あの子を直した
ぼくは妙な勘というものがある。
多分だけど、この子は「壊れていない」と推測していた。
ずっとベッドの中で温めながら、この子の胸に耳を当てたときに鈍いモーターの音を感じた。
この子はまだ生きている。生きているけど、生きたくないのか。
なにがあったのか。
昔から何かをいじるのは嫌いじゃなかった。
分解して組み立てる。すでにある形に再度戻す。
たまに結構大きな部品が戻らないことも、動かなくなることもあったけど、大方は動くようになる。
ナノレベルの回路の故障はもうお手上げだけど、部品揃えたり、導線の破損を直したりする程度ならできた。
ぼくが力を尽くすことで物言わぬ同居人が動き出すかも。そう期待した。
ぼくは資料を揃えて読み込み、足りない部品は代用した。
出来うる限りの努力はおこなった。
皮膜が割れているなら下地を厚塗りをして、撥水加工をした。雨に濡れても浸透しないように処理をした。
抜けた髪の毛は一本一本植毛した。
口腔内のシャーシ番号を調べたけど、どれにも該当するものはなかった。
「きみは誰なんだろうね……」
ぼくは何度目かわからない問いかけを放った。
資料を読み込んでも、目の前の人形についてのものはなかった。
相当に古い代物なのかもしれない。
できる限り外に出なくてよいように計らっていたけども、誤算があった。
役所が修繕した扉については鍵が家族に共用されていたのだ。
当然ながら、市に抗議をした。
「二親等以内の家族に関しては特段の配慮を行うように設定されています。ヨゼフさんのご自宅に入れない。ということの相談があったためお兄さんに鍵を交付しました。もしもヨゼフさんが孤独死をしていた場合の早期発見につながります」
悲しい配慮だ。
雪が溶けて、土が泥になるころ。
兄が訪ねてきた。兄のブーツは泥だらけだ。ぼくが渡した覚えがない合い鍵を兄は持っている。
先日の来訪時に回収を試みたけど失敗した。
「で、これはいつ動くようになるの?」
兄が人形を見た際のお決まりの質問だった。
「動くはずなんだけどね。見た目の部分では全部直したつもり。回路も疎通はしているみたい。今は一つ一つ分解しなおしてる」
数千回余り繰り返した。今では目を瞑ってでも分解組み立てができるだろう。
「動かしてどうすんだよ。セックスの真似でもするのか?」
「それはいいかな。となりにいるアンドロイドにしょっちゅう欲情してたら困っちゃう。一人暮らしも寂しくなってきたから。孤独を埋めるために産まれるなんてぼくみたいでぞっとするね」
兄にはいつも通りのミルクと蜂蜜を混ぜたホットミルクを出した。
だけど、兄はそれを申し訳なさそうに断った。味覚機能も機械化したら少し不具合を感じているとのこと。
「兄ちゃんは会うたびに身体がなくなるね。いつかアイデンティティもなくなるよ」
「大丈夫だよ。もしもの時は生体ボディも保管してるし、生命保全プログラムの対象市民でもあるからなにかあっても大丈夫なんだ」
ぼくはそこまで説明を求めていないのに、兄はぺらぺらしゃべった。口数も多くなる。
ぼくはもう一度ホットミルクをすすめたら、兄はそれを一息に飲み干した。
「……やっぱりなんか妙な感じだ。俺の中の記憶と、感じる味に差がある」
「困るなら、保証きかせて生体ボディに変えたら?」
「しばらくはこれで行くよ。査定の問題もあるしさ。変更とかいろいろ言ってたらクレーマーのレッテルがついてレッド市民になりたくないからな」
兄はぼくと話しているはずなんだけど、視線はいつも彼女にくぎ付けだった。
兄も働いてはいるけど、たくさんの贅沢はできないのだろう。ぼくが手に入れたセクサロイドが気になっているのかもしれない。
皆、査定を気にして生きている。
泥だらけの靴のまま兄は帰っていった。
数千回となる起動確認。
ついにあの子は起動した。
開いていた瞳孔はしぼみ、生体反応に近いものを示して、ゆっくりと少しずつ動き出す。
起動して一番に放った言葉。
「助けてください」
ぼくは助けを求められた。




