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 ノアがルイズの部屋の扉の重さを意識したのはいつ以来か。否、幼い頃に感じていたのは重厚な作りの扉それ自体の重みであった。しかし今は扉を開けて、それからしなければならないことに対して及び腰になっているだけである。話を聞いて貰える最後の機会となるかもしれないが、それでもルイズが身を滅ぼさずにすむよう伝えるべきことは伝えなければならない。意を決して扉を開く。室内では探すまでもなく、ルイズが一人で自習していた。ルイズはノアの姿を見て少し目つきを鋭くするが、ノアは構わず部屋に入った勢いのまま声をかける。


「ルイズ様。お話があります」

「話? ルイズの予定は確認済みだし、おまえにはアメリア様の世話を任せているでしょう。おまえが来るような用事はないはずだけれど。ああ、一昨日のことなら謝罪も済ませてある」

「私から、ルイズ様にお伝えしたいことがあるのです。アメリア様のお世話については調節いたしましたのでご心配なく」

「ふうん。ルイズの命令より優先したいことなの」


 ルイズは筆記用具を置き、腕組みをしてノアを睨む。ノアは少なくとも話を聞くくらいはしてくれる姿勢と判断し、出入り口の扉や風を通すために開けていたバルコニーへの扉などを閉める。シナリオについて話す気はないが、先日のアメリアに厳しい振る舞いをした一件もあるため、万が一ルイズが声を荒らげても外に漏れないようにしておきたかった。


「申し訳ございません」

「何しているの」

「二人きりでお話したいので」

「なら、馬の用意を」

「ですが」

「二人きりで話したいのでしょう。この部屋では誰か様子を見に来るかもしれないし、約束していたでしょう」

「かしこまりました」


 ルイズの言うことも一理あり、無理にここで話を続けて機嫌を損ねることもない。言われた通りに準備を始める。他に供をつけないので念のため他の使用人にだいたいの方向と昼頃には戻ることを伝えた。ルイズはスカートから乗馬用の上着とズボンに着替え、馬丁らにも朗らかに声をかける。


 しかし、いざ馬に乗って歩かせ始めるとルイズは静な表情で黙りこくる。邸に隣接する林に入り、しばらくそのまま軽やかに進んでいく。見知った道順を行き、やがて少し開けた場所に出ると、馬から降りて手頃な木に繋ぐ。この辺りは別邸の管理も届いているためならず者も狩場とし難いし、かといって四六時中見回りがいるわけでもないので話すのに丁度良い。


「何の話がしたいの」

「はい。まずは近頃、業務に不手際が多かったことをお詫び申し上げます」

「別に、おまえの気が利かないのは今に始まったことではないし、さほど気にしてない。それで?」

「アメリア様のことなのですが」

「良い人なのでしょう。昨日、話して分かったから。これで話は全部終わり? 案外早く済んで良かった」

「いえ、そうではなくて」

「別に心配しなくても意地悪なんてしない」


 ルイズは呆れた表情をするが、ノアは食い下がる。


「それは有り難いのですが、話を」


 ルイズはまたかと深くため息をつく。


「戻るから。道中出来る程度にまとめて」

「失礼」


 ノアは背を向けて馬の元へと歩き出したルイズの腰に腕を回し、そのまま後ろに尻餅をつくような状態に引き倒す。


「なっ!」

「ごめんなさいごめんなさい」


 腰を落としてから倒れ込んだので衝撃はあったものの大した痛みはなく、そのままノアはルイズの下からずり出る。突然のことに体勢を整えるのに手間取っているルイズを押し倒すように、片方の腕をルイズの肩口から首の後ろを通して前の襟の辺りを取り、もう片方の腕を股から差し込みベルトごとズボンを掴んで抑え込みに持ち込んだ。


「いきなり何!?」

「横四方固めです」

「よこし……?」

「気にしないでください。お怪我はないですか」

「ない、と思う。でも少し苦しいのだけれど」


 そもそも素人の寝技ゆえ、安定性に欠け、ルイズが美しくない大胆な動きをすることを忌避する質なのもあり何とか成立しているだけだ。体を密着させ重みをかけないと抑え込み続けられないため、心苦しいが聞き入れることは出来ない。


