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目覚める人形

 ――ふと目が覚めた。

 唐突に暗がりの底から引き揚げられたようなこの感覚は「目覚め」のひとつだった、と思う。


 そうぼんやり考えながら薄暗がりの中で横たわっていると認識する。道理で天井しか見えないわけだ。

 先ほどまで真っ暗な世界に完全に沈み込んでいた意識は、もう一度そこに戻るそぶりは一切見せない。とすれば、ほの暗い中でもその鮮やかな色調がわかる、花やら鳥やら小動物やら挙句の果てには立派な翼を持った美しい天使まで描かれたやかましい…もとい、賑やかな天井を見続けなければならないこの体勢から抜け出すのが得策だろう。絵画としての完成度は高い、と思う。天井という有限の平面にありながら奥行きという広がりを信じさせ、描かれた動植物は本物と見まごうばかりに生き生きとしている。いや、天使の「本物」は知らないか。しかし、いざ眠ろうというときにこの写実性・緻密性はある種の暴力ではないか。


 天使、なぜ微笑んでいる。笑ってないでこちらへ今にも飛んできそうなその白い鳥を止めてくれ。

 周りの生き物たち、なぜそろいもそろってこっちを見つめているんだ。一匹ぐらい目線を外してくれてもいいだろう。瞼を閉じても視線の圧が網膜に届きそうだ。


 部屋の主は毎晩そう思っているに違いない。それくらいうっとうし・・・もとい、存在感がある。いや、そう思わないからこんな天井なのか。花やら鳥やら小動物やら挙句の果てには天使に見守られながらではないと眠れない質とか。あまり仲良くなれそうにない。同じ天井を戴けなくとも不倶戴天とまでは言わない。話をしてもお互いに楽しくなさそう、というくらいだ。


 だが、今更になって気が付く。その仲良くなれそうにない他人の部屋で眠っていたというのはどういうことだ。絶対に他人の部屋だ。こんな悪しゅ…趣味に合わない装飾を寝室に施すだろうか、いや、施さない。とすれば、おとなしく横たわっているのは得策ではなかろう。

 

 ガバリと上体を起こす。随分長い間横になっていたらしい、ガチガチに固まってしまっている体を動かしてベッドから降りる。さて出口はどこだ。


「…え」


 逃走経路を探してきょろきょろと目線をさまよわせていると、か細い声が聞こえた。生物がいたのか。声の発生源と思しき方向へぱっと方向転換する。


 音の出どころは床に座り込んでいた。いやしかし床までコテゴテ飾り立てるのはどうなんだ。壁だって豪華絢爛な花々が咲き乱れているというのに。部屋の主は華やかなものが過剰なまでに好きな若いお嬢さんなのだろうか。だとするとこの発生源も部屋の主とは考えにくい。若くはあるがお嬢さんではないだからだ。

 

 か細い声を出したその青年は、こちらを呆然と見たまま動かない。なんとなくその態度にムッとしたから、負けじと相手を観察することにした。目には目を、ガン見にはガン見を、だ。


 まずは頭。髪は長いが無操作に縛り上げているだけで、おそらく切る暇か余裕か気概がないのだろう。淡めの色と緩やかな癖がその長さと相まってなかなかのボリュームになっている。次は顔。こちらを凝視する色は髪の色よりもやや濃い茶、何やら驚愕しているらしく見開かれている。血色はあまり良くないようだが鼻筋は通っていて、――今は半開きになっている口が少々間抜けな印象を与えるが――整った部類に入る顔立ちだろう。その顔の近くにはルーペを持って目にかざしかけた左手が見える。なんとなく器用そうに見える、細くて長い指だ。右手の方は――



 今度はこちらが目を見開く番である。右手の方は右手を持っていたのだ。手の甲がこちらを向いているときに親指が左側にあるのだから、右手。右手で右手。持っている方には肘より先、肩方面が続いていない。ということは……


 続きを考える前に体が動く。先ほどまで頭を預けていた、柔らかいながらも頭部を支える力は抜群の枕をひっつかみ、遠心力を味方に思いっきり投げつける。柔らかさと重さは相反しないようで、顔面でそれを受け止めた青年は鈍い音を出してひっくり返る。音を出したのは青年の喉か顔面か定かではないが、今はそれどころではない。どこの誰だか分からない人物の部屋で目覚めただけでもあまり歓迎できない状態だというのに、そこに右手で右手を持つおちかづきになりたくない(やから)がいたのでは話にならない。逃げるしかない。


 枕に顔を抱きしめられた青年が何かしら言っているのが聞こえるが、構わず目についた扉を開け放って外に飛び出し、その勢いのままに走り出す。部屋の内装の豪華さから資金の豊かな家なのだろうと予想できるから、もしかすると馬鹿みたいに広いかもしれない。ともかくあの部屋から離れるのが最優先事項だ。廊下の曲がり角が見えたので右足を軸に思いっきりカーブする。

