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 ノアは他の使用人との打ち合せ等を終えて自室へ戻ると、今朝から保留していた問題に取りかからねばならなかった。寝間着に着替えて布団に潜りながら思案する。


 まず本当に転生かどうかだが、感覚的には一度死んだらしいものがあって、その後別の人生をここまで送ってきたのは確かなように思う。遠い記憶になっていなければそれなりに死ぬには惜しい人生だった気もする。しかしこちらの人生とてノアなりに生きてきたし、もしあちらに戻れるとしてもルイズと離れなければならないと思うと寂しく感じた。全部が夢だとしたらとても辛い。とはいえその点に関してはどうしようもないので気にしないことにした。むこうの家族も悲しむことはあってもさすがに世を儚んで一家で……ということもないだろう。たいへん申し訳なく思うが頑張って欲しい、と心の中で応援するより他はない。


 とりあえず出来ることや手の届きそうなことについて考えていくうえで、改めて最重要目標として今後も穏やかな日常を送ることを掲げる。あちらの世界ではありがたいことに取り立てて不便はなかったものの、こちらでのノアの子供時代は路上生活スタートであった。食うにも困りあれやこれや……というのは二度と経験したくない。ではあちらに戻るべきかというと、最後の記憶は死んだと思うような感覚であったので無事に健康体でいられる可能性はかなり低い。戻れる方法はあれば試すのも良いが、時間を掛けて探すのはしなくてもよいだろうとノアは思う。仕事の苦労には多少耐えられても、身体的に痛かったり苦しかったりするのはとても怖い。


 現在は地位ある家で使用人として暮らすという恵まれた生活をしているが、ではその穏やかな日常が崩れる可能性は如何ほどか。ゲーム内での描写が乏しかったため詳しくは分からないが基本的にルイズの悪事と道連れに没落や取り潰しの線が濃くなる。まがりなりにもヒロインの実家となるとはいえ、ルイズが最悪ヒロインと公爵を引きずり落とせれば良い、といった行動をとるので爆心地なのであった。


 上級使用人としてそれなりの教育を受けたノアは、今から働き口を探せば逃げおおせることは出来るだろう。しかしルイズを見捨てるというのは選択肢の内に入らない。ノアにとってはルイズに拾われたことも、仕事を与えられ衣食住を保証されたことも事実として確かにあるものだった。これまでの日々を通しルイズがいれば多少の事は問題にならない、と支えのようにも思っている。特定の推しはいなかったゲームの、強いて言うなら今はルイズがそれにあたるのだ。


 ルイズ死亡エンドは言語道断、出来れば公爵家まるごと無事であって欲しい。そのためにはルイズが悪役にならなければ良い。穏やかに生きるために、ルイズには潔白でいて貰う。矛盾のない目標である、とノアは納得する。


 現時点で多少の癖はあれど潔白で端から見れば非の打ち所のないルイズが如何にして悪役となるのか。悪役令嬢ルートの優先度はあまり高くなかったため曖昧なゲームの記憶に照らすと、簡単に言ってしまえば逆恨みであった。ヒロインは公爵の実の娘で母に愛されていた。ルイズは実の両親を早くに亡くし、しかもその死には公爵様が絡んでいる。ヒロインの純粋な振る舞いにも劣等感を感じ、ストーリーが進みヒロインの評判が高まる毎に、ルイズは自分を偽ってまで立っていた居場所が脅かされたように思い追い詰められていく。だんだんと行為がエスカレートして、ついにはその罪を暴かれるという流れだ。


 ルイズルートのハッピーエンドではヒロインがそんなルイズの心に寄り添い悪事も不問に処される。悪役令嬢かと思いきや女装男子で少し病み気味という攻略対象であり、ユーザーからはネタバレ配慮のためライバルや悪役令嬢、お嬢様などと呼ばれて親しまれていた。ルイズに仕えしているノアとしてはもちろん主に安らぎある人生を送って欲しいし、和解イベントは発生させたいところだ。


 ただしルイズルートはドラマチックな分結ばれないエンドも多く、その場合はルイズ様及び公爵家の扱いはかなり悪くなるのでハイリスクである。ルイズも基本的には優秀で優しさも持ち合わせているので、悲しい結末さえ迎えなければ長い人生良い相手に巡り会うこともあるだろう。ノアはルイズがアメリアとの未来を望まない限りは、積極的にその方向をとるのは控えることにした。