「申し訳ございません。しばらくの間、辛抱願います」

「おまえね……自分が何してるか分かってるの?」

「少しだけ話を聴いてください。その後でしたら罰も受けますしお邸も出て行きますから」

「は」


 ルイズが面食らうが、顔をルイズの脚の方へと向けているノアは気づかず続ける。


「私はルイズ様のことをとても大切に思っています。私だけでなく他の使用人やきっとご学友たちも、ルイズ様の人柄や振る舞いに多く感銘を受けているはずです。この度はどうかルイズ様にとって益があるようにと動いてのことですが、そのせいで却ってルイズ様を不快にさせてしまうことになってしまい申し訳なく思っています」


 ノアとしてもまさかこんな強硬手段に出ることになろうとは思っていなかったため、あらかじめ考えてきた言葉は出て来ない。それでも何とか伝えたいと口を動かした。


「どうしてこちらを向いて話さないの」

「顔面殴ったりしませんか?」

「しないから」


 ルイズはそんなことをする人間に見えるのか、と言いたいところではあるが最悪どんな手段でもとる所存ではあったので反論は出来ない。何のためと問われれば、これを手元に置くためにである。突然野外で主人の脚の間に腕を突っ込んでくる執事を。

ルイズは馬鹿馬鹿しくなってきた気がして、空いている手でノアの背を軽く叩いて促す。


「ほら」


 ノアは抱きしめたルイズの体から少し力が抜けたのを感じて、注意は怠らないまま顔を向ける。髪を掴むなりすればどちらにせよ逃げることは出来るのだから、とりあえずはそうする気がないことを信じて、話を続ける。


「私が言えるようなことではないのですが、アメリア様もご自身なりのお考えがあって努めて明るく振る舞われていて、きっとそういった強く優しいところはルイズ様のためにも発揮されると思います。ですが無理矢理仲良くする必要はないですし、ルイズ様にはアメリア様のことを気にせず、アメリア様と関係なくルイズ様ご自身が幸せでいられるようになさって頂きたいのです。とはいえ思えば今回、ルイズ様のことばかり考えてアメリア様を利用しようとした形になりました。使用人としてはあるまじきことです。私が至らないばかりに要らぬ混乱を招いたことお詫び致します」


 ノアはルイズの悪役としての行動を起こさせないためには、ルイズを慕う者がいることとアメリアがそういったルイズの障害となるわけではないことを理解して貰うことが鍵だろうと考えた。更に重ねて念押ししておこうかと言葉を選ぼうとした隙間にルイズから質問が投げられる。


「どうしてそんなにあの子のことを気にするの」


 まさかルイズがアメリアに意地悪をすると最悪死ぬことになる、とは言えないため逡巡する。煽るようにノアの背中をぱたぱたと叩きながらルイズが言う。


「何で黙るの、さっきまでたくさん喋ってたくせに。言えないことでもあるの? このルイズに隠し事?」

「それは……、お母上のことなど、私ではお力になれないこともアメリア様ならと」

「それだけ? まだ何か隠しているでしょう。隠し事して、勝手に動いて。本当はルイズのことなんてどうでも良いんじゃないの」

「どうでも良くないです。尊敬していますしご恩も感じています。他の者達もきっとそうです」

「おまえは! どうなの! ルイズの為っていうけれど、ルイズから離れようとするし!」

「!? してないですよ」


 一瞬、ルイズは言葉を詰まらせる。


「邸を出て行くって言ったでしょう! ……ルイズとなんか一緒にいなくても良いってことでしょう」

「ルイズ様とは一緒にいたいですがこのようなことをしてしまいましたし」

「本当にね」


 抑え込み続行中である。


「ああ、一生無給でお仕えするとか……食事は出ますか?」

「おまえはもう、どうしたいの」


 ルイズはもはや諦めて、ただ仰向けに寝ている状態だ。木々の合間に見える空が青い。


「私はルイズ様に健やかに過ごして欲しいですし、仕事も今まで通り続けたいです」

「ルイズだっておまえのことを……手放す気はないし……じゃなくて、それにしては最近様子が変だった」

「少々空回りました。気にしないでください」

「気にするでしょう。大体なんであの子がお前の家族のことを知ってるの? ルイズおまえの家族のこととか聞いたことないのだけれど?」

「家族? ……えっと、そうですね」

「そうですね、じゃない。あの子が来てからなんかなんだかおかしいし。ちゃんと説明しなさい」


 説明とは言ってもここで転生云々と主張したところでルイズを怒らせてしまうだろうとノアは考える。とはいえそう簡単に破綻のない嘘も思いつきそうにないが。


「えと、アメリア様がいらっしゃる頃にたまたま家族のことなどを朧気ながら思い出しまして、改めてルイズ様のお役に立たねばと思った次第です。家族、については今の私が縋っては申し訳が立たないので……気にしないでください」

