最終話 追放勇者、女神をぶん殴る【その9】
「本当に、気に入らない。ムカツク」
女神は汚い言葉を吐き捨てた。
丹精込めて築き上げた魔王システムが壊されたのだ。しかもその直接の原因は、女神が作った人間によって引き起こされたのだ。怒りが込み上げないわけがない。
しかしクリエは大きく深呼吸をして、心を落ち着かせようと試みた。
(折角の組み上げは無駄になってけど……魔王本体のバックアップは、取ってある)
だから、そんなに怒ることもない。
「けどね、あなたが嫌い。いつも、わたしの想定の一つ上をいく。なんでそんな動くの。馬鹿なの? ねえ、いくらフリー行動っていっても、限度があるでしょ!? 私の道から出るな! 創造主の想定を越えるな! この、クソNPC!」
結局、クリエは怒りを抑えられることなく表にさらけ出した。
そんなクリエをみていたサックも、怒りを露にしていた。拳は強く握られ、眉間には深い皺が刻まれ、女神を睨み付けていた。
そして彼は、歩み出した。
ゆっくり、しかし着実に、一歩一歩。
クリエに近づいていった。
その動きをみて、クリエは空間に漂う光る板を一枚引き寄せ、タップした。先程と同じ名簿が並んでいた。
(アイザックは死んだ、と、口々に言っていたのは……そういうことか)
彼がアイサック呼ばわりされると、事あるごとに言い返していた言葉の真意を、クリエは理解した。名簿には、クリエが設定した覚えのないキャラ名『サック=リンガダルト』が載っていたのだ。
「勝手に……改名してんじゃねぇよ!! 私に作られた玩具のクセによ!」
クリエの怒りは有頂天だった。童顔は歪み、目は充血。唾をまき散らしながら恫喝しながら、彼女はパネルに示された、その男の名前をチェックして、機能停止をタップした。
だが、彼女の思惑は大きく外れることになる。
スタスタ。
「……は?」
彼の歩みは止まらなかった。真っすぐに、迷いなく女神に近づいていた。
『フォン!』
そして、クリエの持つパネルから警告音が鳴り、つい先刻と全く同じ画面が表示されたのだ。
──
【ERROR】
対象のキャラは存在しません。
──
「お前、誰だよ! なんでだよ! 何者なんだよ!」
クリエは怒りとともに、得体のしれないものへの恐怖感に取り込まれていた。
創造主が想定していないことが一度に起こりすぎている。しかも、たった一人の人物の手によって。
じりじりと近寄るサックを見据えると、クリエは彼の違和感に気が付いた。彼は、右手を自分の胸に押し当て、そこからは青白い光が漏れていた。『道具にしか使えない』というルールのそのスキル、潜在解放を、サックは自分自身に向けて使用していた。
「魔王と同様に、俺たちはお前の道具に過ぎないんだろ? 試してみたら、ビンゴだ。ステータス改変させまくってもらっているぜ」
彼の力は道具の潜在解放。道具に眠る力を、例外ルールで引き出す能力。
「自分自身に使うことに、正直悩んだ。もし効果が出てしまったら、それは自分が女神の道具であることを認めざるを得ないからな……けど」
彼は右手を胸から外し、改めて強く握り直した。
「これでてめぇをぶん殴れるなら、安いもんだ」
サック……いや、『彼』は、クリエに向かって走り出した。青白い光は、いまや彼の全身を包み込んでいた。それによるステータス改変は、攻撃や防御の枠を超え、名前までもがバグって読めなくなっていた。
(自分自身で能力を書き換え、改質? いや、ルール改竄? 枠組みを崩したのか? 女神しか触れない不可侵領域に踏み込んでいる──こいつはもう、私の作ったキャラでも、ノイズやバグでもない!)
女神は、この世界を作った創造主として一つの結論に至った。
(こいつは──コンピュータウィルスだ。環境に沿って自己進化する、一番厄介な奴!)
「く、く、く、来るなっ!!」
女神の顔は恐怖でひきつった。しかしそれは、彼の決死の剣幕に慄いたのではない。自分が組み上げた世界という籠の中で、その世界を壊すウィルスが自然発生してしまったことに対してであった。
(早く……コイツを駆除しないと!!)
それには、まずは迫ってくる『彼』の動きを止める必要がある。
女神は、目の前に光の壁を展開した。それは幾重にも重なり、束になってクリエと彼の間に障害物として現れた。
女神の作った世界では、この壁を通過できるものは存在しない。そう理に定められている。しかし、それは無意味だった。
「道具師が道具の力を解放して、負ける訳ねぇだろ!」
彼は、そこに壁があることすら感じさせない動きですり抜けていった。全くといっていいほど、干渉を受けていなかった。
彼自体が改編され、女神が作ったルールから逸脱していたのだ。
「わ、女神を消して、この世界を支配する気か!! 世界の運命を担う管理者が居なくなれば、その瞬間、世界は消去されるぞ!」
彼女は彼に説得を試みていた。データを壊す存在に話し掛けるというのも、おかしな事であるが、元は彼女が組み上げたNPCであり、いまだ感情は見え隠れする。少しでも話が通じれば……問い掛けに応じでくれれば、マルウェア用のキラーソフトを準備する時間が稼げる。
しかしそんな思惑は通用しなかった。
感情があるが故、彼には、彼女の願いに答える義務も義理も道理も無いことが判っていた。
「支配? 興味ねぇよ。世界の命運? なんとかなんだろ」
彼は、女神の目と鼻の先で止まった。小柄なクリエでは、彼の表情を伺うには顔を上げるしかなかった。
女神は顔面蒼白で、引きつり、怖気づいていた。噛み合わせた歯はがちがちと鳴っていた。
そんな彼女の様相などいざ知らず。彼は腰をしっかり落とし、震える拳に力を込めた。
「……復讐を決意をしたあと、いろんな出会いと別れがあって、さらに女神への恨みつらみは積もっていった。けど、いざ女神と対峙してみると……意外と、思うことは一つだけなことに、俺も驚いている」
そして、彼女の顔面中央を目掛けて真っすぐに、強く握った拳を突き出した。
「俺はただ、女神をぶん殴りたかっただけなんだ、ってな!!」
彼の……サックの渾身のグーパンチが、クリエの顔面に直撃した。




