第7話 追放勇者、後手後手に回る【その2】
憲兵詰所の入り口に入ってすぐ。
小さなエントランスが構えていた。入り口正面には小さな受付があり、担当者はそこに立ち、外部からの侵入者へ目を光らせていた。
そんな受付兼門番、今が一番眠くてたまらない時間帯だ。
今はまだ早朝であり、詰所の入り口は閉ざされていた。一般人を迎えるのには、まだ早すぎるのだ。
そんなときの眠気覚ましには、軽い雑談が最適。
早番でやってきた同僚と、お茶を片手に世間話……もとい、情報交換を行うのが、彼の日課だった。
「昨日、天使を見たんだよ」
昨夕まで受付担当だった男が、少し興奮気味に話しかけた。
「ウワサは聞いてるぜ! 有翼種の女の子だろ? かわいかったか?」
夜番の彼は、少々睡眠不足なためか、さらに高揚していた。
「まあまあだったな! 羽根はキレイだった」
「いいなぁ、夕番はいろいろあって飽きなくて」
「なにいってやがる。夜の方が圧倒的に『楽』だろ!」
「まあな、今の夜番なら、毎晩可愛い女の子の寝顔も拝めるからなぁ」
「誰のことだ? ま~た花街の子を連れ込んでるのか?」
「いやいや、そこらの娼婦とはレベルがちがうよ、ここの牢屋で寝てる……ええと、誰だっけ?」
「ああ、あの姉妹か。自分で言い出してなんで忘れてるんだよ、寝ぼけてるのか?」
「そうそう、思い出したわ、忍者の……」
すると、彼は帯刀している長剣を抜き、白光りする刃を自らの首……頸動脈付近にあてがった。
「うわ、長剣だと長すぎて自殺りにくいな。ちょっとこっちを引っ張ってくれ」
「あ、ああ……え? どういうこと?」
対先程まで談笑していた同僚に、笑顔のまま、剣の柄を向けこれを引いてくれと懇願した。首元にあてがわれた刃は、このまま動かせば確実に太い血管を割き、辺りは血でまみれるだろう。
「おま、何してるんだ……?」
剣の柄を渡された男は、現状を全く理解出来ていなかった。しかし、長剣の刃は既に、彼の首元に僅かに触れ、血が滲んでいた。
「──止めろっ!!」
大きな掛け声と共に、首に当てていた剣は弾かれ、近くの壁に突き刺さった。
サックの強烈なキックだった。ボール遊びよろしく、彼は長剣を蹴り飛ばしたのだ。
(靴が……っ! 限界か!)
しかしその瞬間に、サックの履く靴が爆ぜた。底が捲れ、足の甲を覆う部分は、破裂したように穴が空いた。
靴の能力を酷使し続けた結果だった。本来、一級品ともなれば、多少の無理を繰り返しても能力の使いすぎで壊れることはない。だが、『道具師』の力を制御できないサックには難しい調整だった。
最後の最後に『縮地』を発動した瞬間に、靴はボロボロに壊れてしまったのだ。
「……はえ?」
「え、俺はいったい何を……」
剣を弾いた衝撃によるものだろうか。首に刃を当てていた彼は、意識を取り戻した。そして、今しがた自分が行おうとした『愚行』に肩を震わせていた。
(暗示の引き金は……『忍者』かっ!?)
先程の彼らの会話と、ジャクレイの様子から想像するに、どうやら『忍者』、あるいは、サザンカたちを想起することで暗示が実行されるようだ。
(深層心理への暗示だと、通常の鑑定では判別できない……ならっ!)
するとサックは、ギュッと強く目を瞑った。
(……『深層鑑定』!)
そして、大きく目を見開いた。
魔王城の次元錠を開ける際に使用した、対象の深層部分まで鑑定する、鑑定士の上位技術だ。
するとどうだろう。
いきなり剣を蹴り飛ばし、派手に登場したサックに対する周囲の強い視線。
そこまで大きくない、憲兵詰所の出入口で騒ぎになっていれば、建物の奥から覗く人や、何があったのかとこちらに近づいてくる憲兵も出てくる。
そして半数が『昨夜からこの詰所にいた人物』だろう。ちょうど、夜番と早番の引き継ぎの時間だった。
(解除方法は……っ!!)