「なにそれ」


 ルイズは言葉を待つが、ノアには話せることなどほとんどない。


「いない、ので……。それでアメリア様には、家族とは会えなくてもお互い元気だと良いですねというようなお話を」

「家族のことがあったから、ルイズとあの子に仲良くして欲しかったの?」

「まあ、そのような。ですがルイズ様がお嫌なら無理をしてまでは」

「……おまえ次第で、努力してやらないこともない」

「え」

「悪い人間というわけでもようだし。どうなの」


 ノアは使用人を辞める覚悟さえしたのだから、多少条件付きでも構わない。交渉ならばと抑え込みを解いて、ノアは体勢を整えたルイズを見据える。


「私に出来ることでしたら」


 ルイズはそんなノアから少し目線を逸らす。


「……ちゃんとルイズのものでいて」

「はあ」


 てっきり雇用条件や仕事内容の変更をつきつけられると思っていたノアは、飲んだところで今までと変わらない条件を聞いて間の抜けた声で返してしまう。


「なにそれ、返事のつもり?」

「えっ、と……誓ってルイズ様のお心に添うよう努めます」


 ルイズは少しの間険しい顔で思案していたものの、やがて表情を緩めて息をつく。


「……ルイズも、努力はする」

「ありがとうございます……?」


 ノアはルイズに手を差し伸べて立ちあがるのを手伝う。ノアとしてはルイズを大切に思う人間がいることも伝えられ仕事も継続、悪化するくらいならいっそ絶っても良いと考えていたアメリアとの仲も努力するとの言質さえとれて此度の話し合いは大成功と言っても良いくらいの成果をあげたことになる。それに


「何へらへらしているの」

「いえ、特には」

「ルイズが、訊いたら、ちゃんと答えるの」


 ルイズのものでいると言ったのだから、と言葉を区切って叱るように言う。


「……申し訳ないと思ってはいるのですが、少し以前に戻ったようで懐かしくなってしまいました」

「行儀の良いのが欲しければどうとでも出来たけれど、ルイズが拾ったのはおまえなのだから好きにすれば良い」


 幼い頃、手加減を知らないルイズと治安の良くない町で育ったノアは大人の見ていないところでそれなりにぶつかったりもしたものだが、先程のようなやりとりは久しかった。気安く触れあえていた、互いの存在を拠り所に願った当時のことは大切にしまっておいたつもりで、遠ざけることになっていたのかもしれない。


「叱られてしまいます」

「うまくやりなさい」


 二人で小さく笑い声を漏らし、地面に伏していたときに付いた汚れを軽くはたき落とす。


「邸に戻ったら御髪もすいて塵を払いましょう」

「そう戻ったら……戻ったら……」


 ルイズはノアに衣服を整えてさせながら、邸に戻ってからのことを考えて徐々に苦々しい気持ちになる。異変に気付いたノアがしばらく見つめて不安になり始めた頃、ルイズは唸りながら頭を抱えだした。


「……ああ、やっぱりあの子嫌い」

「まだ言うんですか!?」


 ルイズは努力すると言ったからにはそれを反故にすることはないだろうが、現時点ではどうしてもアメリアがお気に召さないらしい。


「だってなんかいつも何でもない風に振る舞うし。大変なのは当然なんだから言うなり何なりすれば良いのに」


 ルイズはこの際、一旦ここで吐き出してしまおうと声を抑えて喚く。


「自分を抑えて努力出来るところはルイズ様にも似ていらっしゃって好ましいと思いますが」

「っでも、ルイズは自分の為だけどあの子は他人のことばっかりで苛々する! 昨日の夜もわざわざ部屋に来て、気遣いに気づかなくてとか謝ってお礼言ってくるし。こっちは自分の為にやっているのに」


