8-25 守山登頂記
それから司令部の入った建物に行くと、お客さんを降ろし、うちの子も降ろした。
「ラオ! いよいよだぜ」
「ガウ」
俺はラオに跨り、他の皆さんを誘導した。
「さあ、皆さん。こちらです!」
「わあい、ラーちゃん、素敵っ」
約一名はしゃいでいる方を除き、他の七名のお客さんが沈黙した。
他に武装した警備隊員が一応ついてきているのだが、ちょっと腰が引けているようだ。なんというか、眉が寄ったような表情をしているし。
「鈴木、お前なア」
だが、俺は笑って答えない。だって師団長は連れてきていいって言ったもんね。
『猫くらいなら』
「いいなあ、乗れる猫ちゃんかー。ねー、鈴木さあん」
「はい、よろしいですよ。そら、ラオ」
ペタンっという感じに床に体を降ろして、彼女を乗せてくれるラオ。そして彼女がしっかり乗ったのを横目で見つつ、ゆっくりと立ち上がる。
「キャっ」
おおっ! 彼女、見た目よりグラマーだった。慣れないパイラオン騎乗に、前に乗っている俺にしがみ付いてくれたので、その何というか感触がね。
いやあ、タンデムライディングって最高。すると、時折ラオがひょこひょこっという感じで体を揺するというかバランスを崩すというか、そんな仕草をみせる。
本当にわかっている奴だな。こいつは、こんな事でバランスを崩したりするような柔な生き物ではないのだ。凄まじい速度で駆けていても、態勢はビクともせず神速のフットワークを決められるのだ。少し持久力には欠けるきらいがあるのは欠点なのだが。
奴がバランスを崩す度に、慣れない彼女は「きゃっ」だの「ひゃっ」などと言って俺にしがみつくのだ。
他の男性連中は呆れたような顔でそれを見ていたが、彼女が自分の意思でそのライドを楽しんでいるので、あえて何も言わない方針のようだ。
大体、ここへ来た目的は自分たちの帰還の報告というか事情聴取というか、少なくとも魔物ライドを楽しみに来たのでないのは確かなのだから。
俺と彼女だけは余裕だ。向こうへ行った女性にも、本当に温度差がある。生贄寸前の悲惨な状況だった人とか、手を縄で縛られて荒野を引き回されていたような人もいるかと思えば、あのオニギリパーティしていた連中やこういう人もいる。
表情や目を見ればわかるが、この人は向こうで悲惨な目には遭っていない口なのだろう。大体、そういう人が魔物なんかに懐かないわね。このお方は、俺とこんな事をしていられるような余裕があるくらいなのだから。
俺と彼女の楽しいツーリング? の後を男性帰還者七名と武装警備隊員八名が、なんだかなみたいな顔をしてついてくる。
悪いけど、ラオに乗っているとエレベーターは使い辛いので、みんな階段ねーとか思っていたら、彼らはエレベーターで行くようだった。お蔭で俺は彼女と二人っきりで楽しく階段上りだ。
「しっかり掴まっていてくださいよ」
「はい!」
当然、落ちないように彼女は密着度が上がるコースなので俺は楽しかったし、彼女も滅多にできない体験だったろう。
何しろ、ここは東海地区にある陸自の国防や防災の要、守山司令部なのだから。そんなところを民間人の男女が合法的に、異世界の魔物の背に乗って登頂するなど本来ならありえない事なのだ。
普通の国であれば、ここは軍事機密満載の軍事基地なのだから。駐屯地開放日だって、普通の人はここへは入れない。
そして、ラオがゆっくりじっくりとお楽しみライドをしてくれているうちに、他の連中はもう師団長のいる場所までいっていたようだった。
しまったな、もう師団長にラオの事がバレているかなあ。だが男に悔いは無し。そんな登頂記であったのだ。
もう十分他の奴等で遊んだからな。ここのところ、ひでえ状態だったので、愛猫と一緒に心のケアをしないとどうにもならない状態だったのだ。あー、満足、満足。
そして、ラオは前足で器用にドノブを回した。ここに来る前に一回見ただけなのに凄いな。知能の高い奴だとは思っていたのだが。
猫ってカチャンと下に下げる取っ手のドアとか、襖なんかは上手に開けるみたいだけど、ドアノブを回す猫って初めてだな。いや、猫じゃないんだけどさ。今度ノックする事も教えないとな。
「こんちはー、師団長」
俺は女の子とタンデムしたままで、中へ入っていった。
しかも、ラオの奴は器用に『尻尾で』ドアを閉めやがった。凄いな、おい。先に入っていた連中もガン見していた。
警備の奴等は師団長の大きめの机の両側に四名ずつ立っていた。見ようによっては、師団長を盾にしているようにも見えるのだが。
「ご苦労だった、鈴木。今回は、その方で最後だな」
あ、突っ込まない気なんだな、師団長。
その方と長く密着していたかったので、ラオから降りようとしない俺に橋本准尉が咳払いをした。
「ああ、鈴木君。えーと、その。とにかく『それ』から降りたらどうかね」
しかし、降りない俺。彼女は相変わらず俺の体に手を回している。単にラーちゃんから降りたくないだけなのだろう。
ラオも体を沈めたりはしない。そう、隙を狙っているのだ。『一番の大物』を狙って。
この態勢から『それ』を実行したら、いかなる密着感が得られるものか。そう考えると、降りるのをつい躊躇ってしまうな。
「あなたが、斎藤留美さんですか?」
師団長は平静そのものの声で尋ねた。
「は、はい。そうです」
「よろしければ、別室で警察と確認をお願いしたいのですが。ご家族から捜索願が出ておりますので」
「はあ、主人からですか?」
おっとー、人妻でしたか!
「そうです。という訳で、いつまで人妻と密着している気だ、鈴木。もうすぐそちらの方のご主人がお迎えに来られるから、とっととそいつから降りろ」
「ちぇっ」
そんなに人妻臭い感じはしない人だったのだが。ラオもすっと体を沈めて、俺達を降ろしてくれた。
「ああ、残念。もうお別れなのかー。それじゃラーちゃん、バイバイね」
ラーちゃんはペロっと舌の先でその手を軽く舐めてから、鼻面でもふもふと彼女に甘えまくっていた。
留美さんはもう未練たらたらな様子で、迎えに来た府警さんと一緒にラオに小さく手を振りながら退出していった。
「で、鈴木。まさかと思うが、そいつが前にお前の言っていた」
「にゃああん」
やっと師団長に突っ込んでもらえたなあ。その猫そのものの鳴き声にまた沈黙しちゃったけど。しばらく一人と一匹は見つめ合っていたが、師団長も軽く溜息をついてから言った。
「確かに猫だな」
やだ、さては師団長め、猫好きとみた!
「し、師団長。お気を確かに。そいつは気をつけないと……」
まるで言わせるものかといわんばかりに、次の瞬間には机の上の限られたスペースに器用に収まったラオがベロベロと師団長の顔を舐めまくっていた。
「うわあ……」
「し、師団長~」
だが、彼は笑っていた。橋本准尉に渡されたタオルで顔を拭きながら。満足そうに机から、のそりっという感じに降りたラオに向かって。
「こりゃあ、確かに生臭い。うわっはっはっは」
実に満足そうな一人と一匹だった。




