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1-5

 殺される。

 その恐怖観念がムスビを支配していた。

 電脳世界での死。考えたくもない危機がこの世界ではありえないはずの、緊張の発汗や動悸加速を再現する。自身の無意識による生命活動の再現度合いにうんざりしながらも、彼女は出口のない銀世界を駆け抜ける。

 彼女の背中を追うのは、白き異形。

 無数の立方体が群れを成し、遺物である彼女を捉えようとする。

「躾がなってないわね……っ」

 獣の腕が振り下ろされるのをムスビはサイドステップでかわす。情報質量に任せた一撃は地面を穿ち、整列したデータ群を霧散させる。

 ログアウトしようにもこの追手を振り払わなければこの世界から撤退するよりも前に意識を削除されてしまう。自分で構成した世界に殺されるなんて言うのもおかしな話だ。

 視線だけ見やると、三つの首の一つの赤く光る眼光と目が遭った。「どーも」と口の中で呟く。肩でも竦めたかったがそんな余裕もなく、彼女は逃走を続ける。

 すると、彼女から見て三つの首の内、右が天を仰いだ。それはまるで酸素でも吸い込むかのようにも見え、「ヤバい……っ⁈」本能で危機を感じる。

 そして――灼熱の炎が駆けた。

 振動をした微小の白いブロックがガソリンに引火した炎のようにムスビの後を追っていく。進路を変えれば、それも向きを変える。彼女の背中に危険を知らせる熱が迫りくる。

 今この空間から逃げ出したら追跡されかねない。何としても振り切らなければ。

 分子の微小振動の波がうねり、加速し、咆哮を上げ。

「――――――――――」

 ムスビを貫いた。

 攻撃プログラムは彼女の意識を構成する論理構造を焼き切る――はずだった。

 しかし熱が電子を揺らし、火花と顕現するよりも前に――ムスビはブレた。

 重ね合わせられた彼女の像はその揺らぎを大きくし、個の概念から崩れる。

 炎が捉えたはずの彼女の姿はそこにはなく、あるのは再び逃走を開始した二つの姿。

 その数は一瞬の内にネズミ算式に数が増えていく。その数、十六。

 唐突に増殖した目標に追撃の炎はその場に漂い、ケルベロスの首は顔を見合わせる。その一瞬の間を彼女は逃さない。

「まともに相手にするのも馬鹿らしいんだけど、ねっ!」

 ムスビは望む――“糸”を。

 それは白き世界の綻び。

 ずっとタイミングを伺っていた、仕掛け。

 何も闇雲に逃げ回っていたわけではないのだ。

 彼女がそれをほどいた刹那――爆発。

 圧縮されていた情報が次々に開かれていき、引っ張られた白い立方体が雪崩れていく。無秩序の情報の濁流。無数に開かれたデータ群はあっという間に獣を呑み込んだ。

 そして崩れ行く雪崩の中、ムスビもまた消えていく。

 ホワイトアウト。

 その流れに身を隠しながら彼女は――消失。

 意識の糸はほつれ、実態なき電網の波へと埋没していく。そして、個性のなくなった〇一配列の意識はすぐに再構成。現実への帰還。

「――――――まずいわね」

 意識が引き戻されて第一声がそれだった。悪夢にうなされていたかのように呼吸が荒く、冷や汗と脂汗がぐっしょりと全身を濡らしている。右拳を開閉し、ここが現実だと実感する。自分が作り出したものではない、確かな生体反応に安堵を覚えながらも現状を確認する。

 ここは漫画喫茶の個室だ。備え付けの時計を見れば電脳世界にダイブしてから五分も経っていなかった。体感では一時間以上はあったのだが。

 いつもの侵入に比べて随分と派手に暴れてしまった。これもあの奇妙な防衛プログラムのせいだ。

 しかし、それにしても驚いた。

「私についてくるなんて」

 こちらは意識を持った情報体だ。それ故に今まではその優位性が保たれてきた。そんな自分に対抗できたあのプログラムは一体何なのか。

「敵対する者は同じモノ、なんてね」

 そんな奇妙な考えがよぎったがすぐに頭を振り払い、現実に目を向ける。何はともあれ逃げなければ。あれだけの痕跡を残したのだ、ここもすぐに特定されるだろう。

 ここでの履歴はすでに書き換えてある。十分な時間は稼げる。ここさえ抜け出せればそれでいい。

 一瞬、誰かの視線を感じた気がしたが、そんなことを気にしている場合ではない。監視カメラだろう。カメラにはすでに一週間前の利用客の映像を送り込んでいる。目はこちらを捉えていても記録には残らない。