 それは良心の呵責では、と思うもノアは口には出さない。それよりもアメリアが昨日の夜にはすでに行動に出ていたと聞いて、流石の行動力に感服する。


「あっ、ルイズも謝りに行こうとして部屋を出たところで会っただけだから! ちゃんとこちらから謝ったの! あと、自分のせいでおまえと気まずくなったんじゃないかとか気を回してくるし」

「それはそれは」


 洞察力まで兼ね備え、ルイズを相手にしても後れをとらないアメリアは天晴れヒロインといったところか。今回先手を打つつもりで後手に回ったノアは賞賛するほかない。ルイズは虚空を拳でついて、それから息を吐く。


「……何かお礼くらいはしておかないと。お昼も近いし、帰ったら考えるのを手伝いなさい」

「それでしたら一緒にお茶を召し上がっては如何ですか」


 アメリアが望んでいたことであり、二人とも甘い茶菓子を好んでいる。物品を送るよりも気負わせずに済むだろうとノアは提案した。


「お茶……それなら仲が良いように見せるのにもちょうど良いかも」

「……そうですね。皆も安心するでしょう」


 二人は馬を並べて、アメリアが歓びそうな内容について話し合いながら邸へと戻った。




 風を通すように窓の開け放たれた室内。机や寝具の上に展べられた技巧を凝らした服、精緻な装飾品に、文具や小物など身の回りを彩る数多のもの。ルイズの新学期に向けての準備の品々である。


「そちらのは外して」

「かしこまりました」

「ああ、でもあの服を持って行くなら……」


 茶会用の服に食事会用の服、日傘に帽子にハンカチ、靴に髪飾り。指示を出すのはルイズだが、動いているのはほとんどノアだ。戻して広げて、出しては片付け。学校ではほとんどの時間を制服で過ごすのだが、それでも私物の、しかも勉学に関係ないものの準備だけで一日以上かかる。曰く、いつでも最上級の賞賛を浴びる令嬢であるためにと。ルイズは社交の予定がなければ休暇中はほとんどを都から離れた父親の領地のひとつで過ごすが、それでも洗練された淑女の像を崩さないのはその感性と努力あってのことだろう。


「はあ、後であの子の様子でも見に行こうか」


 好んでやっていることとはいえ少々疲れが見えてきたルイズに、ノアはお茶を注いで休憩を促す。


「喜ばれると思います」


 二人で馬に乗ったあの日の後、ルイズは宣言通り時機を見計らいアメリアをお茶に誘った。生活の変化に不安を感じ辛く当たってしまったことを心から申し訳なく思っている、という体で改めて詫びながら。許されるなら今度こそ仲良くなりたいと、それこそ一度の失敗にめげない物語のヒロインのように。ノアからしてみれば騙ることも憚られるアメリアの純朴さも、ルイズは気にかけた様子もなかった。やはり令嬢のみならず悪役たる素質も兼ね備えていらっしゃるのか、とノアは多少不安にも思ったが。ともあれその後、ルイズは積極的に見えるようにアメリアとときおり一緒に過ごすようになった。今では表面上、仲違いさえ乗り越えた素敵な姉妹である。


「あの子も、どうせならもっと仕立てたら良かったのに」


 アメリアが公爵家に迎え入れられることが決まったとき、そしてこの別邸に来てから、と二度の機会で服や装飾品を用意してはいた。しかし先日それでは足りないとルイズが言い出し、追加で用意させようとしたのだ。そのときアメリアが恐縮しながら品数を減らしたことを、ルイズはまだ不満に思っている。


 ノアはアメリアにすがるように見つめられて、許されている予算の範囲であることとルイズの伝手等で多少費用が抑えられることをこっそり伝えて宥めたのを思い出す。貴族というよりルイズとの金銭感覚の差にもはや怯えていた。ルイズ趣味ではあるもののその才覚により実益を兼ねつつあるので目を逸らされていたが、ノアからしても少し怖いのでアメリアの気持ちは分かる。


