話「偽り」

「ぜ……」


「────わかった!」


 男の口から最後の数字が放たれようとした、その間際。クロは大声を上げて相手の言葉をかき消す。


「認めるか? 己の誤りを」


「あんたの言うことは、まだ納得いってねえよ」


「ほう」


「でも、とりあえず、別れを言いに行くのは我慢しといてやる。それでどうだ」


「……及第点、といったところか」


 男は振り向き、右腕を体の左側に回した。その手には、光り輝く札が握られている。クロが譲った紙とは別物だ。


「『運命に翻弄されし道化よ。その奇術で全てを破壊し、世界すらも嘲笑え』」


 詠唱の後、正面方向に札が投げ飛ばされる。それは虚空に突き刺さり、やがて世界に亀裂を生じさせた。

 甲高い音を立て、そこにある景色が一気に崩壊する。直後、空間の裂け目から発生した凄まじい風圧が二人を襲った。

 否。風ではない。

 魔力だ。膨大な量の魔力が、裂け目から漏れ出ているのだ。

 不意に、足が竦む。体は震え、全身の毛が逆立っているのが、クロは自分でもわかった。


「怖気づいたか?」


 首をこちらに向け、男がそう尋ねてくる。

 挑発か、純粋な心配か。淡々とした声に加え、顔が見えないせいで判断しづらい。

 とは言え、その問いかけに対してただ首を縦に振るだけではいられないだろう。クロは徐に歩き出し、男と裂け目の間で立ち止まった。


「行くしかねえだろ」


「……そのとおりだ」


 二人は裂け目を潜り、世界の外へと足を踏み入れる。

 そこはさながら、白い海のようだった。濁った色の何かが、目まぐるしい勢いで流動している。

 魔力だ。

 膨大な量のそれに晒された肌が、痺れるように痛む。


「突っ切るぞ」


 男は光に包まれた後、真っ直ぐ飛んでいった。

 先のメイコと言いハクと言い、魔導士は自力で飛行できるのが当たり前なのだろうか。呆れるようにそんなことを考えながら、クロは自身の足下に魔力を集中させる。


「『(しゅ)(よく)』」


 そこに流動していた魔力を押し退けるようにして、手を模した闇の翼が顕現した。

 クロはその上に乗り、運ばせる形で飛行を始める。そのまま勢い良く加速し、あっという間に男の横へと並んでみせた。


「なあ、一つ聞いてもいいか」


「なんだ?」


「あんたの名前、まだ聞いてなかったと思って」


「……デウファ」


「そっか、ちなみに俺は────」


(ふじ)(さき)クロ、だろう?」


「……なんでも知ってんのな」


 最早、驚きもしない。

 情報の仕入れ元がどこなのか気になったが、尋ねたところで明かしてはくれないのだろうと思い、クロは抱いた疑問を胸に留めておいた。似たような相手と過去に接したことがあるため、距離の置き方がある程度わかっていたのだ。

 そして、思い出す。

 自身の未熟さ故に、その手から取りこぼした命を。


(俺がもっと強ければ、あいつも……)


 魔物の軍勢を蹴散らせる程の。()()(せい)(りょう)を圧倒できる程の。そんな強さがあのときの自分にあればと、後悔せずにはいられなかった。

 同時に思う。今も尚、そこまでの高みに至ることはできていないのだろうと。


「……来たか」


 自己嫌悪に陥りかけた彼を引き戻すかのような、デウファの声。

 いったい、何が来たと言うのか。そう聞こうとした瞬間、クロも気づいた。

 後方から迫りくる、魔力の塊に。


「な、なんだ、あれ……!」


 それは、人の形をしていた。クロたちの数十倍、いや、数百倍以上の大きさを誇る程の。

 かつて交戦した魔物を巨人と形容していたが、今目の前にいるそれにこそふさわしい表現だったかと、彼は己の中の尺度を改めることにした。


「あれが、『偽りの世界』そのものだ」


「気色悪い……」


 人と全く同じ容姿をしている、というわけではない。

 全身がこの空間に満ちる魔力と同じ色をしていて、唯一、眼に当たる部分だけが青みがかっている。それでも人型だと判別できるのは、流動する濁りが輪郭を形成しているからだ。

 どことなく不気味さを感じさせるのは、関節の部分が不明瞭だからだろう。そのせいで、ひどくのっぺりとした印象を受ける。


「速度を上げるぞ。このままでは追いつかれる」


「はいよ!」


 二人は同時に加速し、逃亡を続けた。

 そうはさせまいと言わんばかりに、巨人も食らいついてくる。本体の動きはゆったりとしているが、それに似つかわしくない加速ぶりだ。どうやら、魔力の流れによって押し出されているらしい。


