第105話「道化」
(こいつが、助けてくれた、んだよな……?)
困惑しながらも、クロは状況の整理を試みる。
周囲に、二人以外の姿は見受けられない。ここまで連行するために先程の謎の現象を引き起こした、という線も考えられるが、それは些か邪推が過ぎるだろう。
「あんたは、いったい何者なんだ?」
「恐らくは、お前と同じだ」
男性のものと思われる、くぐもった声が聞こえた。
この声は、どこかで────
「同じ……?」
「もっとも、私の生まれ故郷は、あちらの世界だがな」
「……どこまで俺のことを知ってる」
クロの故郷は、彼がかつて旅をした、魔法が存在する世界ではない。男の物言いは、その事実を知っていることを暗に示していた。
クロは後ろに下がり、警戒を強める。
「そんなことよりも、聞くべきことがあるんじゃないのか」
他に、聞くべきこと。
はぐらかされた、男の正体か。
助けてくれた理由か。
いや、それらよりも気になることは。
「……さっきのは、なんなんだ?」
崩れゆく世界。
金縛りにあったかの如く動かない体。
混濁する思考。
それらを思い出すだけで、背筋が寒くなった。
「世界そのものによる干渉だ」
「世界?」
予想だにしない回答を耳にしたことで、クロは訝しむように片眉を上げる。
「あれは、この世界にとって不都合なことが起ころうとしたときに発生する。例を挙げるなら、この世界の秘密に近づいてしまったとき、とかな」
世界の秘密。
遊園地にて交戦した相手、桃原メイコが思わせぶりに呟いた言葉。動揺を誘うための虚言だとばかり思っていたが、ここにきてまた同じことを耳にするとは。
「なんなんだよ、秘密って」
「ここが、魔力で創られた世界だということだ」
「……どういうことだ?」
「言葉どおりの意味だ。物も、人も。全てが魔力によって再現された、言わば『偽りの世界』」
「人も……?」
これまで守ってきた人々も。
短い間ながら、同じ学び舎で勉学に励んだ同級生たちも。
居場所を作ってくれた、絵札さえも。
全てが、幻だったとでも言うのだろうか。
「そ、そんなわけ……」
信じられない。信じたくもない。
後ずさりをしつつ、クロは願うように呟く。
「お前も、この世界に違和感を抱き始めていたんじゃないのか?」
「それは……」
あるはずのものが存在しないのも。自身の罪が世界から忘却されていることも。全て、ここが『偽りの世界』だから、ということか。
「それが本当だとして、なんであんたはそんなこと知ってるんだよ」
「元の世界に戻ろうとした際、私も先程の現象に見舞われた。今の見解は、何度も試行回数を重ねて導き出したものだ」
「……俺も、自分の世界には戻れないのか?」
「別の世界へ繋がるような、空間の裂け目を作ることは可能だ。だが、私同様に『偽りの世界』から妨害を受けるだろうな」
「どうすれば、妨害を受けずに済む」
「先程やって見せたとおりだ。追いつかれないようにするしかない」
「こっちから攻撃できないのか? 魔法とかで」
「『あれ』は凝縮された魔力の集合体だ。生半可な魔法では、消滅させるどころか逆に取り込まれてしまう」
「……大元を叩けばいいんじゃないか?」
「と言うと?」
「魔力……ようは魔法で作られてんなら、それをしでかした奴がいるはずだろ。そいつをとっ捕まえれば、解決するんじゃないのか?」
「それは不可能だ」
思考する素ぶりを一切見せずに、男が否定する。
所在を割り出すことが困難なのか、はたまた、二人がかりでも倒すことができない程に高い実力の持ち主なのか。
彼が言葉にしたのは、そのどちらでもない理由だった。
「この現象を意図的に引き起こした第三者は、存在しない」
「死んだってことか?」
「これは偶然の産物だ。強いて元凶を挙げるとするのであれば……それは、私なのだろうな」
「あんたが……?」
「誤ってあの世界から飛び出してしまったとき、私は願った。『平和な世界で暮らしたい』と。その私の願いが、世界間に存在する膨大な量の魔力に定着し、『偽りの世界』を創り出してしまったのだろう」
「……あんたは今も、それを願ってるのか?」
クロの問いかけに対し、男は首を横に振る。
「平和は確かに今も望んでいるが……それはこの世界に対してではない。今の私の最大の願いは、元の世界に帰還することだ。」
「なら、どうして……」