「この先も機会はありますし、アメリア様が慣れるのを待って差し上げてください」

「先は先、今は今でしょう。どうしておまえ達は分からないの」

「失礼いたしました」


 ルイズがアメリアの服飾品を選ぶと言い出したとき、ノアは仲の良さの演出かと思ったが始まってみるとルイズはアメリアよりも真剣にことに望んでいた。ルイズ自身の持ち物を吟味するときと同様にアメリアに付き添っては助言をしたりするのだ。アメリアは可愛らしい物を見れば目を輝かせるものの、あまりに奢侈で高級なものには未だ慣れないと申し訳なさそうにする。ルイズはそんなアメリアを時々無視しつつ、見た目の案から素材の候補まで楽しそうに選んでいた。


 女装も、今もしている理由の幾分かはただの趣味だったりするのだろうかとノアが思案するほどに。

 茶器を置いたルイズは顎に指をあててノアをじっと見る。どのようなものが良いかと頭の中であてているのだろうと分かっても、見られる方は居心地が悪い。


「以前頂いたものがありますから結構です」


 ノアも以前は他の者達同様、公爵の従者のお下がりや使用人から貰ったものを身に着けていることが多かった。数年前からルイズに付いて学校にも足を運ぶと言うことで、わざわざルイズが何着か仕立てさせ、今はそれらを着ていることが多い。


「他の物を良い品で揃えても、趣向に合わないものが交ざっていると邪魔になるでしょう」


 ルイズは立ち上がって、視線を向けたままノアの周囲をゆっくり歩く。


「身長伸びるの止まった?」

「だいぶ緩やかにはなったかと思います。ですので、急いで新しい服を仕立てる必要もありません」

「ふうん」


 聞いているのかいないのか、身の入らない相づちだ。ルイズがノアの話を聞いてくれたとしても、いうことを聞いてくれる可能性は低いのだが。


「ノア」


 ルイズがノアの背中に手を添えるようにして、後ろから呼びかける。


「はい」


 ノアは振り返ろうとするが腕を体に回されてしまい、ルイズいる後方を見ることは出来なくなる。


「痛かった?」


 この間噛んだところ、と示すようにノアの喉をルイズの指が撫でる。


「痛くはなかったと思いますよ。痕も残りませんでしたし」


 気が回らなかったこともあって、痛みがあったかどうかはほとんど覚えていない。しかし小さな頃、ルイズにがぶりがぶりとやられたときは痛かったのを確かに覚えているから、今回は大したことも無かったのだろうとノアは判断した。


「そう、じゃあ」


 少し震えが交ざるのは、喉の窮屈さゆえか。


「怖かった?」


 ルイズはノアの肩口に額を軽く乗せる。


「驚きはしましたが、怖いということは……いえ、ルイズ様のご希望に添えなかったことに対するお叱りとしては受け止めたつもりです。ですがルイズ様が必要以上に使用人を責めることはないと信じておりますから、怯えて仕事に支障を来すこともありません。ご安心ください」


 労ろうとしているのか、他の理由があるのか。ノアにはルイズの質問の意図が掴めない。


「使用人……」

「家令の方とか、大人の男の人にされたら怖くて泣いてしまうかもしれませんが」


 ノアはルイズへの信頼あってこそ、と言葉に含める。アメリアを構ったときのように、ルイズを軽視してのことと思われないために。


「……おまえは泣かないと思う」

「そうありたいものです」

「……」


 ルイズが体勢を変えるでもなく黙りこんでしまったので、まだ何かあるのかとノアは考えを巡らせた。


「ルイズ様もしや私が先日、抑え込んでしまったのが怖かったとか」

「違う」


 即座に否定され、ノアまで口をつぐむしかなくなってしまう。


「……まあ今回は、いい」


 ルイズはため息をついてから、ノアの背を軽く突き放す。少しよろめいたノアが振り返ると、ルイズは呆れたようなつまらないような表情だった。


「男性物はあまり代わり映えもしないし」


 それは普段から女性物ばかり見ているからそう感じるだけで、男性は男性で物から着こなしまでちゃんと色々ありますよ、とノアは会話を戻すのも薮蛇だろうと口には出さない。


「さあ、続きをやって」


 ノアから離れたルイズは軽やかに身を翻して椅子に腰を下ろした。


「かしこまりました」


 これらの準備を持って向かうはルイズ達の通う学校。ゲーム本編の舞台である。シナリオの開始、おそらく無関係ではいられない攻略対象達に起こるはずであろうイベント。ノアはどうかルイズが悪役として破滅に向かうことのないように祈り、そのために誠心誠意努めようと誓った。

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