8-23 守山にて
「ねえ、自衛隊さん」
「あ、私は元自衛官でして。今は民間人ですよ。それで、何か?」
車を運転中に乗客の一人に訊かれたので、俺は振り返って返事をした。今は東名高速を走っている最中だ。
二時間弱くらいの予定で突っ走っているところだ。ラオがいるので、悪いけど静岡から車にしてもらったのだ。さすがに、この子は普通のヘリには乗せられない。例の新型ヘリで山崎を呼ばないとな。
「そ、そこの『猫ちゃん』は本当に大丈夫なのです?」
あ、ラオにビビっていたのか。まだ若い女性だな。まあ無理もないか。うちの子はアムール虎並みの体格だからな。
しかもまたその姿が獰猛そのものなのだ。またその姿は美しくもあるのだが。檻に入れてあるわけじゃないから、怖いのかもしれないな。
俺はもう自分が慣れてしまっているのでなんとも思っていなかったのだが。池田か川島が一緒にいたら、後ろでラオにべったりだったろうに。
そして、うちの猫ときたら現在は窓に両前足をかけて、齧り付きで張り付いて外の景色に夢中だ。魔物といえども、異世界の景色は珍しかろう。
向こうに帰った時が怖いな。バネッサの奴、一人だけ置いてきぼりを食わせたんで、きっとカンカンになってやがるぜ。別にそれは俺のせいじゃないんだけどねえ。
「ええ、大丈夫です。もう、すっかり人慣れしちゃってますからね。大きい猫みたいなものだと思っていていただければ」
「余計に安心できないのですけれどね。うちにも猫がいますので」
「あっはっは。そうですねえ、猫は猛獣ですから」
冗談ではなく猫が本気だしたら、大概の成人男性も立ち向かえない。所詮は家猫だから軽く噛まれたり引っかかれたりする程度で済んでいるだけで。
猫飼いの人なんて、腕とか傷だらけの人も多いからな。一番後席の乗客などはドキドキ物らしい。ラオに甘噛みされたら、初めての人には強烈だろうな。
外国などでよく見るような人慣れしたライオンに甘噛みされるようなものなのだが、こいつの牙は凄いからな。地球の巨獣なら大概は倒せるのではないか。
ホッキョクグマ・グリズリー・羆・象・ライオン・ワニ、虎、そしてあの最強の河馬でさえ。
浅瀬でいいのなら、ホオジロザメさえも一撃で倒せるだろう。猫かきで海へ出て狩る事さえ可能かもしれない。
はっきり言って、実のところ、こいつは全然猫なんかじゃない。狼や虎にも似ていない。純然たる魔物デザインなのだ。
泣き声が猫っぽいだけで、俺が勝手に猫扱いしているだけなので。来る前に餌やったから、満腹のライオン状態だ。
車に揺られたら寝てしまうかと思ったが、初めて目にした異世界の景色は、彼にとって睡眠よりも魅力的に映ったようだった。しばらく車を走らせていたが、やがて有料道路もおりて一般道に入った。
「皆さん、間もなく自衛隊守山駐屯地へと到着いたします。道中、大変お疲れ様でございました」
俺が言う道中には、もちろん異世界での出来事も含まれている。永い永い旅路が今ようやく終わるのだから。その気持ちは俺には我が事のようにわかる。
何しろ、向こうで派手にドンパチやらかしながら帰ってきたのだから。俺の場合は却ってからの方がもっと大変だったのは、まあ御愛嬌というものだがね。
彼らはホッとしているようだ。道中、俺が用意した携帯で家族に連絡を取っている人や、自分の電話をなくさずに持っていた人には緊急用の携帯チャージの機器を渡しておいたので、それで充電して連絡を取っていた。家族が迎えにきてくれる人も多いようだ。
さあ、間もなくお楽しみの時間だぜ。
『異世界の【猫】 自衛隊駐屯地に華麗なる初デビュー』
何しろ、責任者の親玉様からは事前に許可をいただいているのだ。ちゃんと異世界から連れてくるとも言ってあるのだしね。
生きた魔物を連れ込むのは初めてだなあ。あの飛行魔物の卵は別としてさ。あれも生きていたから収納できなかったんだよな。
あれはどうなったんだろう。まさか、米軍が強引に持っていってしまって、どこかの研究所で繁殖させて逃げ出されたとかないだろうな。
もし、そんな事にでもなっていたら、もうB級映画の世界だから笑っちまう他はないのだが。まあ、あれくらいならミサイルや機関砲で十分倒せるはずだがね。
問題は凄まじい数の魔物が現れたり、あのドルクットやドルクット以上の化け物がやってきたりしてしまった時なのだ。
俺は門前の警備の自衛官に片手で挨拶して中へと入る。俺はもう民間人なので、本当はこんな風に中へ入ってしまってはいけないのだが。
もう前もって師団長には連絡済みだし。警察もきてくれているんじゃないだろうか。だが、ここでちょっと揉めた。
チェックのため、中を覗き込んだ自衛官に向かってラオの奴め。
「ウオォォォォールンっ!」
脅かされた方は、慌てて銃を構えるが、あれ平時は弾が入っていないはずなのだ。何かあれば、奥から武装した隊員が車ですっとんでくるはずだ。
さすがに不用心過ぎないかね。俺はそれを彼らにわからせるためにラオを嗾けた……わけであるはずがないので、一言だけ。
「こらこらこら。そんなに楽しそうにしているんじゃないの、この悪戯者め」
ビビってしまっている乗客を尻目に、我が家の猫君は凄く楽しそうなご様子だ。寝転がってゴロニャンって感じになっている。
目が完全に笑って尻尾も楽しそうだ。それを見たさっきの女性は溜息と共に台詞を吐きだした。
「やっぱり、この子って猫ちゃんだったのねえ」