深層鑑定によって、各個人から多量の情報が止めどなく溢れでる。
この能力は、単に情報を『見る』だけである。そこから、今必要な情報の精査は、サックの技量に委ねられる。まるで濁流のごとく湧く情報を全て読み、仕分ける。
並みの人間では簡単に発狂するレベルの大仕事だ。
(見つからない……どこだっ!)
僅かに残る頭痛に苛立ちを覚えながら、サックはデータ整理に追われていた。端から見れば、他人を睨み付けて唸っているだけにも見えてしまうことが、この能力の残念なところか。
「なんだ? なんだ?」
「大丈夫かっ!」
「剣が飛んだぞ?」
などと、周囲に集まる憲兵たち。そのうちの何人かが、昨夜から泊まり込みで働いていたが、彼らのほとんどに、深層心理部分で暗示が掛けられていた。
「ねえ、あの人が連れてきたのよね……」
「そうそう、牢屋で寝てる……」
女性の憲兵。比較的若い二人組が、サックの素性について雑談し始めていた。
そして、この場の人たちの暗示を発現させるには十分な声量で、引き金を引いてしまった。
「忍者の女の子を連れてきた人よ」
抜刀。
一斉に、鞘から剣を抜く音がエントランスに響いた。
シャッ! と、鞘から滑り出た白刃は、全てその持ち主の、急所に向かって刃先を向けた。
(確証が無いが……やるしかないっ!)
出来ることなら、暗示に対する解除方法を明らかにしたかった。
しかし、そんな暇は無くなった。目下の憲兵の実に半分は、ものの数秒後には自決する。
「借りるぞっ!!」
サックは、先程から唖然としている受付の憲兵の首からぶら下がっていた、金属製の『警笛』をむしり取った。
異常の際や、警告のときに使用する、憲兵なら誰もが持っている、何の変哲もない警笛だ。
「潜在解放っ!!」
その笛に能力を使い、潜在的に眠る効果を呼び出し、付与させた。
(音波防御無しは初めてだが……背に腹は代えられねぇ!)
吹き口から一気に息を吹き込み、警笛は本来の音以上の高音を掻き鳴らした。
そして発生した音波は、さらに笛から発生した波に重なり、巨大な波形を描く。それらが、サックの笛を中心に広がる。
警笛に潜在的に付与されたのは【衝撃波の発生】。
ドおぉぉぉぉぉっ!!!!!
文字通り音速の衝撃が、憲兵たちと詰所全体を突き抜けて、アンティーク柄の洒落た窓ガラスは内側から激しく砕け、建屋も大きく揺さぶった。
壁は一気にひび割れ、土埃を立てた。
近くにいた人は激しく吹き飛ばされ、また遠くから覗いていた人間にも衝撃波は届き、体を激しく揺さぶられた。
まるで内部でガス爆発でもあったかのようであった。
(暗示は、『衝撃』を受ければ覚めるはず……)
詰所に集まった人物を一度に覚醒させる方法は、急造ではこれくらいしか思いつかなかった。
もちろん危険も裏表一体ではあるが、選択の余地はなかった。
望まない自殺よりマシだろう。
だが、警笛から発せられた衝撃波は、サックの予想を越えていた。
(……だめだ、やっぱ力の制御が効かねぇ……)
衝撃波による大爆発の中心部には、サックがいる。文字通り目の前にある警笛が発した衝撃波は、音波耐性を持たない本人自身にも、相当なダメージを与えることになった。
激しい衝撃が体を貫き、脳みそを強く揺さぶる。
女神から貰った強力な力でも、加減ができなければ身を亡ぼす。
脳震盪によって、サックは暫く、意識を失うことになった……。




