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1-1

【おはようございます】

 夢から引き上げたのは調律された音だった。男とも女とも判断のつきにくい声。無機質な音が暖かな日差しが瞼をくすぐり、さらに覚醒へと押し上げる。

「……ん」

 吐息を漏らし、寝返りを打ったのは一人の少女だった。

 揺り起こされた眠り姫は眉間に皺を寄せ、目付きで人を殺さんばかりに枕元に置かれた時計を睨みつけた。その数字が示す時間をぼんやりと理解し、再び突っ伏す。ベッドに体を預け、再び意識を夢へと沈めようとする。

【おはようございます】

 そんな主の意図を汲み取ったのか、目覚ましが今一度反応する。全く同じ音調で起床を催促。通じないと分かってはいても聞こえないふりをして体を丸くする。毛布を引っ張ろうとまさぐるが、どこにも見当たらない。寝相の悪い彼女がすっかりベッドから叩き落してしまったのだ。

【起きてください】

 警告の言葉が変わった。この次は大音量の音を鳴らされる。そのことを知っていた少女は尻を突き出し、シーツに頬をつけ面を上げた。その顔には不快感を隠さない。

「もう学校始まってるし……。役立たず」

【設定したのはマスターです】

 そうですねーと少女は上半身を器用に揺らし起き上がり、そのままぺたりと座り込んでしまう。んーっと伸びを一つした。

 厚手のカーテンから漏れ出した春の光が彼女全身を照らし、局所的に微熱をもたらす。

 起き上がった視線の先には不自然なほど大きな姿見があり、そこにはベッドの上で眠気眼の自分があった。

 肩紐の外れた黒いタンクトップに飾り気のない下着。質素な装飾から溢れ出すのは滑らかな曲線。白さの際立つ輪郭が描き出すのはちぐはぐした美しさ。

 その姿は人の欲を押し込め、見る者も感性を刺激する。だが同時にこんな人間が生まれるわけがないという薄気味悪さも見え隠れする。

 まるで作られたかのような美しさ。

 言うなれば、彼女は美術品めいていた。

 自分の姿に今更面白味を見いだせない少女――ムスビは寝癖を抑え遠慮のない欠伸をし、ベッドから降りる。塵一つないフローリングのひんやり感触が足を伝い、わずかに眠気を取り払う。部屋の空気をいっぱいに吸い込むと、わずかに埃っぽさがあった。

 部屋には小さな机と大きすぎることのないクローゼットにベッド。あまり大きな部屋とは言えなかったが、物の少なさゆえに一人の少女が住むには十分な広さをしていた。

 そんな殺風景な部屋の天井を赤い一つ目を持った無骨なアームが彼女の動きを観察し、何かをじっと何かを待っている。

 金属の腕は二対あり、それぞれに三又の指を備えている。時折指のはまったシリンダーを回転させる様子はどこか尻尾を振る犬を思い起こさせる。

 ムスビは洗面所で顔を洗い、跳ねた髪を雑に直し、甲斐甲斐しく待機していた世話好きな腕にオーダーを投げかける。

「コーヒー」

【それだけでは体に悪いと推測されます】

 主人の注文をすぐさまケチをつけるのはどういう了見だと思いつつ、ムスビは髪の水気を取り、口を尖らせる。

「なら何か作ってよ」

【この空間に私が入り込む要素はありません】

 それはそうだ。この家にはエネルギードリンクとコーヒー豆以外の食材を常備していない。度々気を使う彼(?)が購入の提案をしているが跳ねのけている。却下する度に彼は言うのだ。

【人らしい食生活を進言します】

「機械のあなたに言われちゃ世話ないわね」

【機械だからこそ正確な判断が下せるとも言えます】

「そうかもね。でも平気よ、私のことは私が一番分かってるから」

【いえ、あなたにはバイタルチェック機能はついていません】

「そうね」

 軽口を叩いている間にムスビは出来上がったコーヒーを受け取り、テーブルにつく。香ばしい香りが鼻孔をくすぐり、口をつけると程よい酸味と弱めの苦みが口の中に広がる。カフェインが血中に流れ、覚醒状態になる間、ムスビは染み一つないテーブルに行儀悪く頬杖を突く。

【お味はいかがですか?】

「あなたが良く知ってるんじゃない?」

【満足度を尋ねています。私の性能評価の指針になります】

 不味いと言ってほしいのだろうか。しかし以前に冗談で苦味が弱いと言った際に泥水のようになったことを思い出す。馬鹿正直に受け取り、それを今後の味に反映させるために下手なことは言えない。

 今一度その味を確かめるようにカップを傾ける。少しばかり癖はある。万人受けするものとは違う、自分の好みそのものだった。

「憎たらしいほど美味しいわ」 

【ありがとうございます】

 ムスビは飲み終えたカップを洗いに出し、クローゼットから制服を取り出す。洗い物をすぐさま始める金属腕の音ともに、背後から声がかかる。

【学校に行かれるのですか】

「意外?」

 ムスビは振り返りもせず、アイロンのかかった制服に腕を通していく。糊のきいたシャツ。せっかくの手入れだったが、腕を曲げ柔らかくしてしまう。

【はい。この時間に起床した場合において高確率でサボータジュを選択されますので】

「そういう気分なだけよ。あんたの学習もまだまだね」

【精進します】

 その言い回しに、スカートのファスナーを上げながら笑ってしまう。これ以上精進されても困る。そしてそれが可能なのも問題だ。手にかかる子供が可愛らしいのと同じで、完全なサービスは好きになれない。

 制服姿に身を包んだムスビは、一転し姿見で自分の姿を一瞥。そして洗い物をすっかり終えたらしいアームが何かを差し出す。長い紐があり、中央辺りに円盤が括り付けられている。

 それは眼帯だった。それも少女がつけるにはあまりにも無骨な。

 ムスビはそれを抵抗なく受け取り、自身の眼を見ないようにしながら、長い前髪で隠れた左目に装備。完成したその姿に「よし」と満足げに頷いてから鞄も持たずに玄関に向かう。革靴を履きながら、振り返り金属腕へ向かって今日の予定を伝える。

「あと今日は遅くなるから。もしかしたら帰らないかも」

【了解しました】

 応答のつもりなのか、シリンダーが一転した。サポーターたる彼からの余計な詮索はない。遠慮をしているのではない。そもそも疑問を持つという発想がないのだから。

 彼の役目は、だらしない自分の生活補助をし、いない間は警備システムとしてこの部屋を守ること。それ以上でも以下でもない。

【行ってらっしゃいませ】

 それはプログラミングされた言葉であり、決して彼の意識から発せられたものではない。そもそも彼との会話は無限にシミュレートされたパターンの結果でしかない。

しかしその言葉は人間の場合であっても定型句には違いない。

 言葉の響きにくすぐったさを感じながら家を後にした。

「行ってきます」

 便利な世の中になったものだ。


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