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幕が上がって飛び込んできたのは奇怪な演目ではなく、見慣れた天井だった。
「私の家……?」
上半身を起こし、あたりを見渡す。最低限の家具。その中に一本の金属アーム。格好もいつも通り。タンクトップに下着。眼帯も外している。
「夢……?」
そう思わせるほどに、“いつも通り”だった。しかしその普通さが違和感を加速させる。
全身に残る疲労感。鮮明すぎ命がけの逃走劇の記憶。それらさえも夢。
「じゃないわね」
鏡に映った自分の顔に一筋の傷を見つけ否定。
どんなに普段通りであっても完全に一致ではありえない。その違和感は日常の範疇からは大きく逸脱したものだった。
頬の傷をなぞりながら自身の体を、間違い探しでもするように確かめていく。逃走に際にできた細かな擦り傷、疲労、節々の筋肉痛。
あれだけいつも通りと思っていたものも一度気付くとこんなにも違う。
「ねえ、私っていつ帰ってきた?」
「午前一時十五分二十一秒に玄関のロックが解除されました」
淀みなく我が家の番人は応えてくれる。間違いはない。彼はこの家のことならば何でも知っている。
「どうかされましたか?」
「あなたも疑問に持つのね」
ムスビは伸びを一つする。流石の忠実なお手伝いも普段の言動から蓄積したデータとの不一致から奇妙さを感じたのだろう。
「その時誰かいた?」
「いいえ。あなた一人でした」
「私におかしなところはなかった?」
「私にはバイタルチェック付与されていません」
「そうだったわね」
奇妙な男もあの会社の連中もここにはいない。現実に私は一人で帰ってきた。
昨晩私は仕事を終え、なぜかそのことがばれ、黒服たちに襲われた。
そしてあの後男が何かやったのだ。指揮者のごとき男の姿が思い浮かぶ。
「検索。サイバーテロ。直近の奴」
「検索中。サイバーテロに該当するニュースは一件あります」
それは身に覚えのある原因不明の大規模停電。停電に関しては自分の起こしたもので間違いない。
しかし彼女の情報はどこにもない。指名手配にはなっていないようだった。バレてない。少なくとも世間的には。
連中がどうして自分を特定したのかは分からないし、分かっていながら情報公開しない理由も分からない。泳がせているのか、それとも。
「向こうも公のものじゃない、か」
それが妥当な理由。社会的に認められている連中が銃器など振り回すものか。
「BC――ブレインコード」
それは彼女の所属する学校の運営者にて科学技術を飛躍的に向上させた大企業の名。
そして、昨晩の彼女の獲物でもある。
「よほどの秘密ってことね」
ムスビは携帯デバイスを取り出し、その中にオブジェが漂うのを見つける。
確かに残っていた昨晩の収穫。ムスビは家中を巡る回線の“糸”を掴み、ダミープログラムを走らせる。家主の行動に疑問もなく、アームはぐるぐると回る。この家では自分が普段と何ら変わらずに過ごしていることになっているはずだ。念には念を入れるべきだろう。
ムスビの左目は現実に重なるように浮遊するオブジェクトを捉える。白いキューブ状の圧縮ファイル。それを展開すると、文字の羅列が並ぶ。機密事項の注意書き。その一番上には責任者の名前があった。その身に覚えのある名前にムスビの目を開かれる。
ずっと探していたその名前が漏れる。
「お母さん」