 改めて考えてみると不確定要素も多く、出来ることがほとんどないことにノアは気がついた。さしあたってはルイズとヒロインたるアメリアの仲を取り持つことが目標だ。最低限、ルイズがアメリアを嫌わないように。使用人としては僭越ながら、できれば仲良し家族になって欲しい。そうして、どうか平穏無事な生活を。思考が一段落したことで睡魔がじわりと顔を出す。ふわふわし始めた頭で簡単に試せることをひとつだけ、眠る前にやっておこうと思う。


「これは夢です。起きてください」


 やっておいてなんだが、こんな状況でルイズの側を離れるのはやはり嫌だと、ノアは後悔しながら眠りに落ちた。




 ともあれそんなに容易に状況が変わるわけでもないらしく、次の日もノアはいつも通りルイズの執事であった。そしてその次の日も、というかヒロインであるアメリアを迎え入れる前日となった今日もなんら進展なく過ごしていた。現在は本日最後の世話となる手先の手入れ中である。


「考えようによっては、運が良いのかも。ルイズは綺麗なものとかは好きだけど、それでも女子のことには疎くなりがちだし、参考にするのに丁度良い」


 ルイズは今のところアメリアの受け入れに前向きである。利用しようとしている点は気にしないことにして、ノアは先程使っていた物よりも目の細かい爪やすりに持ち替えた。


「そうですね。同じく暮らされる方の好みには触れる機会も多くなるでしょうし」

「おまえのこともそういう風に使うつもりだって言ったはずなのだけれど」


 ノアは安心して話に乗るも、ルイズなりの嫌味だったらしい。ノアの記憶にも、ずいぶん前のことになるが確かに言っていた覚えがある。しかし仕事もあれば男装もしているので、思えば大して役に立たなかった。ノアは食うに困らない程度の生活が出来ていれば服や物に然程興味はなかったし、気晴らしもルイズが他人を誘えない男性寄りの趣味に付き合う方が性にあっていた。茶会や学友との交流で情報を更新していくルイズの方が、女子の流行りには詳しい。


「お役に立てず申し訳なく思います。お嬢様とする剣の練習等の方が楽しいのでつい」


 気を逸らしてくれればと、ノアは謝罪に偽りではない軽口を繋げる。剣の練習といってもほとんど独学だ。上流家庭の令嬢が剣を嗜むこと自体は珍しくないが武を極めると人体に詳しくなるともいわれるし、人に師事するのは秘密が明るみに出るおそれがあるからだ。爪を磨くために取っているルイズの手も細くはあるが近年、筋や節が目立つようになってきている気がして手袋を着けていることも増えた。基本的には二人だけで剣を振っていたし、子供のごっこ遊びのようになってしまうことがあるそんな時間をノアは気に入っていた。爪を磨き終え清めるために用意した桶のぬるま湯を、ルイズは手遊びのように軽く揺らしながら言う。


「ルイズは剣も馬も好きというわけではないのだけれどね」

「そうなのですか」


 確かに授業をこなすように予定を入れている感じではあったが、改めて聴くと意外であった。とはいえルイズは何事においても家の名に恥じぬ出来を目指していることをノアは知っていたので、男子として育てられたならばやっていただろうこともその範囲内なのかもしれないと納得する。見目も能力も男女合わせたとて同年代でも秀でていることであるし、いっそのこと初めから男としてヒロインと出会えばこじれる前に何とかなるのではないのだろうか、とノアはふと思う。


「お嬢様はどうして現状、続けていらっしゃるのですか」


 女子と偽った生活を、と訊ねてみる。今までは子供の自衛等といった言い訳が通用し難くなる学校卒業までくらいには何かしらの行動を起こすだろうと漠然と思っていたので聞いたことがなかった。公爵に受け入れられなかったとしても母方の家を頼ることが出来るし、ルイズは悪戯にも一応のけじめが付けられる質なので気にしていなかったのだ。


「……やめたい理由でもあるの?」


 水分を拭うためにとっていた指先に力が入ったのを布越しに感じてノアが顔を上げると、ルイズは驚いたような表情をしていた。ノアはある程度使用人としての振る舞いを身につけてからは、基本的に主の行動に口を出さずに仕えてきた。ルイズとしては話題よりもそちらが気にかかったらしい。ノア自身も転生、というかルイズの悪役破滅エンドのことさえなければ訊かなかったはずなので、言動に注意を払わなかった落ち度であると省みる。


「いいえ。ただルイズ様におかれましても秀麗にご成長なさっているので、お訊ねしただけです。出過ぎたことを」

「構わないけれど。そう、でもルイズ……おまえより、可愛らしいから」


 ルイズが言いにくそうに、しかしはっきりと言う。自分は女子であるノアよりも女子らしい、とやや上目遣いで実に可愛らしく。ルイズに演技でなく申し訳なさそうにされたことが滅多にないノアは、それ程のことなのかと思う。とはいえ同意を惜しむことのおこがましい、純然たる事実ではあるという考えは心の根底にあるので返す言葉もない。


