踏むのも踏まれるのも嫌なんだ
ぼくは公園にいる。
陽はやさしい。
ぼくの隣にマリアはいない。家で待たせた。
冬時期にはジャンク市が開いていたけど、温かくなったら嘘のように人が減った。
柔らかい芝生とベンチ。雪が溶けた後はマリアと散歩に来たことがある。町の外のこととか、ぼくのこととか、働き者のこと、怠け者のこと、肩身が狭いこと、兄が嫌いになれないこと、いろいろ話した。
言葉に詰まることもあるけど、マリアはゆっくり話を聞いてくれた。
真摯な彼女に応えるために、ぼくも真摯にふるまうべきだ。
公園で兄と待ち合わせをした。
芝生の上で昼寝している女性。多分だけど、彼女もぼくとおなじく怠け者。
平日のこんな時間に寝転がっているのだ。親近感を覚える。公園の清掃ロボットに掃除されそうになっている。風呂が嫌いな人なのかもしれない。一定の不潔ラインに引っかかったんだろう。今のぼくはひっかからないと思うけど。
小綺麗な兄が姿を見せたのはお昼時だった。
「待たせたね」
「そこそこ待ったよ」
「お前が早く来すぎたんだ。俺は約束の時間五分前だぞ」
兄の顔を見る。酒気も帯びていない。いつも兄だ。
「……ぼくが呼び出しといてなんだけど、平日の今どきに来るなんて兄ちゃんさては無職だね」
「市民査定に警告が出た。警告内容が職場にも通知がきてさ。人形を使って過激なオナニーしてるってバレたからクビになった。いい感じになってた恋人とも関係はパーだぜ。ひどい話だ」
「職場が? 自分が? それともぼくが?」
「全部だ。俺は人目を気にして、まっとうに暮らしてみた。ナチュラルベイビーだし、じゃあ、他のことでアドバンテージとる必要があるじゃんか。企業から体のパーツ換装を繰り返し求められたよ。挙句に最終的には査定が悪くなるとクビだ。どうしろってんだ。査定が悪いとパートナーも見つからないし、結婚しないと周りに噂もされる。仕事をしないといけない。だけど、俺たちみたいなナチュラルベイビーは面接で落とされるんだ。生まれからしてマイナスなんだよ。愛を理由に俺たちは産まれたなんて親たちは言うよ。だけど、それで生まれた子供はどうなるってんだ。どん詰まりだ!」
兄は長広舌を垂れた後、機械化された拳を機械化された膝に打ち付ける。金属製の硬質な音が公園に響く。
トランスヒューマニズムの塊がそこにいる。
昼寝している女性は見事な無視だ。聞こえていないはずがないだろうに。彼女も徹底的な怠け者。
「だから、そのやるせなさというか、憤りっていうのを人形ではらしてたのか?」
「何か悪いことしたか? 俺は何か悪いことしてたのか? 別に道行く女性を犯したってわけじゃないんだ。人形でアクロバティックにオナニーしただけだ。ものを相手に殴っただけだってのにな。あそこを締めろって言ったら、あいつは締めるんだ。あえげって言ったらあえいでくれる!」
「マリアは胸に顔をうずめても怒らないよね」
「あ、それした? あれいいんだよね。お前もうずめたか。柔らかいけどまとまりがあるんだ。おっぱいってすごいよな。慰めてくれと言ったら慰めてくれるんだ。愚痴を聞いてくれと言ったら愚痴を聞いてくれる。俺が何しても許してくれる。そういうものだったんだ。ジャンク市でお前があいつを引き取るのを見たときには妙な運命を感じたね。お酒で最高にハイな気持ちになった中であいつのクビをねじったのを覚えてる。そしたらあいつは動かなくなったんだ。何しても、ナニしてもだ」
「…………何か言った方がいい? しゃべるの気持ちよくなってる?」
「気持ちいいね。今も股間が堅くなるのを感じてる。俺ってやっぱちょっとおかしいんだと思う。お医者に行くべきかな」
「自己診断はできないから。生活に支障があるなら医者に相談してみなよ。いつも勃起させてたら生活も大変だろう。ぼくのことを思い浮かべたら萎むんじゃね?」
兄が熱っぽい視線でぼくを見る。
「…………驚いた。萎んだよ。ありがとう」
「どういたしまして」
兄は「何か飲もう」といって飲み物を用意してきた。
温かい缶コーヒーだ。冷たいのが飲みたい時期だけど、妙なものを持ってきた。よく温かいの売ってたな。
しばらく何も言わずに、公園を眺めていた。
やにわに兄が訊く。
「今日はどうして俺を呼んだ?」
「兄ちゃんは何か大変なものを持ってるのかもとか思うとね。話くらい聞いてやらんとなるまい。そう思ったんだ」
「聞いてみてどうだった?」
「結構えげつなくてびっくりした。前から思ってたけど兄ちゃんはまっとうだよ。誰かに認められたい、パートナーが欲しい、まっとうだよ。だけどそのストレスの発散は問題ないさ。問題はもう、マリアは兄ちゃんのものじゃないってことだ。あの子はぼくのものになった。これからはあれだ。その全力オナニーをしたいってんなら、新しいセクサロイドを見繕えよ。今の時代セクサロイドも古いだろうけど。電子ドラッグっていうの? あれ使ってみたら。ぼくには手が出ないけど、働き者の兄ちゃんならどうとでもなるだろう」
「あれに手を出したら、パートナーとかどうでもよくなりそうな気がして怖い」
「……とにかく、マリアはあきらめてくれ」
「諦めきれなかったらどうする?」
「いろんなものを失くすことになる」
「これ以上何を失くすんだ?」
「…………」
「コーヒーごちそう様。いつでも連絡をくれよ」
「ああ」
ぼくと兄は簡単な挨拶をして、それぞれ家路についた。兄には兄なりの幸せがあればと思う。
説教臭いことすんのもばからしい。
踏むのも踏まれるのも嫌なんだ。
ぼくはたいした人間じゃないんだ。




