旅に出る。戦わないために。
あきらめきれなかった兄は酒が入るとマリアを犯しにやってくる。査定もおちるところまでおちた。
「マリア、君の前の持ち主は君のことが忘れられないようだね」
「性交渉の真似事はあたしの本分ですよ。お兄さんのお相手しましょうか?」
なんてことないようにマリアは言うし、なんてことないんだろう。だけど、あんな暴力の塊みたいなものの前にぼくが認めて差し出してみなさい。マリアからの不興を買って、反撃を受けるだろう。マリアはなんだかんだ言ってアンドロイドだ。事故が起きたら大事故になる。
「相手してるのを見てるぼくの気持ちになってみてくれよ」
「悲しい?」
「少しはね。だって君はぼくのものなのに」
「おかしいわ。だって、だって、あなたはあたしの胸に顔をうずめるだけじゃない。あなたとセックスなんてしたことないよ」
「……ぼくにもいろいろあるんだよ」
兄が扉をたたく音を止めたと思ったら何か鈍器で殴りつける音に変わった。
酒癖が悪いってレベルじゃない。
「ヤラセロ!」なんて叫びながら扉を破るなんて何事だ。役所が修繕した際に強化木材で作られてるから破られることはあり得ない。というか、他の壁材のほうが破れそうなものだけど、扉にしか気持ちが向かないのかもしれない。
しばらくして、異変を察知した警備アンドロイドに兄は引っ張られていった。
「マリア、旅に出よう」
「突然ですね」
「突然……かな。突然かも。だけど、前から考えてたんだ。ぼくはしばらくここにこもって暮らした。気力も十分、体力もある。君みたいなかわいい子も隣にいるし、見せびらかして歩いてやろうと思う。マリアのボディも直してやりたい。何より、ぼくと君がここで暮らすことは兄ちゃんのためにもならない」
「あたしに執着するからですか? お兄さんは悪い人じゃないんですか?」
「……マリア、この世界に悪い人なんていないんだ。ただ、不満を持つ人がいるだけ。暴力や暴力の応酬に巻き込まれそうなら逃げよう。ぼくはずっと逃げてきたし、これからも逃げるつもりだ。今まではぼくひとりで逃げてたけど。これからは君も一緒に逃げよう。ぼくが嫌になったら君はぼくから逃げてもいい。これは約束だ」
「わかりました。あたしはあたしの気が済むまであなたに付き合いますよ。長くは歩けません。足手まといになるでしょう」
「ぼくは君の杖になる」
「ホットミルクの淹れ方もあやふやです」
「一緒にキッチンに立とう」
「もう少しで半年が経ちます。あなたが入れてくれたホットミルクの味を忘れたことすら忘れてしまいます」
「もう一度淹れてあげる。上書きしていこう。君が望むなら君の機能制限を解除する。ちょっと時間はかかるだろうけど」
「できれば半年以内にお願いします。あなたのその申し出を忘れないために」
ぼくたちは急いで荷物をまとめた。
考えが甘いかもしれない。
少しばかりガタがきてるけど、頑丈なアンドロイドを相方にぼくは旅に出た。
関係者にはしばらく家を離れることを伝えた。
少ない知り合いは別れを惜しんでくれた。
制服さんは「次の居住地が決まったらご連絡ください」と事務的な通知だけだ。
町を出たらマリアの車いすは動かなくなった。
「動かなくなりました」
「町を出たからだ。これからはぼくの肩を貸す? それとも背中?」
「あたしってのはお荷物ですから。おんぶしてください」
舗装された長い長い道をマリアを背負って歩いた。
心地よい重さだ。いまのぼくならいくらでも歩ける気がした。
ぼくたちはどこかにたどり着く。
新しい住処になるかもしれない。
生きるのに苦労する時代ではない。
のたれ死ぬのも難しい。
生きろとせっつく世の中だから。
ちょっとばかり遠回りするだけだ。
行き先はまだない。
ぼくたちは迷子だ。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
ずっと考えている、ナチュラルベイビーやすすんだ未来の世界で取り残される人間は必ずいるだろう。と思っています。
そして、今の時代にも取りこぼされた弱者は存在することでしょう。
そういった者たちへの配慮ややさしさというものを意識しています。
皆さんの閲覧や、感想などが励みとなりながら書き上げました。重ねてのお礼を申し上げます。ありがとうございました。