「仰る通りでございます……」

「でもね、ルイズと比べたら大抵のものは足許にも及ばないから、気にしないで」

「痛み入ります」


 仕上げとして保湿のための油を塗っていたところ、ノアは逆にルイズに手を握られて優しく励まされる。正直なところ、元より美しくさらに自分が丹精こめて世話をしているルイズが優れていることは、ノアとしても誉れ高く差し支えはない。重なった手も、整えはしたが元から爪も肌も艶やかだ。今までは大して気にしていなかった一連の言動が、悪役令嬢らしさにつながると思うとノアは肝が冷える。明日より一層精進しなければならないと決意を新たにして、片付けを済ませて今日の世話を終えた。




「初めましてアメリアと申します。突然このようなことになってしまって公爵令嬢様にも、その、申し訳ないのですが……」


「こちらこそ、お初にお目にかかります。ルイズと申します。アメリア様の姉、ということになりますね。どうかお気軽にお呼びください」


 午前中に到着したアメリアはルイズと顔を合わせてそうそう礼を尽くした挨拶をし、その懸命な様子に使用人達も好意的な気持ちになる。ルイズは公爵の実子ではないという話がある程度知られていることもあり、念のため同格かそれ以上にするようにアメリアに接することにしていた。表面上は優しく迎えながら万が一の際のための健気さの演出にも抜かりのないルイズの心中を見抜いていても、ノアはその行動の見事さに感心してしまう。


 またノアはルイズには長らく仕えているので今まで気がいかなかったが、アメリアの姿を目にしたことでプレイしたゲームの登場人物が目の前で動いているということに改めて感動していた。ノアはデフォルトネームで主人公も愛でつつプレイするスタイルであったので余計に嬉しい。キャラクターボイスもなくスチルに殆ど写り込まない主人公が、フルボイスフルアニメーションで目の前に立っている。設定としては知っていたものの実際に相対すると、このたった数刻の間にも明るさと純朴さが見てとれて好印象である。


「では、ルイズ様とお呼びしてもよろしいでしょうか。至らないところも多いかと思いますが、頑張りますので……よ、よろしくお願いします!」

「お力になれることがあったらどんなことでもお声がけくださいね」

「はい」


 使用人達は向かい合う姉妹の様子に、期待を持つ。ルイズは流れるような金色の髪に洗練された所作。アメリアは落ち着いた色のセミロング、その動きに合わせてふわりと跳ねる癖毛。ノアはアメリアの頭頂部で揺れる毛、いわゆるアホ毛を眺めていた。使用人として主の家族には向け難い言葉だが、公爵にも元気のないアホ毛がついているので血筋を感じるのだ。ルイズにはついていないところからすると、見ようによっては酷なキャラクターデザインでもあるなとノアは思った。


「夕食はご一緒にと思うのだけれど、移動のお疲れが残っていらしたらご無理なさらないでください」

「元気いっぱいです!」

「では、これからのことについてはそのときに。今は何人かだけ紹介しておきましょう」


 明るいアメリアの様子に軽く笑って見せてから、ルイズは取り急ぎアメリアが声をかける必要があるかも知れない使用人達を示す。


「邸の管理を任せているのはこの者達、それからそちらの者がアメリア様付きの使用人になりますから……後ほどご挨拶を。こちらはノア。執事ではあるのですがほとんどわたくしの従僕のようなものですね。わたくしに御用があるときにも言い付けてください」

「は、はい!」


 ノアは紹介を受けて礼をする。使用人達に対しても一生懸命に向かうアメリアに、長らく人に仕える者として過ごしてきたノアは身も引き締まる思いだ。ルイズからもアメリアの用事を引き受ける許可は出ているのだから、ルイズとアメリアの仲を取り持つために動いてもそれほど不自然にはならないとノアはひとまず安心した。


 アメリア到着当日の夕食はつつがなく進行した。ルイズの指示で比較的食べやすいものが用意されたこともあり、アメリアもおおむね問題なく食事に向かうことが出来ていた。着いてから数時間しか経っていないにもかかわらず、アメリアはすでに身の回りの世話をする使用人とも打ち解け始めている。曲がりなりにも公爵家の娘と言うことでアメリアのための侍女を迎える話も出たが、突如生活が変わることになるアメリアの様子見も兼ねてひとまず保留ということだった。それまでは女性使用人と家庭教師、そしてルイズが世話や指導を受け持つことになる。