 と、


「――――――ッ?!」


 衝突しかけたメイド服の少女が息をのむのが聞こえる。そりゃこんなスピードで飛び出して来たら驚くな。ごめん、こっちもびっくりした。

 驚かせたことへの謝罪を軽く済ませて脱出を再開しようと口を開きかけたが、メイド少女の驚愕は収まるどころかみるみる増えているように見える。見開かれた目は先ほどの『右手で右手青年』のそれと全く同じで、こちらに張り付いてちょっとも動かない。視線以外はわなわなと震え出したというのに。

 ぶつかりかけた負い目があるとはいえ、流石にその無遠慮な視線に抗議しようと一歩近づき、


「――――ぃいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」


というメイド少女の悲鳴によって三歩下がる羽目になった。逃走作戦は進まないどころか後退している。あと耳、痛い。メイド少女はちんまりとした体に似合わず声量があるらしい。肺活量もすごい。悲鳴はまだ続いている。耳、痛い。


 いったい何にそれほどまでの音波をぶつけようというのか。人の顔を凝視しながら叫び続けるというのもなかなか失礼極まりないと思うが。それと耳、痛い。


「に、人形が…人形がぁっ!!」


 メイド少女発の音波から耳を守るために塞いでいた手の隙間から、そんな言葉が聞こえる。人形。ぶつかりかけたときに落としたり壊したりしてしまったのだろうか。いや、そんなものは見当たらないし、ちんまりしているとはいえ人形一つでそこまで騒ぐような年には見えないが。


「―――人形が、動いてるっ!!」


 それは恐い。君のその音波(ひめい)も納得だ。だがどこだ、その動く人形とやらは。きょろきょろしても特に何もない。まさかメイド少女、君にしか見えない系のアレとでも言うのか。それは怖い。動く仕組みならなんとなく考えられるが、特定の人間にしか見えない仕組みなんて考えたくもない。どこ。どこにあるんだ。


「君のこと言ってるんだよ。」


 メイド少女よりも低く落ち着いた声がして、走ってきた方を振り返る。しまった、メイド少女の音波によって走っていた目的を忘れていた。


 逃走対象たる『右手で右手青年』は相変わらず右手を持っているが、今は左手で右手を持っている。右手を持っていた右手はふわふわの髪の毛をガシガシと掻き回すのに忙しい。こちらは目に見えない動く人形と『右手で右手青年』―――今は『左手で右手青年』―――からどう身を守ろうか考えるのに忙しい。青年の方は見えるから逃げようがあるが、見えない動く人形なんて逃げられる気がしない。


「だから君のことを言っているんだよ。」


 先ほどと同じ調子で、けれども呆れを含んで『左手で右手青年』は声をかけてくる。持っている右手でこちらを指示(さししめ)しながら。人を指さすのはどうかと思うという以前に、自分のものではない右手を持ち歩くのはやめてほしい。怖いし恐いし、これ以上メイド少女が驚愕するようなことは避けたい。耳、痛い。


 …待て、今何と言ってこちらを指した。


「動けるけど話は理解できないのかな?」

「『君のこと』って、何のこと。」


 青年の疑問に不親切な方向から回答を与えながら、違和感を感じる。声に聞き覚えがない。


「君は誰?リア?」


 青年がこちらの質問を無視したのでこちらも無視することにした。


「なぜ右手を持っているんだ。」

「それがわからないならリアじゃないね。これは部品だよ。」


 無視したのに答えたことになっている。悔しい。

 だがこちらの質問にも答えが返ってきたからドローだ。だから気にせず質問を続ける。


「部品、何の。」

「君の、部品。替えのだけど。」

「そんなもの、要らない。捨てろ。」

「要るか要らないかは人形(きみ)じゃなくて人形師(オレ)が決めるんだよ。あと、造るの大変だからそうやすやすと捨てないでくれる?」


 『君のこと』という発言と今のやり取りに視線をさまよわせる。メイド少女の音波に阻まれて向かえなかった先にあるものが目に留まり、そろそろと近づいていく。すると、艶々とした金の巻き毛に縁どられた小ぶりの顔を傾げながら、鮮やかな青を瞬かせ桜色の唇を小さくへの字に曲げた美しい少女がのぞきこんできた。美少女に見つめられるのは悪い気がしないが、問題はそこではない。


「誰だ、これ。」


 少女が鏡ごしにのぞきこんでいるということが問題なのだ。

 思わず鏡面にべったり両手を付けてしまうと、呟きを聞いたらしい青年がいつの間にかそばにいて鏡の中の少女を指さしている。今度は自分の右手で。


「その子はリア、この屋敷のお嬢さん。もっと正確に言うとリアを模した人形。で、」


 視線をそっとこちらに寄こしながら青年は言葉を続ける。


「君は、誰?」

「アタシ、は。」


 見知らぬ少女が鏡ごしにのぞきこんできて、なおかつその少女が人形だということよりも更に厄介な問題に気が付いた。どうして今まで平気だったのだろう。


「アタシは、誰、だ。」

「オレが知るわけないよ。」


 青年の持った代替部品(みぎて)が手首のところでカクンとなった。

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