 神経過敏になっている。早くなる動悸を沈めようと深呼吸をする。しかし、そんな余裕もない。できる限り証拠を残さないように努めたつもりだが、ここに長時間いるのは危険だ。

 店の出口へできるだけ平静を装いながら、焦る気持ちを押し隠し向かう。しかし途中、「全員動くな!」「探せ!」という言葉に足を止め、近くの本棚で漫画を探す振りをする。

 黒いスーツを身に纏った男たちがいる。受付にカードを見せていた。警察だろうか。いや、違う。黒服の胸ポケットに身に覚えのある紋章を見つけ否定する。

 さらにその手には銃を持っていた。

 いつからこの国は銃器を持てるようになった。

 少なくとも穏やかな人種ではない。

「そんな馬鹿な」

 それはたった今の侵入した企業のエンブレム。……物騒な雰囲気はセキュリティの人間だろうか。

 もう来た。あまりにも早すぎる。もう特定したとでもいうのか。

 対処するためには時間が必要だ。侵入した時と同時に出動したとしか思えない速さ。

 ……読まれていた?

 あの犬以外のセキュリティホールを抜けてきたはずだ。油断もせず念入りに攪乱をしたにも関わらずまともに機能していなかったというのか。

 自分の動きを追えるほどの凄腕が向こう手にいたのか。いや、あのサーバを管理しているは自衛プログラム――あの獣が中核のはず。

 あの犬がそれほどまでに優秀だったのか?

 こちらが翻弄し逃げ切ったのではなく、踊らされていた。その可能性に柄にもなく悔しさを覚える。

 いくら推測したところで現状は変わらない。反省は後にいくらでもすればいい。なにはともあれここから逃げなければ。何食わぬ顔で逃げだすか。まだ個人の顔までは特定されていないはずだろう。

 そう高をくくって手に取った漫画を戻した、その時。

 黒服と、目が合った。

 その目はこちらの姿を捉え手元のデバイスを見やる。何かと照合しているようだった。それも数秒。

 ムスビは、覚悟を決め、浅く息を吸う。

 全身を脱力し、そして。

「いたぞっ!」

 ――駆け抜けた。

「……くそっ」

 バレてる。止まるな。全力で逃げろ。

 その事実だけを胸にムスビは身を低くし、反転、疾走。

「ま、待て!」

 待てと言われて待つ泥棒がいるか。

 当然彼女は振り返らず、非常口へ向かって掛ける。気圧差でわずかに冷気を持った風が吹き込み、髪を撫でた。金属剥き出しの階段を甲高い音を鳴らし、柵を掴む。そして、勢いを殺さず乗り越えた。長い髪が舞い、浮遊感に包まれる。

 柵の向こうに、地面はない。

 ここは三階ビルディング。位置エネルギーに任せ彼女は風を一身に受ける。落下地点に通行人が多数いるのが見えた。搬入用のトラックの上に着地。足の裏に衝撃が走る。痺れに数瞬固まりながら、事前にトラックの位置を把握してよかったと安堵する。

 突然の爆音に周囲が何事かと騒ぎ出す。

 しかしムスビは、周囲の騒めきに応えることなく辺りを見渡す。

 現実をそのまま映す右目と、街から無数に伸びる糸を浮かび上がらせる左目。

 異物を投影する視界の中、彼女はイメージを具現化していく。

 想像するのは――刃。

 実際の手には何もない。

 しかし、左目の世界は違った。

 彼女の想像に呼応するように彼女の左手には一対の鋏が創造されていた。

 意識を電脳の世界に投影するのではなく、彼女の内なる意識への投影。

 己の世界に生み出した双対の刃は開かれ、獲物を求める。

 ……あった。

 ムスビは“青い糸”を見つける。それは街の照明システムの回路集合体。本来は孤立したシステムを彼女は束ね、糸という単純なイメージに落とし込んだ。

 彼女は目をつむる。

 それは覚悟の間。

 目の前のその糸はちっぽけなものだったが、どれだけの意味を持ったものかは理解している。

 バタフライエフェクト。そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

「――使いたくはなかったけど……っ!」

 ここで捕まるわけにはいかない。まだ何も果たしていない。

 使命を――復讐を。

 だから。

 ムスビはその“青い糸”の集まりを、断ち切った。

 そして。

 世界から光が奪われる。

 唐突に華やかな繁華街が闇に包まれた。

 照明の電源システムの強制停止が指先一つで行われた。

 突然の暗転に辺りは穏やかであった街並みは一転し、パニックに陥る。「な、何だ⁈」「おいっ!」「痛っ」「ふざけんな!」不安と怒りは伝搬していく。明かりを求めて人々は彷徨い、声を荒げ、何をしていいか分からずぶつかり合い、互いに傷つけ合った。