 ゲームが始まるとアメリアは侍女を付けずに学校へ行くことを知っているノアは、表に出さないようにしながらその話を聞いた。そのことを思い出しながらノアはそもそも今現在の自分の立ち位置であるルイズ付きの使用人も、大分脇の方のキャラクターであったことを思い出す。また、その流れで自分の立っている位置に本来は別の人物がいたかもしれないと思い至ってしまった。そうであれば中身を押しのけてしまった形になる。


 ではアメリアはどうか。主人公たるアメリアの中身がプレイヤーとなる。実際に起こるかどうかも分からない話ではあるが、アメリアもノアと同じように転生した別人、ひいては自分の他に転生した者がいるという可能性もある。もしもその者がルイズの行く末に関心がない、あるいは破滅を望んでいたらどうなるか。悩ましいがノアも他の者がいる前で天井に挨拶するわけにもいかないので堪える。


「……わたくしと同じ学校にも通うことになるから勉強の時間もとらないといけないのだけれど、気を張り過ぎないようになさってくださいね」

「同じ学校……。楽しみです」


 そう、学校のこともある。寮制で上流家庭の者は最小限の使用人も連れているが、授業時間中はただ側に控えるということは禁じられている。ゲーム本編の舞台であり、攻略対象含め出会う人物も多い。ルイズとアメリアが邸にいられるこの休暇中に仲良くならないと、その後ノアが仲を取り持つことは格段に難しくなる。ノアは他の転生者については自分が分からないのだから相手も分からないだろう、と半ば投げやりに派手な動きだけは控えることにした。厄介な状況ではあるが、ノアは手の届く範囲でやっていくことを心に決める。




 慣れない場所での生活が始まるアメリアを慮り、夕食は簡単に済まされた。この公爵家別邸においては執事の上に立って邸を包括的に管理している者もおり、ルイズからも殆ど従僕であるなどと言われてしまったが、ノアは曲がりなりにも執事という役目を頂戴している。ルイズの世話のこともあり仕事の分配が変則的とはいえ、邸を支える立場なのだ。是非とも主家族の新しい一員にご挨拶しなければならない、といった建前を用意してアメリアがどのような人物か見極めに参じようとした。


 しかし、アメリアはやはり疲れもあるのか早めに夜の支度を始めたらしく、ノアはアメリア付きの女性使用人に追い返されてしまった。対外的には男性使用人なので令嬢の側にあるには気を払わなければならないのは当然だ、と納得しながらも現在対外的には令嬢であるルイズの部屋にいる。主の意思の前には矛も盾もないのだった。


「アメリア様、ずいぶんしっかりされていらっしゃったけれど」

「そうですね。前向きで一生懸命そうな印象を受けました」


 ノアがアメリアに目通り願うために、本日はルイズの夜支度は別の使用人に任せられていた。ルイズは寝台に座って後は寝るだけといった状態でいたので、ノアは直ぐに辞そうとしたが声をかけられた。ノアはアメリア様もきっと良い人だから仲良くしてください、の念をほんのり込めつつ返答する。


「立ち居振る舞いはお話にならないけれど、純粋そうで人当たりも良い」


 ルイズは多少厳しい言葉を並べつつも佳所を述べる。ゲームのストーリーではだんだんと悪役令嬢的行動がエスカレートしていったことと照らし合わせて、ノアはやはり早い内にアメリアの良さを知ることが悪役回避の役に立つだろうと考える。つかみは上々出だしがこれなら案外苦労なく仲良くなっていただけるかもしれない、とノアは安堵と期待からも声が明るくなる。


「可愛らしい方です。素敵なご姉妹にお仕えできることは私共にとっても幸です」

「……そう」


 ルイズが布団をぽふぽふと動かし始めたのを見て、眠気が強くなったのかとノアはルイズが寝具に潜り込む手伝いをする。


「誠実に務めなさい」


 ノアが礼をする前に、ルイズが横たわったまま手を差し伸べた。ノアは少し身を屈めてその甲に唇を落とす。


「もちろんです」


 眠気を邪魔しないように声を落として返事をすると、ルイズはするりと手を離して布団に包まる。ノアは明かりを消して残りの業務へと向かった。




 朝のまだ早い時間。受け持つ業務によってはすでに働き出している者もいるなか、ノアも打ち合せ等もこなしていく。ルイズとアメリアの新しい生活が始まる日であるということで、使用人一同改めて気を引きしめていた。すでにアメリアの世話を言いつかった使用人の、アメリアは元平民としての親しみやすさ以上に優しく気遣わしい方である、との評も他の使用人達にも回っていた。