「まだ撒けないのか!?」


「知らん。言っただろう。何度も妨害されていると」


「そりゃそうだけど……!」


 何度目の正直になるのかはわからないが、既に対策を考えられているとばかり思っていた。急に梯子を外されたようで、クロは狼狽する。危機的状況に置かれている分、余計に。


「お前こそ、帰るべき世界がどの方角かわかっているのか?」


「知るかそんなの! 考える余裕もないっつーの!」


「だろうな」


 二人が小競り合いを繰り広げている間にも、両者の距離は縮められていく。全力で加速しているつもりだが、一向に引き離すことができなかった。

 別の世界に転移できそうな予兆は、ない。このままでは、魔力の波に呑み込まれて終わりだろう。

 まずい。

 心臓の鼓動が、強く、速くなっていった。


「ここまでか」


 デウファが急停止し、振り返る。それにより、彼と相手との距離は一気に詰められていった。


「何してんだよ!」


「時間を稼いでやる。その隙に逃げろ」


「そいつに魔法は効かないんだろ!」


「まあなんとかなるだろう。気にするな、死にはせん」


 クロの言葉など意にも介さず、デウファが構える。どうやら、本気で足止めをするつもりのようだ。

 そんな彼に向けて、巨人の腕が振るわれようとしていた。


「っの野郎……!」


 クロは速度を落とし、咄嗟に闇の腕を目一杯伸ばす。

 進行方向とは、真逆に。


「させるかああああ!」


「なっ……!?」


 巨人の腕がデウファを捉える寸前、クロは闇の腕で彼を掴み、一気にそれを引き戻した。そして、即座に加速を再開する。


「お前、何を……!」


「そりゃこっちの台詞だ!」


 左方にデウファを携えたまま、彼に向けて怒鳴り散らした。尚も、速度は緩めずに逃亡を続ける。


「お前だって、自分の世界に戻りたいんだろ! 帰れる可能性が少しでもあると思ったから、転移魔法陣の紙を欲しがったんだろ!」


「それは……」


「一緒に逃げるぞ! 二人なら、なんとかなるかもしれねえ!」


「何か、策はあるのか?」


「ねえよ。けど、このままあんたを見捨てるなんてできねえ!」


 放置していても、ただ『偽りの世界』に戻されるだけで、なんら危害は加えられなかったかもしれない。デウファなら、一人でもいずれ元の世界に帰還できたかもしれない。

 それでも、彼を犠牲にする選択肢は、クロの中にはなかった。


「……全く、とんだお人好しだな」


「あんたに言われたかねえよ」


 デウファには、助けられた恩がある。そしてそれは、今日に始まった話ではない。魔物退治の件がそうだ。彼がいなければ、多くの人々が命を落としていたことだろう。

 その恩を仇で返すような真似は、できない。


「放せ。自分で飛べる」


「もう馬鹿なことすんなよ」


「心得ている」


 半信半疑で、拘束を解く。心配無用だったらしく、デウファは言葉どおり再びクロの横に並んで飛行した。


「つっても」


 ちらり、と後方を振り返る。

 決して、楽観視できる状況ではない。いつ追いつかれてもおかしくない程に、巨人は二人の方へ接近していた。


「どうしたもんかね、これ」


「……確かお前は、魔法のぶつかり合いの末、偶発的に裂け目が発生したと言っていたな」


「どこで聞いたんだよそれ……ああ、そうだよ」


「なら、試してみる価値はありそうだな」


 デウファは飛行を続けつつ、光り輝く数枚の札を右手に構える。トランプのようにも見えるそれを握りしめ、彼は続けた。


「タイミングを合わせろ。進行方向に魔法をぶつけ、別の世界に繋がるような裂け目を強引に作り出す」


「……上手くいくのか?」


「わからんが、それ以外に打てる手はない」


「なんじゃそりゃ」


 笑いながら、そう返す。

 思えば、行き当たりばったりの人生だ。選択の際にはいつも不確定要素ばかりで、分の悪い賭けを要されてきた。

 これで最後にしてほしいと願いながら、クロも魔力を集中させる。そして大きく息を吐き、右腕を引いて構えた。


「いつでもいいぜ」


 返事はない。次の一声が、合図になるということだろう。翼に魔力を込め続けながらも、クロは全神経を研ぎ澄ませてその時を待った。

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