おばあちゃんがくれたえんぴつ
あれはまだ、私が小さかった頃のお誕生日の日。
友達の家でお祝いをしてもらってから自宅へ帰ると、母が鉛筆の入ったケースを渡してきた。
「え? これなに?」
「おばあちゃんがね、理恵にって」
友達からぬいぐるみやアクササリなどのプレゼントをもらっていたので、鉛筆なんて貰ってもなぁ……なんて、わがままなことを思ってしまった。
その鉛筆は2Hの芯が固めのもの。
当時は2Bの鉛筆を使用していたので、使わないなと思って引き出しの奥へ。
それから数日して祖母が遊びに来て「鉛筆、使ってくれた?」なんて聞くものだから、思わず笑って誤魔化してしまった。
ありがとうの言葉さえちゃんと言えなかった。
それから月日がたって、私が中学生になったころ。
祖母の体調がすぐれず入院することになった。
最初はすぐに帰って来るよって笑顔で言っていた祖母だったけど容態が急変。
面会もできなくなってしまう。
奇跡的に回復して退院できたけど……帰って来た祖母は別人のようになっていた。
自分でトイレにも行けないし、家族の名前も分からない。
もちろん、私のことも誰なのか分からなくなってしまった。
でも……ちょっと不思議な癖があって。
それは目に入った文章をとりあえず読む、ということ。
テレビの字幕や、車の窓から見える看板の文字、新聞や雑誌の見出しなど。
目に入った文章を声に出して朗読するのだ。
だから手紙を書こうと思った。
私は祖母からもらった鉛筆を引き出しから取り出し、ゴリゴリと削ってノートに簡単な文章を書いていく。
『おはよう』
『げんき?』
『がっこう たのしいよ』
『きょうは とっても いいてんきです』
『えんぴつ ありがとう』
とにかく思うままに祖母にもらった鉛筆で文章を書きなぐり、ノートを登校前に祖母に渡すのが日課になっていた。
鉛筆はどんどん短くなっていく。
使えなくなるまで削って、削って、最後の一本が無くなりかけたころ。
私が高校生になったその日に、祖母は安らかに息を引き取った。
「あのね、理恵。これを見て」
母が一枚のくしゃくしゃの紙きれを渡してくる。
何かと思ったら、祖母が私に当てた手紙だと言う。
そこには――
「ありがとう りえちゃん」
私の名前が書かれていた。
「おばあちゃん……」
私はその手紙を抱きしめて泣いた。
祖母が私にくれた鉛筆は手紙となり。
残してくれた手紙は、私にとって最高のプレゼントとなった。
ありがとう、おばあちゃん。
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