 ノアはそんな話に聞き耳を立てつつ、そのまま半地下になっている使用人用の広間で朝食をとった。ふと、採光用も兼ねた高い位置の窓から、裏庭にアメリアの姿が見えた。使用人を連れていない様子だったのでノアはひとまず食事を切り上げて裏庭へと向かう。使用人用の通路は走り、それ以外はごく早い歩きで庭へ着くとノアが声を掛ける前にアメリアが気づいた。


「おはようございます」

「おはようございます。どうかなさいましたか」

「いえ、ついこの間まで家事とかもあってこのくらいには起きていたのでつい動きたくなってしまって。付いてて下さる方に声も掛けずに勝手に出歩いてしまって、良くないことでしたでしょうか」

「こちらはアメリアお嬢様のお邸でもあるのですから、ご自由になさってください。使用人どもにもお気兼ねなく、気安く接してくだされば幸いでございます」


 ノアにとってアメリアはルイズの障害となるか否かを見極めなければならない相手でもあるが、考えなしの出会いにひとまず使用人としての礼をとる。緊張しながらもきちんと向かい合って話すアメリアは、ノアには何ら他の人間と変わらないように見えた。


「ありがとうございます。ノアさん、でしたか? どうか気を遣わずにお話しして欲しいのですが」

「申し訳ございません。あくまで使用人ですので」

「そう、ですよね。すみません」

「振る舞いは変えること能いませんが、心中では寄り添えるようにお仕えしていることをどうかご理解ご容赦ください。出会って間もないですが、アメリア様の優しさに使用人達も心動かされている様子ですので」

「そんなことは……。でも、その、こちらこそよろしくお願いします」

「喜んで」


 アメリアは顔を赤らめ慌てる。新しい環境に慣れないながらも前向きであろうという一生懸命さも伝わってくる。アメリアは少なくとも他人を酷い手段で害すような人物ではないだろうと、ノアは見切りをつけアメリアを部屋へ送り届けたのだった。


「今朝はありがとうございました」

「いえ、また何かございましたら申し付けください」


 アメリアは昼食の時間にルイズに伴ってきたノアを見つけると、ルイズに挨拶した後ノアにも声をかけた。ノアは丁寧な対応を嬉しく思ったが、使用人として主家族の団欒に交ざる訳にはいかないので短く返答するに留める。


「朝に何かあったのですか?」


 今朝アメリアが供を付けずに歩いていたことについて、ノアは他の使用人とは情報を交わしたものの、ルイズには仕事の一環程度のことであったので報告していなかった。朝の身支度からいつも通りノアに接せられていたルイズはいつの間に、と少し驚いて訊ねる。表向きは何か問題でもあったのかと気遣う風を装うルイズに、ノアは事の次第を短く説明した。


「そうだったのですか。わたくしは眠気に少し弱いので、早起きが出来るというのは素敵なことだと思います」


 冗談めかして言うルイズに場の空気も和む。ノアの目から見てルイズも使用人達のことを気にかけてはいるものの、その気品溢れる振る舞いから緊張してしまう者は多い。しかし平民の雰囲気をまとい気安く接するアメリアも揃ったことで、邸がより明るくなったように感じられるのだった。




 ルイズとアメリアが共に暮らし始めてから数日経ち、新しい日々も習慣付き始めた頃のこと。


「あの方のことあまり好きになれない……」


 就寝前、二人きりの部屋にてルイズがぽつりと漏らした言葉にノアは肝が冷えた。ルイズとアメリアは毎日のように顔を合わせていて、その度に二人が楽しそうに言葉を交わしているのを目にしていたのに。特にアメリアはルイズの姿に気づけば積極的に声をかけられるし、そのときの表情も慕っているのが分かる明るい表情だ。所作についても指導されたことをきちんと取り入れて、ルイズを不快にさせるような言動はとっていなかったはず。確かにルイズはときおりノアなら気付くような嘘の振る舞いをすることもあったが、社交辞令の範疇だったのに。自分の知らない内に問題が起きていたのかと、ノアはルイズに訊ねる。


「何かあったのですか」

「そういうわけではないけれど……気に障るの」


 ルイズは好き嫌いがはっきりしている質で、人を嫌うこともその愚痴をノアに漏らすことも珍しくない。しかし今回は相手が相手である。すでに寝具に入っていたルイズはうつらうつらとしながら言葉を紡ぐ。


「ずっと笑ってて、嘘じゃないけど、嘘みたいで……」


 ノアが耳を傾けるも、ルイズはそのまま寝息をたて始めてしまった。聞き取りも中途半端に終わってしまい、いかんともし難い状況である。眠気のあまり漏れた本音のようで、ノアはおそらく明朝訊いたところで説明してはくださらないだろうと思った。

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