 混乱と動揺の中をムスビは駆け抜ける。

「はあ……はあ……」

 喧騒を他所に闇の中をムスビは走る。人混みに呑まれることなく、闇目にすぐに慣れてしまった彼女は誰ともぶつかることなく道を知っているかのように走る。

 心臓を鷲掴みする闇から伸びる冷たい幻想の腕。いくら疾走しても振り払えない。背筋を撫で上げるような寒気が全身に纏わりついていた。

 全力疾走が筋肉組織を損傷寸前まで痛めつけ、体力の限界まで追い込んでいく。

 殺気と邪気と毒気を孕んだ重い空気が肺の中に入り込み、ムスビの酸素を奪い、意識を朦朧させる。

 電脳世界と同じ逃避行動なのにこんなにも苦しい。それは当然のことのはずなのに。

「ははっ……」

 思わず乾いた笑いが零れる。

 苦しく生きている。そのことになぜか可笑しさを覚えながら、都会の闇を吸い込む。

 私は一体このままどうなってしまうのだろうか。その不安に押しつぶされそうになりながらも止まることができず迷宮を駆ける。

 しばらくし予期せぬ一斉停電に予備電源が作動し、徐々に街は光を取り戻していく。再び光を引っこ抜くべきか。いや、今停電を起こしたところで場所を晒すだけだ。

 一般人よりも体力に自信のあるムスビだったが、それは生身の域を出ない。いずれは限界がやってくる。

 彼女の足は自然と徐々に人気がない道に変わっていく。本来ならば人混みに紛れたい。しかしそれが追手によって憚れているのだ。

 選択の余地がない。追い詰められている。

「見つけたぞ……っ」

「……っ⁈」

 発砲。

 頬に熱が走る。

 躊躇いのない射撃に一瞬体が動けなかった。しかし、恐怖を振り切り再び駆け出す。蛇行しながらの逃走。再び発砲音が聞こえたが、振り返らず駆け出す。

 再び暗闇へと溶けだそうとするが、別の黒服と接敵した。

「逃がすか……っ」

 別ルートへ方向転換する。

 先回り。なぜどうして。発信機の類はつけられた覚えはない。暗闇の中走り回っていたこちらにどう考えても普通の人間が追いつけるはずがない。

 あれだけの騒ぎを起こしたのにも関わらず、何かに見られている。そんな不安が拭えない。

「何に見られてるっていうのよ……っ⁈」

 得体の知れない存在に睨まれているような気がし、額に大粒の汗が浮かぶ。

 見えない存在を見続けたムスビ。そんな自分でさえも捉えられない存在。そんなものがいるのだろうか。

 そして精神的にも追い詰められ、鬼ごっこは終焉を迎える。

「しまった……っ!」

 その先は行き止まりだった。

 道を一本間違えた? そんなはずはない。この街の地理は完全に理解していたつもりの彼女にとってこの間違いは失態以上に疑問をもたらした。間違えるはずがないのだ。しかし眼前の現実には無情にもフェンスがあるだけだった。

 ……そもそも何で私はこの道を選んだ?

 自分自身の行動にも関わらず答えを出すことができない。

 後ろからは足音。よじ登るしかない。一瞬浮かんだ疑問を投げ捨て、一心不乱にフェンスへと走ると、一人の男にぶつかった。「……っ⁈」そこに人がいたことに今の今まで気付かなかった。やけに存在感の薄い男だ。「ご、ごめんなさい」とその場を後にしようとする。しかし、その手を掴まれた。

「俺が、分かるのか?」

 振り返った先にいたその男は驚いていた。

「俺が分かるのか」

 すがるような、しかしどこか喜びを隠せないような、そんな声。

「あんた……」

 昼間に公園で見かけた奇妙な男であると気付いた。だが気付いたところで追われている事実は迫ってくる。「ごめんなさい、急いでいるので」と男の手を振り払おうとすると、背後から「いたぞッ!」とドスの聞いた声が響いた。