「私の願いを宿した魔力は、いつの間にか独自の思考体系を得てしまったらしい。今やこの世界は、迷い人の逃亡を決して許さぬ鳥籠だ」
「鳥籠?」
「願われ、それを叶えることそのものが、この世界を世界として存続させるための唯一の手段なのだろう。肝心の願いを、いかに曲解していたとしても、な……そう考えれば、私たちの脱出を阻むのも納得がいく。確認できる限りでは、私たち二人以外に、外部から来た者は存在しないようだからな」
「俺たちは、もう戻れないのか……?」
「難しいだろうな」
一つの世界を構築できる程、膨大な魔力。それらによって妨害されているとなれば、一筋縄ではいかないだろう。いや、万に一つも可能性はないかもしれない。
「それでも、帰らないと」
俯きながら、拳を握りしめる。
己の贖罪も、友の願いを叶えることも、未だできていない。諦めるわけには、いかなかった。
「お前が望むのであれば、協力してやろう」
「……条件は?」
クロは目の前の男を敵視こそしていないものの、完全に信用できてはいない。後からあれこれ言われても面倒だと思い、単刀直入にそう尋ねた。
「そうだな……お前は確か、転移魔法陣が記された紙を持っているな。それで手打ちとしよう」
決戦の地に赴く際、お師匠様から授かった紙のことだろう。男が何故それを知っているのかクロは疑問に思ったが、深く聞こうとは思わなかった。
「……いいけど、今は持ってないぞ。家に置きっぱだ」
特に躊躇することもなく、そう返す。
向こうの世界から持ち出した数少ない想い出の品だが、今はなりふり構っていられない。
それに、想い出はちゃんと、心の中にある。
「問題ない」
男が指を鳴らすと、二人の間に一枚の紙が出現した。ひらひらと宙を舞うそれを、彼はすかさずその手に掴む。
「確かに受け取った」
男が触れた瞬間、紙は消滅した。
どこに収めたと言うのだろうか。気になりはしたが、クロがわざわざ尋ねることはない。
「……あんたはそれで帰れるのか?」
「無理だろうな。だが、調べてみる価値はありそうだ。妨害されることなく世界を越えるための手掛かりが、得られるやもしれん」
「へえ」
「では、早速始めるとしようか」
「も、もう行くのか?」
「何か問題でも?」
「……世話になった人たちに、別れを言いたいんだ」
前の世界を去るときは、裂け目が突然現れたために急な出立になってしまった。フランやフィーマには最後の言葉を伝えることができたが、お師匠様やケミーといった相手にも、これまでの礼などを改めて伝えたかったのが正直なところだ。
この世界にも、世話になった人がいる。
行く当てのない自分を保護してくれた、絵札。転入初日から、何かと気にかけてくれた貴久。試験勉強の手解きをしてくれた紫穂。想い出作りに参加してくれたりばら。彼ら彼女らの他にも、多くの人々に助けられてきた。
少しでも余裕があるのであれば、別れを告げておきたい。何を返せるわけでも、残せるわけでもないだろう。それでも、そうしたいと思ったのだ。
だが、そんなクロの胸中を知ってか知らずか、男は鼻で笑った。
「何がおかしい」
「何を言い出すかと思えば……いかに強いと言えど、所詮は子供ということか」
「どういう意味だ」
「よく聞け。この世界に存在するのは、人の形をしただけの魔力だ。あれらに心も感情もありはしない」
「そんなことない。作られた存在でも、みんなは確かに生きてた!」
「そう見えるよう、緻密な設定のもとで動いているに過ぎん。お前がどう捉えようと、それが事実だ」
話は平行線だ。クロ同様に、男も自らの考えを覆すつもりはないらしい。
「どうやら、その甘ったれた性格を矯正する必要がありそうだな」
「……なんだと?」
「今進まないと言うのであれば、金輪際お前には手を貸さん」
「条件は飲んだはずだぜ。他人のもん強奪するつもりかよ」
「好機を活かせぬお前が悪い」
男は悪びれもせずにそう吐き捨てた。
その言い分がわからなくもないため、クロは言い返すこともできずに顔を背け、舌打ちする。
「さあ、早く決断しろ」
クロは答えない。答えられない。
「五、四、三」
痺れを切らしたらしく、男がカウントダウンを始める。クロにはそれが、冷徹と言える程正確に刻まれているような気がしてならなかった。
「二、一」
相手の望む答えを言葉にしたくないという思いから、クロは俯いて歯を食いしばる。今にも、二人の交渉が決裂しようとしていた。