「あいつらか……」

 黒服からムスビを見て、「ほう。なるほど」と納得と感心の声を上げた。その観察するかのような態度に焦りも相まって苛立ちを増幅させる。

「お前、英語は苦手か?」

「……なに、言ってるの?」

 見て分からないのか。新手のナンパか。いや、それよりも今それに答える必要があるのか。

 男はムスビの態度を見て取ったのか、再び黒服に向き直った。いいから、手を放せ。

「対象、追い詰めたぞ。仲間はいない」

 黒服の男の一人が耳に取り付けた小型無線に向かって静かに低く報告をする。

「………………え?」

 追手の男の言葉にわずかな違和感を覚える。彼らの警戒の対象だ。

 ……私、一人?

 獲物が見ず知らずのものの傍にいればそれを疑ってもよさそうなものが、この男については無関心。それとも男も追手の仲間なのだろうか。

「やあ、諸君」

「ちょ、ちょっと……」

 おもむろに男は気さくに手を挙げる。追手は銃器を構えているにも関わらず、あまりの無警戒に思わず引き留めてしまった。こんなのにかまわず逃げなければならないのに。

「…………?」

 場にふさわしくない言動にも関わらず、場は乱されない。男達は乱れることもなく、ただムスビに標準を合わせている。

 男のことなど気にした様子はない。あるいは見えていないかのように。

「悲しいねえ」

 男は肩を大げさにすくめ、道化のように現実感なく歩いていく男の輪郭が彼女の左目に映り込む。

 その姿が、一瞬陽炎のように揺らぐ。波紋のような人影の像から漂うのは見覚えのある、しかし見えるはずのない物。

 ……“糸”?

 それは男から無数に漂う糸。その先にはどこにも繋がっていない。繰り手の失った触手は不気味にうねりながら、四方八方に広がっていき、その場にいた者全員に忍び寄る。

 それはムスビも例外ではなかった。

 普段ならば自ら掴み取るはずの“糸”。この世に非ざる世界に連れて行ってくれるそれは十分見慣れたにも関わらず、気味悪さを感じていた。

 ……色が、違う。

 違和感の正体は明確だった。いつも見慣れていたそれは同じようで、全く違っていたのだ。

 糸の色は――赤。

 まるで血が流れ出ているかのような、深紅。

 鮮血の脈動がうねり、その場にいた人間に絡みつこうと這いよる。

 あれは何だ。

 電脳の世界への道標とは何かが違う。本能的にそう感じ取っていた。

 自分の手足が勝手に動いているような、そんな気味の悪さ。

 喉は干上がり、今すぐにでもその場に倒れこみたいほどの疲労があったにも関わらず、その場から動けなくなっていた。

 目と鼻の先に赤い糸が迫ってきた。

 触手に捕食される。そう思った刹那。

 視界が、切り替わる。

「――――――――――――――え?」

 どこにもない。

 場を混沌に変えていた未知の“赤い糸”は霧散していた。

 まるで初めからそうであったように。

 気のせい、だろうか。しかし、この不吉な予感は一体何なんだ。

「…………………………………………あ?」

 不意に一人の黒服の動きが止まった。

 何かを、見た。

 信じられないとばかりに目が開かれた黒服。一人が気付いたと同時に他の黒服たちも同様の顔に変わる。彼らの視線は男から逃れられず、そして表情を失う。

「……っ⁈」

 男はにやりと浮かべる。その笑みは影のような男からは想像もつかないほど獰猛で、どこか悲しみに暮れていた。

「俺を見たな」

 男の声は歪み、魔力の波形として伝搬していく。声は蠱惑的で、その場に纏わりつくように漂っていく。黒服たちは怯み、何かに憑かれたようにその場に立ち尽くす。

「Let`s restart your roll」

 それは命令であり、使命。

 ぎり、と何かが捻じれる音が聞こえた気がした。

 まるで歯車が切り換えあるように。

 男だけは、不気味な世界から切り取られたように。

「一体、どうなっているの……?」

 そして、気付いた。

「………‥っ⁈」

金縛りに遭っているのは彼らだけではない。

 ムスビもまた身動きが取れなくなっていた。

 影の男は指揮者のように腕を振る。

「It`s show time」

 そして舞台は始まることなく――――意識の暗幕が下ろされた。

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